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「日記」友に掛ける言葉を探している

土曜日の営業中の事だった。
私のスマホがラインの通知を告げた。常連のお客様に断わってからスマホの画面を確認した。

「えっ!」

思わず声が出て身体が震えて鳥肌が立った。
「ウソでしょ…」
それは友人のIが倒れて救急車で運ばれたと言う内容のものだった。
Iは男性で、その彼女のSちゃん、二人共に私の大切な友達だ。約六年前、ダーちゃんの葬儀の受付を二人は快く引き受けてくれた。
そのIが「脳出血」を起こして救急車で搬送されたと言う。
涙が溢れそうになった。
「なんで、なんで、私の周りの良い人ばかり…」

更に友人から続報が届く。
「被殻出血」(ひかくしゅっけつ)
で命に別状はないが、運動障害、言語障害等の後遺症を起こす可能性が高いと言う。

一緒に店を経営しているミユが、私の様子を見て
「何?どうしたの?」
と聞いてきた。ミユも二人の友達だ。
店のお客さんと言うよりも、一緒に遊んだり、旅行に行ったりした私達は「仲間」だと思っている。
口で説明が出来なくて、スマホ画面をスクロールして見せた。
「えーー!大変な事になったじゃない」

頭に浮かんだのは、十三年前の自分だった。Sちゃん、どんなに心細いだろう。二人は結婚はしていないが、一緒に暮らしている。

心配や不安を抱えたまま閉店時間の少し前にお店を閉めて、ミユと二人でビールを飲んで話しをした。

「一緒に旅行も行ったよね、餅つきもしたよね」
「これから、どうなっちゃうのかな…」

何の結論も出る筈がない、私達に手立てがあるわけがない。でも人ってこういう時は喋りたいものなんだよね。

昨日の日曜日の朝、ミユから電話が掛かってきた。
「大変、大変!Sちゃん、こんな時にコロナに掛かっちゃったんだって(泣)」
「えっ?何で知ってるの?」
「私、あんまり心配でラインしたら、そう返ってきたよ」
ミユは私よりも積極的な性格だ。
「分かった、私も何か出来る事がないか聞いてみるね」

Sちゃんは……
Sちゃんは、手術よりもその後の事を心配していた。
「どのくらい後遺症が残るか分からないの、リハビリとかしっかり出来るかな?我が儘な昭和の男だから」
Sちゃんの心は、もう支えていく事に決まっていた。
「色々相談にのってね」

相談か…
私が主人を介護していた当時、沢山の友人や知人、医療関係者まで
「自分の人生を考えてもいいんだよ」
と私に助言してくれた人達が居た。それは、つまり「離婚」して主人と別れてもいいと言う意味だった。
当時の私は
『見捨てられるわけがない』
その人達の言葉を跳ね除けて、恨んだりもした。
今、私はSちゃんにこれから掛ける言葉を探している。
私のように全てを犠牲にして尽くせとは、もう言い切れない自分が居る。


今日、その手術が行われる(もう始まっている)
無事に成功して、後遺症が少しでも軽く済むことを祈っている。





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