雲助師匠の表現について勝手に思うこと、つらつら|「三枚起請」「幾代餅」(五街道雲助 噺の会 其の一ほか)

GWです……!れ、連休……!この連休こそは、溜まった感想たちを徐々に放出していきたい〜。

しばらく更新していなかったのですが、記事数がある程度蓄積されたせいか、こんな僻地にもアクセスしてくださる方が一定数いらっしゃるようで……ありがとうございます。
落語のちから、すごい。

この記事までご覧になるかわからないけど、先に弁明しておきますと、このnote(特に「メモログ」)は、あかり氏が書く、あかり氏のための、あかり氏だけが読んでて楽しい長ったらしい文章です。内容は、ほぼ小学生の夏休み日記ですしゅみません!

というわけで、わたしだけは楽しい、2月の記録から遡ります!5月なのに!


(2023/02)

しばしば独演会が増えすぎだと仰って憚らない、雲助師匠の新しい独演会の第1回に参加すべく、大宮は氷川神社近辺まで足を運んでまいりました!
(ちなみにすでに4月に第2回も開催済みの会デスネ……)

雲助師匠の「三枚起請」をこの日初めて聴いて、印象深く残っているのが、三人が姿を現したときの花魁の反応。もし、あの「様子がいい」や「いい男」に、少しでも相手に媚びるような色が入っていたら、受ける印象は全然違っていただろうなぁと思う。

雲助師匠の落語にはいつも食い入るように引き込まれてしまうけれど、実は余白も多いのではないかと思う。繊細な表情やまなざし、声に内包する情報が多いようで、全部を語りきりはしない。わたしはなんだかそこに、師匠の美学のようなものを感じるんですよねえ……。

完全なる素人の戯言なので、流し読んでいただきたいのだけれど。
登場人物の心理描写って、感情の起伏が強く、かつ、表出がリアルに寄れば寄るほど、演じる側の自己と登場人物の境界線が消えて気持ちよくなってしまうような、そんな中毒性があるのではないか、と想像していて。

あまりうまい例えが思いつかないけれど、もし全体重をかけようものなら、壊れて落ちてしまう薄い板一枚の上に演者は立とうとしていて、踏み抜いてしまわぬよう、常に"荷重"の度合いを調整しているような、そんなイメージがある。
大雑把に言えば、自己陶酔に陥らないよう、客観的な自己と演じる自己の出力を絶えず計算・調整しているのではないか、などと憶測しているわけです。

そして、雲助師匠はその"荷重"のかけかたが絶妙だな、と思う。少なくともわたしにとっては、とてつもなく、絶妙。噺家さんのおっしゃる「ほどのよさ」ってこういうことなんだろうかと、終わったあとにいつも唸る。

上の話は落語に限らず、わたしがこれまで観てきた"演じる"こと全般について思うことなので、もし演劇なら「クサいなぁ」で済むところが、落語の場合は踏み抜いてしまうと、もしかしたら落語そのものの枠組み(というものがあれば、だが)から外れてしまう恐れもあるのではなかろうか。

人情噺や長講の際には、わりと深めにかけていらっしゃるその荷重を(とはいえ、色悪や悪女など、キャラクター分類によって表情や目線、声の調子は様式化されているとも思っている。が、それを毎回形式的に感じさせないのが雲助師匠の本当に凄くて、こわいところ)、滑稽噺では踏み込みを浅く。どちらにおいても、決して踏み抜いて崩れたり、浅すぎて浮いたりしてしまわない、絶妙なバランス。

……なぜさもわかった風にこんなことを書くのかと言ったら、おそらく4月に雲助師匠の「幾代餅」を聴いた影響が大きくて。

雲助師匠でもう何度も聴いているこの噺の解像度が、自分のなかで急に上がった感覚を覚えて。ベースは滑稽噺だけれど、花魁の描写だけ、少し心理描写をリアルに寄せているのだと、腑に落ちた気になったわけです。
そう、あくまでも、気ね、気。

心理描写の寄せかたに変化があるから、笑わせどころが多いわけでは決してないのに、観ていて全然飽きない。花魁の心情に真に迫ったその直後のくすぐりに、どこかほっとする自分がいる。いままでは「いや、なんでここでゆうちょ銀行やねん」って思っていたのに(思ってたんかい)。

「三枚起請」に「幾代餅」。師匠の落語に同居する、デフォルメとリアル(滑稽と人情、あるいは、緊張と緩和、といってもいいかもしれない)のバランスが、わたしにとってはとても絶妙なのだなぁと改めて実感した二席でした。


「余白とは相手を信頼して、手放すこと」

とある能楽師の方の受け売りなのだけれど、この考え方がとても好きで。芸能の余白に出会うたび、ああ、ちゃんと信頼に足る観客になりたいなァと思う。

そのわりに「夜鷹そば屋」みたいに、行間を好き勝手に受けとって、超絶ウェットな聴きかたをしてしまったりもするわけだけれど。反省してます。
……いや、嘘だな。聴きかたも、受けとるわたし自身も、徐々に変容していくから、今はこれで許してねと結構開き直ってますね。
そうやって変わっていくことも含めて、楽しいのよ。できるかぎり視野をひろげてまっさらな心もちで受けとっていたいけど、情緒が俄然ウェットなときもありますわい。ごめんあそばせ!



公演記録その一
五街道雲助 噺の会 其の一(雨休亭)

林家十八 転失気
柳家小もん 真田小僧
五街道雲助 浮世床〜通し

雲助 三枚起請

20230205
氷川の杜文化館 伝承の間

公演記録その二
陽春四景(下)

柳亭市助 たらちめ
桃月庵白酒 浮世床 -本-
五街道雲助 幾代餅

春風亭一之輔 笠碁
柳亭市馬 宿屋の仇討ち

20230415
国立劇場 小劇場

そういえば。大宮の会で十八さんに感じた既視感、いまだに解明できていないのだけど、白隠の達磨図っぽいのかな? とか、ちょっと思っている。あんなに眼光鋭く無いけど。なんていうか、あの輪郭線に勢いのあるところとか、くっきりとした墨の濃さとか……(ほんまかいな)。
もっと近いものを思いつく方は連絡ください()。

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