八光亭春輔師匠の落語に出会ったことを記しておきたい|黒門亭 & 特選落語集

【季節感ゼロ注意報】
〜ただいま過去のキロク掘り出し中です〜

何を隠そう(?)わたくし、この1年半ほどのことを、「落語のこと、好きになってしまいました フェーズ2」と題しておりまして。

要は、新しい噺家さんに出会えば出会うほど、落語の芸の多様さ、懐の深さに惹かれて、もっと聴きたい人が増えてしまって困っているよ!ということですね。

ふっ、「何をいまさら」ですか? 

チミは偶蹄目なのかい? というくらい、いくらでも同じものを反芻していられる性質なもので、我ながらスローペースかなぁとは思いつつ。
ここ1年半ほどの期間、わたしの心の箱庭のなかには、登場人物が急激に増えた実感があります。

ひとりの噺家さんでも聞けば聞くほど、新しい面に出会うだろうし、噛めば噛むほど美味しいだろうと思っているのに、こうも魅力的な方々ばかりでは、いかんせん追いかける側のわたしの体力も資金も時間も追いつかなくって、嬉しいやら困ったやらの悲鳴が止まらない。

そんなフェーズ2のさなか、出会ってしまった。春輔師匠に。


春輔師匠との遭遇 その1

黒門亭第二部

三遊亭東村山 狸札
柳家小もん 浮世床 - 夢
八光亭春輔 松田加賀

柳家三之助 替り目
三遊亭歌奴 電話の遊び

2023/03/19

春輔師匠との遭遇 その2

第20回 特選落語集
(途中から)
五街道雲助 商売根問
八光亭春輔 莨の火

柳家小満ん 伽羅の下駄
柳家さん遊 猫の災難

2023/03/20
日本橋公会堂

2日連続で遭遇できたこともあり、またその両方が珍品というのも大きかったかもしれない。けど、師匠の語り口がとても独特で。わたしが聴いた二席では、始終ゆったりとしたペースを崩されていなかった。

どちらも初めて聴いた噺。
特に「莨の火」は展開が読めなくて、ああ、次はどうなるんだろう? と畳み掛けるようにひとり頭のなかで展開しそうになるのを、「まァ待ちなさい」と言わんばかりに、春輔師匠の口跡に絡めとられる感覚。こちらのペースなんてお構いなしに、春輔師匠が紡ぐ時の流れに巻き込まれていく感覚。

なんて心地良いんだろう。

春輔師匠の高座に出会って、ここ最近は特に、脳で落語を聴いていたんだな、と気がついてしまった。これでも自分の理屈っぽいところは重々承知していて、よくないぞ!と意識はしていたのだけれど。せっかく五感が備わっているのに、自ら知覚を抑えつけてしまっていたなんて。
わたしはもっと、自由に落語の世界とあそびたい。

なにより、二席とも、ある意味無責任とも言えるほど、サゲでパッと手を離されてしまう。ああ、とっても「落語」だなあと、師匠のお辞儀を見ながらクスリと笑えてしまう、あのなんとも言えないさわやかさ。
かえすがえすも、気持ちの良い高座だった。

* * *

折しも春輔師匠の高座に出会った後、落語協会から抜擢真打の発表があった。抜擢された人、その影響を直に受ける人、それぞれの思いや本心など素人にはわかろうはずもありませんし、おめでたいお話に水を差すつもりは毛頭ありませんけれど、スピードや勢いがそれほど大事なものだろうか、なんてことを思う。

もちろん自分の名を世に知らしめたいという野心の強い方は相応の戦略が必要だとは思うのですが、世の人のすべてが、そうした強い光を発するスター性のあるものだけを愛するかと言ったら、決してそうではないと思うんです。
わたしなどは強い光の当たる煌びやかで賑やかな世界は、実はすこし苦手なほうで。嫌いなわけではないけれど、どうしても疲れてしまうので、その空気だけに触れ続けてはいられない。

こうして落語を好きでいられるのも、落語会の在りかたも、噺家さん自体も、とても多様で層が厚いから。

今をときめく華々しい人気者の師匠に、ひたすら我が道をゆきコアなファンに愛される燻銀の師匠。素朴でほっとする存在であったり、その人でしか出せない独特な味があったり、ほどよい毒素が心地よかったり、本当に色々な噺家さんがいらっしゃる。

大勢で賑わう広いホールでの落語会がある一方で、秘密倶楽部のようにひっそりと素朴な芸を楽しむ会、完成品を一方的に受けとるのではなく発展途上を和やかに見守る会もある。

もし、落語を取りまく世界が華々しく、すべてにスポットライトが直射していたら、こんなに惹かれてはいなかったと思うし、探検の途中でまた新しい出会いと発見があるのは、演者さんにしろ興行主さんにしろ、ひとえにその道を貫いて地道に歩み続ける方々がいてくださるから。

なにかを好ましく思う感性には、ずっと変わらないものもあれば、変容していく部分もある。ある時点ではその魅力に気づくことができなくても、どなたかが道をつなぎ続けていてくださることで、やがてタイミングがきたときに、どこかの地点で、自分ともまじわることができる。
そのことがとてつもなく、有難い。

春輔師匠にも、もし落語を聴き始めた当初、人物の演じ分けのコントラストばかりを注視していた頃のわたしだったら、ほんとうの意味で出会えてはいなかったと思う。

芸の道を歩む人や、職人と呼ばれる人たちが稀有な存在であるのは、外側から一見すると同じことの繰り返しとも取られそうなことを(もちろんそうは思いません)、世間の波に呑まれることなく、何十年もの間、粛々と続けていらっしゃるからではないか、そんなことを改めて思います。

もちろん継続には、人気や動員、話題性といったエネルギー源や、世に知られるための種まきも必要でしょうけれど。そのことに過剰に振り回されることなく、自分の道を貫いていただきたいと思うし、「長生きも芸のうち」と言うように、どうか芸に身を置くひとが、みな健康で長生きしてくれたらいいなァ、なんて思います。

なんでこんな遺言みたいなこと言ってんだろう。笑
元々六十代でも若手と呼ばれるような業界を見ていたから、こんな悠長で無責任なことを思っちゃうのかもしれない。なんにせよ、わたしにできることは、まっさらな目でその世界を探検し続けて、そこで出会った自分の好きな人たちを、変わらず見つめていることだけですね。

おしまい。


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