はん治師匠の清蔵に、理屈でなく胸がきゅんとしてしまいました|柳家はん治一門会

なんだか反省文みたいなタイトル。でも、もうこれに尽きます。尽きるんです。

柳家はん治一門会

三遊亭まんと 牛ほめ
柳家小はぜ  やかん泥
柳家はん治  幾代餅
〜仲入り
柳家小はだ  黄金の大黒
柳家はん治  猫の災難

20230130
池袋演芸場


はん治師匠の「幾代餅」

すっかり「幾代餅」づいていた今年の睦月。この日、はん治師匠版を聴けたのが、わたしにとってはなんとも僥倖でありました。

最近連続で聴いていたためか、わたしの理屈っぽいところがまた誤作動してしまって。
「いくら吉原に嘘と見栄が渦巻いていようが、束の間真心見せられただけで、幾代太夫が清蔵に身を任せてもいいと思えるの、全然ワカラン」って、なりかけておりました……。
これ絶対考えてはいけないやつだ!と頭ではわかっていても、一回引っ掛かってしまうともう考えずにはいられないのが、わたしの面倒臭いところ。。

でもね、はん治師匠の清蔵を見て、「いやもう、理由なんてないよ!直感だよ……!!」って。

師匠としてはご納得のいかない「幾代餅」だったようで、仲入り後陳謝されていましたが、わたしは清蔵の性根をまっすぐ受けとれた気がして、とても好きだなあと思いました。この上なく純粋で、はん治師匠ならではの清蔵。

特に素敵だったのが、恋煩いから一年経ち、貯まったお金の使い途について、旦那に「何を買うんだ」と聞かれて「……おいらん」と答える清蔵。
この「……おいらん」の言い方に、もう、聴いているわたしが(きゅん…)と、してしまった……!
言葉少なに、控えめに、「おいらんに会いたい」という確固とした想いだけがそこにあって。
この人、本当に一年前と変わることなく、花魁に恋してる……!って。

そんなん、もうきゅんしかない。わたしの内なるきゅんが響きわたった。いいか、キュンではない。きゅん、だ。(どうでもいいよ)

花魁の決断に疑問符が立ち上がるまでは、ファンタジーとして普通に聴けていたんです。「幾代餅」。花魁は職業柄、人を見る目は嫌でも磨かれていただろうから、清蔵の人となりをこの短い会話で見抜いたんだろうなと。真心に応えたというのもまぁあったかもしれないなと、男性にとっては非常に都合のいい粋な夢物語なのだろうと、普通に受け止められていた。

ところが、何がきっかけか。
「花魁」という役割を演じている外側の美しさだけを偶像的に崇拝されて、心動かされます? いくらそこに真剣な想いが伴っていようと、相手が見ているのは「偶像」に過ぎないのに、飛び込もうって、いやなれます???! と思ってしまったら、もう止まらなくって。

「清蔵の真心に応えた花魁」というストーリーには、花魁としての意気はあったかもしれないけれど、幾代その人の意思は存在していない。
ましてや、男に惚れられ慣れてる花魁ですよ。今このときの想いの丈がいかほどであろうと、人の心の移ろいやすさも身をもって体感しているだろうに、そうたやすく信じられるものかいな、と。


はん治師匠の清蔵を見つめていたら、この人がほかに類を見ないほど一途なのが伝わってきて。
所詮、この清蔵だって見ていたのは花魁の「偶像」だったかもしれないけど、それでも花魁はこの短い時間のなかで、清蔵の心に、言葉に、信じるに足るなにかを見出せたんだろうなと。
このひとときで相手に“惚れる”とまではいかなくても、逃してはいけない何かを感じたのだろうな、と。そう思えたのであります……。

「幾代餅」で相手を真に“見初めた”のは、幾代太夫のほうだったのかもしれないな。だって、花魁としての「偶像」を脱ぎ捨てた後も、結果は「めでたし、めでたし」だったんだから。
初めてそんな風に思えた「幾代餅」でした。

幾代太夫その人の造形が特別深まっていたわけではないのに、一人の登場人物の魅力が抜きん出て立ち上がると、受けとめかたがこうも変わるものかと、感嘆しました。しかもそれが師匠の魅力そのままなのだから、すごい。落語って本当によくわからなくて、不思議な芸能だなぁ。

(誤解を招きそうなので、一応追記の注意書き)
あくまでも、演者さんが変わることで自分の見えるものまで変わるんだなぁという話であって、噺そのものを批判したいわけではありませんので、悪しからず。もちろん今まで聴いた師匠たちのものだって、好き。
あと、自分が聴くときはどうしても現代的な感覚に寄せて考えてしまいがちですが、すべて現代人の意に沿うように作り変えるべきという考えでもありません。どちらかというと、そういう考え方は、かえって芸能が内包するものを貧しくしてしまうと思っているほうです。
誰も気にしてないかもだけど、気になっちゃったので、蛇足ながら。

* *

さて、一気にタイトル部分をさらってしまいましたが、一門会なので、お弟子さんを含む一門の全員が主役です。前回、赤坂の会で拝見したときもそうでしたが、なぜか兄弟子の方が先に上がる一門会。この日は小はぜさんが掛け持ちだったとはいえ、いつもなのかしら?

小はぜさん「やかん泥」

子分泥ちゃんが親分とのお出かけ(違)にテンション上がってしまうのと、親分に叩かれたときの理屈っぽいリアクションが大好物です。「言うこと聞かなかったから叩くなんて間違ってる!」と主張する泥ちゃん。結構お育ち良さそうなのが、今ここで悪事を働いている状況とちぐはぐで、一層可笑しい。

小はださん「黄金の大黒」

そういえば、はん治師匠も最後は「猫の災難」で、仲入り後はなんだか猫がかわいそうな噺が続きましたね。笑
お鮨のネタで最初っから「鰹」が出たのが印象的だった(そこじゃない)。お鮨のやりとり大好きなんですけど、小はださんのわざと食べちゃう人は、ちょっとぶきっちょそうで、最初から鮨狙いなのが見え見えで可笑しかった。

ご一門ではないけど、前座を務めたまんとさんの「牛ほめ」も楽しくてよかったな。

小はださんは21日に『なんでも鑑定団』に、小はぜさんは25日にNHKのラジオ『NEXT名人寄席』にご出演予定だと、お弟子ズの露出情報を、はん治師匠がメモを片手に嬉しそうに教えてくださいました。尊い。

トリのネタは「猫の災難」。

わたしは古今亭づいていた落語ファンゆえ、「犬の災難」が逆にスタンダードになっておりまして。猫版に生で出会うのは初めて!
鯛のお頭だけ隣の猫ちゃんから下げつかわされるの、熊さんの普段の生活が見えるようで、情けなさが倍増するね。犬版だと、意志の弱さが強調されるんだな、とか、比較できて楽しい。

あと、日頃からズブズブの犬党党員ゆえ、猫の生態に詳しくなく、猫ちゃんが満タンの一升瓶を倒すにはちょっとパワーが足りないのでは? とか思ってしまったのだけど、そんなことないか。猫のほうが器用そうだしな。いや、そこは別にどうでもいいんだけども。

はん治師匠版の熊さん。
ただでさえ不器用そうなこの男が、酔っているところに一升瓶から口の小さい徳利に移そうとして溢しちゃう展開の、「ええ、わかってましたよ」な予定調和感がすごい(笑)。
やっちゃった→開き直りの間にある、戸惑いの色がつよくって、その分、もうどうでもよくなってしまってからの弾けっぷりが楽しかった!

はん治師匠で聴いたことのない二席が聴けて、至福の時間でした。赤坂も池袋も今後は欠かさずお邪魔したい……。



更新が遅れたせいで、お弟子さんズの出演が迫ってきてしまった。忘れないようにメモメモ。楽しみだな〜。

小はださん「なんでも鑑定団」1/21(火)19:49〜

小はぜさん「NEXT名人寄席」1/25(土)13:05〜

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