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「短編小説」 朧月#シロクマ文芸部

朧月が春の夜空にぼんやりと浮かんでいた。

楼主のおやじさまが、ちり紙に包んだ星のようなお菓子を泣きじゃくる私に見せた。

「なっちゃん、よくお聞き」
「…」

こくんと頷いておやじさまを見上げると
「ほら」
私の口の中に星を一つ入れてくれた。生まれて初めて食べる味に
「うまい!美味いです、おやじさま」
涙はすぐに引っ込んだ。
「なっちゃん、美味しいだろ?」
「はい、あ、美味しいですっ」
慌てて丁寧な言葉に直した私を無視して、おやじさまが続けた。
「金平糖って言うんだよ、なっちゃん」
「こんぺいとう?」
「そうだ、お星様のようだろう?」
おやじさまは、空を仰いでいる。
「こんな夜には綺麗な星も見えやしない。でも月はぼんやり見えるだろ?」
私もおやじさまの真似をして、目一杯首を伸ばして顎をつき上げた。

「お前は、あの月におなり。星が輝けない夜にも一人輝いているような朧月に」

七歳でこの遊郭に禿(かぶろ)として売られてきた私には、まだその意味は分からなかった。
井戸の水を汲みながら故郷のお父とお母を思い出して泣いているとおやじさまは、いつも金平糖と言う名前のお菓子をくれた。

おやじさまには一粒種の彦太郎と言う名の私よりも二つ歳上の息子が居た。彦太郎さんは女性のように美しい容姿で姐さん達のお気に入りだった。私も遠くから彦太郎さんを見ているだけで胸がどきどきした。
或る夜、私がまた井戸の脇でベソをかいていると彦太郎さんが近づいて来て、綺麗な手毬を私に差し出した。
「なっちゃん、一緒に遊ぼう」
そんな美しい物は故郷にはなかったから、初めてみる手毬に遊び方が分からなかった。
「どうやって遊ぶの?」
「見てて」
私の頭をそっと撫でると彦太郎さんは細くて白い長い指で器用に手毬をつきながら歌を歌ってくれた。

「一番はじめは一の宮〜♪二また日光中禅寺♪三また佐倉の宗五郎♪」

私にとって、おやじさまと彦太郎さんだけが、この町に来てからの心の支えだった。

十五で遊女に出されると思っていた私を十七の歳まで延ばしてくれたのは、おやじさまだった。
十五で遊女になるのが一般的で「留袖新造」と呼ばれている。十七歳で「振袖新造」として遊女になることは、この世界でどんなに特別待遇だったかと言うことを私は薄々としか知らなかった。

十七の歳、奥の座敷に通されるとおやじさまは得意の筆で

「朧月(ろうげつ)」

と半紙に書いて私に見せた。
正座をして緊張している私の眼をすっと見つめて
「あの夜の約束だよ。今日からなっちゃんは朧月と言う名前で此処で生きていくんだよ。いいね」
「は、はい、おやじさま」
「星よりも輝く朧月に、この遊郭の一番になるんだ」
一番になると言うことが「花魁」に上り詰めることだとは私にも分かっていた。普通の遊女と花魁が、どのくらい待遇が違うかも、もうこの時私は知っていた。

あの日から二年の歳月が経った。
今宵もまた私は紅い紅を差して肌を真っ白に染めあげる。
幼い頃に一緒に遊んだ彦太郎さんの事だけを胸に抱いて、顔を知らない男達の慰め者になる。
障子の枠から、薄ぼんやりと朧月が覗いた。

「おやじさま……」

この町に来て優しくしてくれたのは、おやじさまと彦太郎さんだけだった。そのおやじさまも私が花魁になる姿を見ずに先月亡くなってしまった。

「朧月のように輝くんだよ」

おやじさま、朧月は自ら輝やいてなんていやしません。
お日様って光があったから、おやじさまが居たから輝いて見えただけですよ。

またお客が私を抱きにやって来る。
何の抵抗も出来ずにただ抱かれる私は、まるで朧月のようだ。
春霞にだんだんと霞んでいくだけ…
元々病弱だった彦太郎さんは、おやじさまよりもずっと前に亡くなっていた。
もう、誰も私には居ない。

私の身体を執拗に舐め回す男達の前で、私は香りのない花でありたいと願う。
おやじさま、おやじさまの夢は叶えてさしあげられそうにありません。
紅い紅も真っ白な肌も、朔日に全て洗い流して私は故郷の香りの高い野の花に生まれ変わりたい。
ううん、彦太郎さんが吐いた血のように赤い糸を辿って行きたいのかも…

毒を塗った金平糖を口に含んで、朧月を見上げた。
彦太郎さん
彦太郎さんの元へ朱殷の糸を辿って、此の世で果たせなかった夢を叶えに参ります。

朧月の手から、あの日の手毬がぽとりと音を立てて落ちた。
その様子を朧月だけが見ていた。




この歌のイメージで書きました。


女は惚れた男以外の男に抱かれる夜は、不香の花でありたい。


小牧幸助さんの企画に参加させて頂きます。
よろしくお願いしますm(__)m



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