白でも黒でもなくグレー

ジャッジしないことについて

来年の課題のひとつが、泣くこと。とにかく、泣けないんです。

無理に感動したり、玉ねぎを切る必要がないのですが、悲しい時、苦しい時、泣けないんです。

なんでだろう。おそらく幼い頃の、三人兄弟の長男として「しっかりしなければ」という思いが、まだまだ心に巣くっているんでしょうね。

この鍵を開けて、来年は泣きたいのです。

もうひとつの課題が、ジャッジしないこと。正確には、ジャッジをしてもいいけども、いつものように白黒はっきりさせないこと、ですかね。

たとえば、ある歌手が硬派なロックのジャンルでデビューしたのに、突如として恋愛ソングばかり歌い始めたとします。そうなるとボクの場合、「えっ?あんなにゴリゴリに世の中を憂いていたのに、愛だの恋だのってどういうこと?」と思ってしまうんです。

なんでしょうかね?この不思議な正義感というか、ひとつのことに注力していないとダメなんじゃない?という思いは。

パワハラした奴が現場復帰して功績を挙げたとすると、「いやいや、過去にめちゃくちゃ悪いことしてるじゃん。それを無かったことにして、そんな笑顔を見せていいの?」とか、「不倫したのに監督になった途端に、選手に規律を求めるって、どの口が言えるんでしょうかね?」なんて、言葉にはしないものの毒づいてしまうのです。

歳を重ねていけば脛に傷のない人なんかいなくて、もちろんボクもそうなんだけれども、ネガティブなことをした人が改心してポジティブな結果を出すことがなんだか赦せないんですよね。心が狭いというか、一度の過ちで切り捨ててしまうというか、残酷な部分があるのです。

そう、つまり何事も白黒でないと落ち着かないんです。でも、人生ってそんなに単純ではないし、複雑なんですよね。

分かってはいても白黒つけたがるクセ。これをどうにかしていきたいんですよね。

はっきりさせられないこと、はっきりできないことって、この世に山ほど溢れていますからね。それにいちいち苛立ってもいられないし、ジャッジしようとしていることって、ボクが取材して記事にして世に問うているわけではないので、真実がどうかも分からないんですから。

なんでもかんでも良い悪いで決めずに、悪くないけどもそれほど良くない、とか、良くないけども酷く悪くない、くらいのグレーな感じで留めるのがいいのかなと思っています。

実際に、白黒させること、「〇〇しなければならない」のマストの部分が強いことで苦しくなっているので。もちろん、不正など悪いことは悪いとジャッジはしてもいいとは思うけれども、曖昧なものまでボクが大岡越前になる必要はないなって。

自分でも思っているし、他の方からも言われるってことは、白黒つけないことがボクの人生を変えていくと思うので、お金もかからないので意識的にやって行こうかなと思っています。

おもいのままに。続けます。今日も呼吸ができた。ありがとう!!



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?