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どう足掻いても限りがあることを、わたしたちはちゃんと知っているのだから。

帰宅して郵便ポストを覗くと、大きな封筒が入っていた。送り主は、おじいちゃん。

幼小と9年間毎週習い事の送迎をしてくれて、大学の4年間は一緒に過ごして。今思えば、自転車の練習も始めての親元を離れての暮らしも、わたしたちはいつも一緒だったし、喧嘩もした。

例えば、大学に入って、聴力が低下して、聞こえる人と一緒にいるのが嫌になって反抗したときも彼はずっとそばにいてくれた。そして、大切な人を亡くした日々も一緒にお酒を飲んで泣いた。そして、「炊飯器の蓋をどのタイミングで開けるか」みたいなしょうもないことで喧嘩もした。

彼はとにかくマメな人で、週に2回グラウンドゴルフに通い、あとは駅伝の誘導係をライフワークに日々を楽しんでいる。ちなみに、グラウンドゴルフはまぁまぁの腕前のようで、ねんりんピックと呼ばれる全国大会にも数度出場したことのある現役選手で、わたしも小さい頃よく河原での練習に付き合っていた。

そして、お家ではお料理もするし、庭の草木のお手入れもするし、あとパソコンが好き。いつもせっせと何かを作っている。例えば、わたしの家の住所が記されたラベルシールを3日くらいかけて作っていたり。

そのラベルシールがぺたりと貼られた大きな封筒が、ポストに投函されていた。中身はなんてことない高校の同窓会誌だった。大学進学のタイミングでおじいちゃんの家に住所を移してからというものの、特に不自由はないからと住所変更していないものがいくつかあって。そのうちのひとつが、これ。

いつもなら帰省したときにわたしの部屋の学習机に積まれている郵便物のひとつなんだけれど、今回はどんな風の吹き回しか、送ってくれることにしたらしい。LINEのトーク画面を開いて「ありがとう」と打ち込んだところでふっと一息。もう一度スマホを眺めて、【モドル】5回タップしたわたしは、エイやっとビデオ通話を始めた。

数コール待つと、晩酌でほろ酔いのおじいちゃんが嬉しそうに「もしもしー」と出てくれた。してやられた。わたしが最近メッセージしか送らないから、通話のきっかけにこんな些細なものをご丁寧に郵送してきてくれたのかもしれない。

特にこれといった話をしたわけではないけれど、「元気かー?」「風邪引いてないかー?」とニコニコしているおじいちゃんの顔を見ると安心する。

あと一ヶ月ちょっともすれば、年末がやってくる。「年末には帰るね」と伝えると「そうだなぁ。待ってるよ。」と返事があって、通話は終了した。

5分にも満たないほんのちょっとの時間なんだけれども、おじいちゃんを近く感じたし、前会ったときよりも更におじいちゃんになった気がする。

たったこれだけの時間で済むのだから、メッセージで済ませないで、顔を見せたり声をきかせたりしないとな。こうやってお互いの元気を確認してホッと胸を温かくさせる瞬間は、多分無限ではないということを、わたしたちはちゃんと知っているのだから。

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