滑稽のなかに映る悲劇

小はぜがこはぜで 第七夜

柳家小はぜ 日和違い
〜仲入り
小はぜ 品川心中(上)

こはぜ珈琲
20220715

てんき:雨ときどき大雨☔️


こちらは、マガジン『メモログ』の記事です。

『メモログ』は、自分のための感想覚書を蓄積するために作成したもので、ひとさまに読まれることを前提としていません。そのため、文章の体裁が整っていなかったり、構成がめちゃめちゃだったりします。
それから、ネタバレにも気持ち程度にしか配慮していませんし、基本ザル耳なので、内容が間違っていることもあります。

ご覧くださる奇特なかたは、どうかもろもろ悪しからずご了承ください。


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小はぜさんの早稲田の会。

三月にお邪魔したときも物凄い土砂降りで、今回もまた強めの雨なので向かいながらほくそ笑んでいたら、まくらでそのお話が。
常連さん曰く、偶数月(小はぜさん以外の噺家さんが交代で担当)のときはあまりお天気悪くないそうなので、奇数月第三金曜のこはぜ珈琲さんには雨男がいらっしゃいそうですね。笑
なんて、かく言うわたしも雨女なのだけど!

次にもし土砂降りに巡りあうことがあれば、こはぜ珈琲さんには是非とも「どしゃぶりブレンド」(マウンテンならぬw)を開発していただきたい。

それにしても、小はぜさんのお話はどうしてこうも耳に心地よいのだろうか。小はぜさんのお人柄なのか、話し方なのか、お声なのか……。土砂降りのときはもう帰るのもしんどいから、ほんと、このまま朝まで喋り続けてくださってもいいんですよ?って思うくらい(鬼畜)。

早稲田の会は、まくらをたっぷりめに話してくださるのも嬉しい。肩肘張って落語を聞くぞ!という感じでなく、小はぜさんのおしゃべりを聞きにふらっとお店に立ち寄ったような、そんな居心地のよさがある。お子さんがまじって聞いているのも、なんかいいんだよね。

ここ最近抱えていた憤懣やる方ない心もちが、ほぐされたひとときでした。

落語は、「日和違い」と「品川心中」の〈上〉まで。

雨が強まるなかの「日和違い」。雨が止んだなら脱いじゃえばいいのに、そのままプンプン歩くさんだらぼっち妖怪の絵がなんともかわいい。首がちくちくする〜という描写がおかしくて、わたしの想像のなかでは、米俵マントだいぶ端が毛羽立っている仕様になっている。


仲入り後、「品川心中」をみながら、「人生は近くで見れば悲劇だが、遠くから見れば喜劇だ」という言葉を思い出していた。

「金ちゃんがいい」と胸を定めるお染さんも、お染に乞われて心中を表明する瞬間の金ちゃんも、急所を糠床に落として死を覚悟する男()も──。滑稽な空気感で全体を包みながら、局所的に発生する(当人にとっては大まじめな)悲劇。

これまで聴いたなかでは、あくまでも滑稽のグラデーションのなかで描写する演者さんが多かった気がして、はっきり意識していなかったのだけど。小はぜさんは割と克明に当人のその瞬間の心持ちを描き出そうとしているような印象を受けました。それもあってか、年を食った女とか、死んでも誰も困らない男とか、わりと激しめの言い回しも抑えていらっしゃったような。いや、柳家の師匠であまり聞いたことないから、そのあたりよくわからないけど。

今日は聞けなかったけど、仕返しの部分は果たしてどうなるんだろう。
人に試されるの大嫌いマンとしては、「星野屋」ほどじゃないとはいえ、「品川心中」の〈下〉も、それなりにいい心持ちはしないんだけど(嫌いというわけではない)、小はぜさんがどう表現されるのか気になるなあ。
今回は〈上〉までだったけど、いつかぜひ、通しで聴いてみたい。



個人的にツボだったのが、急所を糠床に落とした仲間が、握りしめた自分のイチモツ(※勘違い)を「形見として受け取ってくれ」と手渡すときに、兄いがめっちゃくちゃに嫌そうなところ。受け取り超渋々w こういうリアルで細かいところ、好きなんだよなあ。

後半の兄い、各方面に全力のつっこみを求められてて(?)大変そう。この全力感、きっと今の時分だから見られるんじゃないかな〜という気がしていて。これからウン十年ののちに、小はぜさんの「品川心中」はどんなふうに変わるのかな〜なんて想像して、今からとても楽しみでもある。いやいや、今日私が出会う以前から演られていただろうし、通しすら聞いてないだろとセルフつっこみをしつつ。

二ツ目さんの会にちょくちょくお邪魔するようになって、まだ一年半ほど。演者さんの芸の変遷を、こうしてリアルタイムで追いかけていけるというのは、なんとも幸福なことだなあと改めて思うのでした。

そういえば。小はぜさん、万事お控え目でいらっしゃるためか、あまり自分のことを書かれるのがお好きじゃない模様……。
でももう書いちゃったのでw、これくらいのファンの戯言はどうか許していただけますように……!



(ついでのメモログ)

落語会の前に、近松半二展を目当てにエンパクへ寄ったら、三階の常設展の海外伝統芸能枠が、インドネシアの「ワヤン・クリ(影絵人形劇)」と「ワヤン・トペン(仮面劇)」に変わっていて、映像まで見れた至福。嬉しい。

間近で見たワヤン・クリの影絵人形は、鮮やかな色で着色され、かなり精巧な描き込みがされている。影絵なので、上演するときにはせっかくの色彩は隠れ、観客には影しか見えないことになっている。

これ、スクリーンの裏を後世(来世)、前を現世として、現世にいる人間にはその骨格しか見ることができないという考えがもとになっているそう。

この死生観にも大変惹かれるものがあるのだけれど、映し出された現世の視界を眺めるひとたちが、飲み食いしたり寝そべったり(子どもは寝てた)、各々好き勝手に相対しているのが、とても印象的だった。

自分が郷土芸能や祭礼のない土地に生まれ育ったためか、はたまた閉ざされた劇場空間でしか芝居に触れることのなかったもやしっ子だからか、地元のひとが集まっての屋外上演にはすごく憧れがある。そして、観劇の姿勢として、わたしにとってはおそらくこういう自由さが理想なんだなと、改めて思う。

ワヤン・クリにしろ、ワヤン・トペンにしろ、屋外での上演だと、セリフの発し方も節がついたようになり、歌舞劇的な要素も含まれるんだなというのが、日本の芸能とも共通項があり興味深かった。

ワヤン・トペン、キャプションには仮面劇とありながら、直面(ひためん)で出演している人も多かった。あと、魔女と闘う正義の大臣役を女性が、悪魔のせいで我が子を失い慟哭する母を男性が(髭そのまんま!w)やっていたというのも興味深かった。少なくとも二、三十年くらいの年季を感じる映像だったけど、昔から女性も出演していたものなんだろうか。

あとね。仮面の様式として、色で善悪の見分けがつくようになっていて。
善人は緑色、悪人はオレンジか赤か茶か青と書いてあり、悪人だけバリエーションありすぎたのが、ある意味でとても真理だった。

そういうわけでとても楽しかった。おわり。


第6回メモログのメモ:Twitterよりもずっと好き勝手に書いているので、演者さんには嫌がられそうなブログになりつつあるな。それはそうと、お土産にいただいた「こはぜブレンド」をおともにこのポストを書いた。良いルーティーンになりそう(したい)。

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