尽くして はぐれる話

思ってもないことを言わない。不用意に口を滑らせない。嘘をつかずにじぶんに忠実に。

思ったことだけを言う。これが意外と難しい。思ったとしてもどこから言うか。やっぱり悩む。じぶんの中で過半数を越えないと言葉にしてはいけないのかな。過半数を越えたら言葉にするべきなのかな。言葉は多数決か民主主義か。言葉は思いの強さ?
「実は僕、今こんなことを思ってるんですね。
で、あなたにそれを言うか悩んでるんですよ〜」
言ってしまいそや。言葉にするって事は物事を軽くするってこと。はい、まさに今 軽くしてみました〜

言葉を尽くすことで人は歩み寄れる。理解し合える。
受け入れられるって信じてきた。でもこれ違うかもなんです。どうやら言葉は尽くせばいいってもんでもない。感じているのは、たとえ齟齬を生まないように細心の注意を払ったとしても、言葉を尽くしてしまえば次第にミニマムな世界の議論になるってこと。念入りな伝え方の目論みは霧中へと誘導し微妙なニュアンスに翻弄されるに終始する。 大枠を忘れ、手段に支配される。

感覚て「差」なので 差が情報なので 突き詰めれば詰めるのほど出てくるのは 差 / 違いだ。違い。
違いがわかるのはいいんです。あなたと私はこれだけ違う。違いがあるんだな。わかった。それでいい。それでいいんです。でも中々それだけでは済まされない。気づけば違いに夢中になっている。近づいて
違いを見つけて すれ違う。 べつにね、違いが明るみになりましたってだけの話で、事件じゃないし現行犯で逮捕しなくていい。議論の対象が具体的でミニマムになればなるほど 話は抽象化して、身体は希薄化しあなたと私の存在が消失する。え、なんでこうなったんだっけ?裏腹ハラスメントのせいで僕らはどしどし遠ざかる。言葉を足して 埋め合わせをしようと墓穴を掘る。尽くした言葉に手引きされ、はぐれていく。
迷子になる。なんで居なくなったのか。何処ではぐれたのか。わからないまま。

言葉尻 言葉尻。
ケツばっか追うようになったらダメよ〜
スケベスケベ♪
会話においては 手取り足取りは揚げ足取りヨ。

一方で、、
信頼。少々粗っぽくても伝わるよね?
誤解はあっても、曲解はしないよね?っていう妄想と錯覚。気分や感情が強固に規定されてしまえば誤解と曲解 まぜこぜに。
こうなったらどう足掻いてもdeathです
一旦、距離 置かnight
言葉交わさないでおきまshow

分からなさを拭おうと言葉を塗りたくる。
※補足説明のための注釈が増えていく
主張を強めた、って届く。
違うのに。
この「違い」をどうにか感じてくれ

人って「分からない」が怖いから理解を深めようとする。理解に苦しむ、は苦しみの中でも最上級。だけど言葉尽くして深まるのはむしろ「分からない」の方で、どれだけの分からなさを僕らは抱えているかを知るに至る。

どうやら、実際的なやり方ではダメな場合もあるみたい。それぞれにはそれぞれの敗者復活戦があるのだし、それを探す必要がある。治外法権的に、私とあなただけに通用してしまう魔法のような解決策はあるのだから。

人事を尽くして天命を待つ って言葉があるけれど
尽くすべきは言葉じゃなくて人事。
言葉をあてがわないっていう尽くし方もあるんよね。

#エッセイ #コラム #創作 #コミュニケーション

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