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友人が亡くなった話

こんにちは。
実家が全焼したサノと申します。

僕は新橋の広告会社で
営業として働いています。

僕はホストクラブやバーで働いた後、
28歳で新卒入社したので、
同期とは結構年齢が離れています。

「醜いアヒルの子」みたいにならないかな、
と不安でしたが、実際に入社してみると
同期は僕にも優しく接してくれました。

入社式では一人一人挨拶しますが、僕は

「私は実家が火事で全焼した話をしたら
採用していただけました。」

「実家のように
完全燃焼できるよう頑張ります。」

と挨拶しました。

もはや、すすんで醜いアヒルの子に
なりたがっているようなコメントですが、
それでも同期は
優しく接してくれました。

むしろこの挨拶のおかげで
僕のことを知ってくれた人が増え、
毎晩同期がご飯に
誘ってくれるようになりました。

そんな時に出会ったのが、
友人のA君でした。

A君の友人によると、
A君は地元では「神童」と
呼ばれていたそうです。

僕の地元では「神童」という
あだ名のついた人は
もれなくアホだったのですが、
彼は本当に頭が良い人でした。

なのにどこか抜けているところがあり、
僕とA君は「抜けている」という
共通点で仲良くなりました。

2人で飲みに行くことも増え、
プライベートな話も仕事の話も
僕はA君に相談するようになりました。

特に仕事の話をすると、
A君は的確にアドバイスをくれました。

A君のアドバイスのおかげで、
提案がうまくいったケースも
何度もありました。

A君自身も、若手にも関わらず
大きな賞を受賞したりと大活躍でした。

そんなA君が先日、
突然不慮の事故で亡くなりました。

あくまで他人なので詳細は割愛しますが、
僕はしばらく現実を
受け入れられませんでした。

「コロナが落ち着いたら遊びましょうね」

という言葉がA君と交わした
最後の言葉でした。

幾度となく使ったこの言葉が
最後になるなんて思いもしませんでした。

僕はいつも助けて貰っていたのに、
何も返せなかったな、と思いました。

最後に仕事の話をした時、
A君はアイデアを語ってくれました。

「新聞を折り紙みたいに
使ってみたいんだよね」

本当はもっと頭の良いことを
色々と言っていたのですが、
難しくて僕の頭には「折り紙」しか
残っていませんでした。

何かA君のアイデアが世の中に
出る方法はないかな、と考えていたところ
ある新聞広告のコンペを見つけました。

僕はすぐに絵を描くのが上手な
同僚に声をかけて、一緒に応募しました。

テーマは「国際反戦デーの啓蒙」でした。

「なんか折ったら仲良くなるようにしたい」
「紙を折ったら手繋いでるとか」

というアホみたいな依頼に対し、

「お、おぅ!」

と同僚は前向きに応えてくれました。

同僚はアートディレクターという職種で、
これまでアートディレクターについて
僕はあまり理解できていませんでしたが、
思考を可視化する
とんでもない仕事だなと思いました。

提出した原稿はこちらです。

銃を向け合った兵士が、
新聞を折ると手を繋ぐようになっています。

僕は「反戦」という言葉に
違和感がありました。

「反戦」を唱えること自体が、
なんだか争っている感じがするからです。
事実、過去に反戦活動が過激化し、
放火して逮捕された人もいたそうです。

だから、戦争をなくして、
反戦デーも無くしたいと思いました。

そんな思いも込めて、
提出した原稿は最終選考まで残りました。

そして昨日、落選しました。

落選した理由は、
僕の書いたコピーがイマイチだったからです。

確かに他のアイデアの方が、
発見のあるコピーで、面白かったです。

ただ、最終選考まで残った理由は

「新聞を折って絵が変化する発想がいい」

ということでした。

紛れもなく、
A君のアイデアのおかげでした。

最後の最後まで僕は
A君に助けられて、
また何も返せませんでした。

いつか僕がもっと人に
伝えられるのが上手になった時、
A君のアイデアで世の中を幸せにするから
もう少し待っていて欲しいです。

いただいたお金は、切ないことに使います。