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「エッセイ」渋滞の車中から見た景色

「ただ見れば何の苦もなき水鳥の足に暇なき我が思いかな」
これを詠んだのは徳川光圀、俗に言う水戸黄門だ。

水鳥は水面上では優雅に泳いでいるように見えるが、その水面下では必死に足を動かし頑張っている。それを我が身と照らし合わせて、私も見た目は頑張っているようには見えないが実は見えないところでは頑張っているんだよ、と詠んだ句らしい。
ただの「やせ我慢」「外ヅラ良いヤツ」「ええカッコしい」とも受け止められるが、昔の男性はそれをカッコいいとしたのだろう。
私達世代では、白鳥の例えの方が分かり易いかもしれない。

先週の土曜日、忙しくなる前に例によってテレビを観ていた。相葉雅紀の「みんなの動物園」
志村けんのファンだった私は志村けん亡き後、その後を引き継いだ相葉ちゃんのこの番組を応援している。
自分が動物好きなのもあるけど…。

相葉ちゃんが保護したワンコにトリミングを施すコーナーに堺正章が出演した。
その日のワンコは大型犬の「スタンダードプードル」
とっても大人しくて賢い可愛い仔だった。
何故、こんなに可愛い仔と飼い主さんは別れられたのだろう?私だったら一度出会った仔とは離れられない……と自己中な考えが浮かんだ。
でも、これだけの大型犬だと様々な「経済敵な理由」や「年齢的」なものがあったらしい。
飼い主さんも食べて生きていかなければならない。
その飼い主さんに自分の喰いぶちを減らせ!若返れ!とは、言えない。では何故、飼ったのか?……うーん、一言では責められないけど人間のエゴには間違いないかな……

話しは保護犬ではなく、そのトリミングの最中に堺正章氏が語ったお話し。相葉雅紀が「僕がしている事はほんの一握りでしかない」(動物愛護の世界で)と言った。それを受けた堺正章氏が、

「森林が火事になった。その時、水鳥が自分のくちばしに水を含んで鎮火しようとした。他の動物達は、そんな少ない水で火事は消せないと笑った。水鳥は『私は私に出来る最善の事をしているだけだ』と言った」
多分、こんな内容だったと思う。


昨日、旅行帰りに落葉でいっぱいの歩道を小さなホウキで掃いているお爺さん二人が目に止まった。

私が乗る車中から、一人のオッサンが
「あんな小さなホウキじゃ無理だよ〜」
と笑った。
それは「大変」と「埒が明かない」の両方の意味が含まれていたと思う。

私は前述の堺正章氏の話しをした。
すると、また違うオッサンが
「じゃあ、どっちが正しいの?水鳥も他の動物が言ってる事も両方正しいでしょ?」
「どっちが正しいかって話しじゃないんだと思うんだ」
と私。
また違うオッサンは
「水鳥は最善を尽くしたかもしれないけど、火事が消えないのは確かだよな」

お前ら、ネガティブの塊か(苦笑)
私は叫ぶ。

「火事が消えるかどうかは関係ないんだよ!」
「でも火事を消すのが第一問題だよ」

ち、違う!私が言いたい事は物理的問題じゃないんだ。
「俺なら水鳥を説得して一緒に逃げるな。生きてこそ!じゃん」
ネガティブオッサン共は言う。
だから、そう云う事を言いたいんじゃないの(苦笑)
「じゃあ、sannちゃんはどうするの?」

「私?私は水鳥の仲間を全部連れて来る!」
「大変な仲間の数が要るね~、それでも消えなかったら?」
「笑った動物達も説得する」

あれ?火事が消えるか消えないかの問題じゃなかったような……

「出たな(笑)この超ポジティブ女(笑)」

「ち、違った!違うんだ!水鳥はそのままでいいんだよ」
「だから消えないし死んじゃうって(笑)」

「死んでもいいの!!」


水鳥は例え死んでも「自己満足」を得られるだろう。他の動物達は、その姿を見てどう思うか?
悔いは残らないだろうか?良心が携わっていたらとしたら。
人の人生って(鳥だけどw)「自己満足」の繰り返しでも、いいと思うんだ。
それで人生を達成したら「良い人生だった」と満足して逝けると思う。

「お爺さん達にとって落葉を全て綺麗に出来るかどうかは関係ないんだよ、彼らは自分に出来る最善を尽くしているんだから!自己満足なんだよ、それでいいんだよ…」自分にうっとり!

「へぇ~、いいじゃん、sannちゃん。哲学的じゃん」
オッサン共を論破して私は大満足だった。
勝った!






その時、渋滞の中を枯葉を回収する作業員を乗せた作業車が到達した。
にこやかに手を振るお爺さん達。
おーい!(泣)

オッサン共「sannちゃん?!(笑)」





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