赤坂小里んを聴く会 第十三回〜二十回まとめの記録

赤坂会館での小里ん師匠の会。
随談が組まれるようになってからお邪魔し始め、今回で7回目になる。

赤坂会館というハコが好きなのもあるのだけれど、だんだんと小里ん師匠のお人柄に触れるこの時間が、わたしの中でじんわり大事なものになってきている気がする。小里ん師匠、かっちょいいんだもんな。

2022年最後の会までのまとめて振り返りの記録。十九回のときに下書きをしていた記事なので、十九回のボリュームがやたらと多いのはご愛嬌。

* * *

第十三回

2021/10/22
り助  出来心
小里ん 随談(小三治師を偲ぶ)
小里ん たらちね
〜仲入り
小里ん 茶の湯

この日が随談の初回になるはずが、小三治師匠の訃報があって間も無くだったこともあり、急遽小三治師匠を偲んでのお話になった。あの人数で聞いて終わりにするのは勿体無いほど、小里ん師匠ならではの思い出話がたっぷりだった。

小里ん師匠の「笠碁」大好き。またどこかで出会いたいな。

第十四回
不参加だったみたい😭碁泥😭

第十五回

2022/2/1
り助 千早振る
小里ん 随談(修業時代)
小里ん 短命
〜仲入り
小里ん おせつ徳三郎

十九回の質問コーナーの「短命」のくだりを聞いて、ああ私も小里ん師匠の「短命」聴いたよなァと思い出しつつ。

わたしはおかみさんが怪獣みたいな「短命」も好きなんだけど、確かにそれがスタンダードになりすぎていて、小里ん師匠版を聴いた時、すごく新鮮だったのを覚えている。
キャラクターの造形を膨らませず、それでいて、ぞんざいな「長屋のおかみさん」であることを十分に感じさせてくれる。

十九回目のお話で、いろんなやり方があっていいと仰っていたけど、ひとつの噺を何人もの噺家がそれぞれのやり方で演じることで、噺に厚みが出てくるようになるのだろうし、後々まで残るものは、いろんな人によって磨き上げられてきたんだよなあと改めて。

第十六回

2022/4/13
り助 猫と金魚
小里ん 随談(二ツ目時代)
小里ん 粗忽長屋
〜仲入り
小里ん 五人廻し

この回。この回のお話がよくって……!それまでも、小里ん師匠のあざやかな記憶から紡ぎ出される数々のエピソードを楽しく聴いていたけど、この日は師匠ご自身の芸人としての筋と、人としての柔らかさの二つの側面をすごく感じて、小里ん師匠をもっと好きになった気がする。
そしてこの会でのり助さん、グランドフィナーレ(前座時代最後のご出演)の日!

これ、本当にそうで。一見怖そうなのに、懐に入れば内側は柔らかくて(いやわたし懐入れさせていただいてないけどw、仲間のことを語るときの言葉がね、もう。っていう想像)、でもやっぱり芯にはしっかり筋が通ってる。憧れちゃうよね。憧れちゃうのよ。

第十七回

2022/6/24
小ふね 熊の皮
小里ん へっつい幽霊
師弟座談会(小里ん、小もん、小ふね)
〜仲入り
小里ん 居残り佐平次

小ふねさんの二ツ目昇進を記念して、随談ではなく、お弟子さんとお話しする座談会に。
みんなメガネだった。

第十八回

2022/8/24
小もん 弥次郎
小里ん 随談(小さん高弟の思い出)
小里ん ちりとてちん
〜仲入り
小里ん 大山詣り

小もんさんの会でだったか、小里ん一門は楽屋の飲み物は冷やでイッキの一択だと聞いた気がするんだけど(こぼしたりするといけないから早く下げたいらしい)。この日、高座に出された湯呑みを小里ん師匠がサッとあおって、すぐに下げさせていたので、「まじだ……!」と思ったという、すごくくだらない記憶を残させてくださいw

それと「ちりとてちん」で小里ん師匠のお耳が前後に動いたのを、わたしは確かに見たぞ!
小里ん師匠の「大山詣り」は、偶然頭に触れてトゥルンッと滑るのではなく、女中さんに指摘されて確かめるタイプだったはず。

第十九回

2022/10/20
小ふね 粗忽長屋
お尋ねに答えて(小里ん、聞き手:小もん)
小里ん 悋気の独楽
〜仲入り
小里ん 三軒長屋

この日は隋談ではなく「お尋ねに答えて」というお客さんからの質問に答えるコーナー。聞き手は小もんさん。小もんさんの相槌や進行への配慮を八割方スルーして喋り続ける小里ん師匠w しっかり者な印象の小もんさんも、師匠を前にペースを乱されぎみで、おもしろい。

〜「お尋ねに答えて」炎上沙汰(?)にならない程度にめもめも〜

  • 「二人旅」のおはなし

    • 「二人旅」から「長者番付」には続けられるけど、「万金丹」には基本つなげない。旅の装いが違う。「二人旅」は比較的懐に余裕のある長閑な旅。「万金丹」はもっと切羽詰まっている。江戸にいられなくなったような連中の噺。

    • 前座噺だって、むつかしい。全部むつかしい。(そりゃそうだ)

    • 旅の噺は時間の調節がしやすいので寄席で重宝する。

    • どなたかのコメントに同意しつつ、旅の噺を面白く聞かせられるような高座を務められたら、そういうところを目指せたら、いいよね。

  • 「短命」のおはなし

    • 笑わせるための膨らませ方はしていない。

    • サゲが大事。

    • 五代目小さんの「短命」はお椀を放り投げなくっても、ポンと置くだけで笑いが起きた。おかみさんの色気のなさが伝われば、大袈裟にしなくても面白い。何度聴いても笑えてしまう凄さ。

    • くすぐりを増やして爆笑の噺にすることを否定しているわけではない。どちらもあっていい。好みの問題。

    • いろんな演者が、いろんな演じ方をして、噺は残るものになる。

  • 人の高座で好きな噺

    • ライブで観たもので深く心に刻まれているのは、人形町末廣で聴いた五代目小さんの「蔵前駕籠」と「笠碁」。

    • いつか人形町末廣でトリをとるのが夢だったが、見習いの時になくなってしまった。楽屋働きも叶わなかった。

    • 寄席に通っていた時分、実は噺家についてメモを取ったりしていたタイプの客。メモは入門してから全て燃やした。

    • (雲助師匠の名前が出て嬉しいわたし)

    • (さん喬師匠の滑稽噺の話に激しく同意するわたし)

  • お弟子さんの育成について

    • 自分の知っていることは全て教えるつもりだが、責任は取らないし、取れないので(どんなに技量が達者でも人気が出なければそれまで、「うちの子の方が上手なのに!」は通用しない)、最初に親御さんにもそれを話す。

    • カタギの商売ではない。その了見を忘れてはいけない。

    • 五代目小さんは弟子が「この商売で食っていられること」をとても喜んでいた。

  • 八十代に向けて

    • 特にしんみりした内容ではなかったはずなのだけど、文字にするとなんかしんみりしちゃうので、やめといた。(小もんさん小ふねさんが真打になるまで、まだ先は長いですよ、師匠)

第二十回

2022/12/20
小もん 四段目
小里ん 随談(小さんおもいで)
小里ん 首提灯
〜仲入り
小里ん 寝床

随談は再び小さん師匠とおかみさんの思い出を。大食いエピソードは以前の回でも軽く伺っていたと思うのだけど、やっぱり笑ってしまう。「食い物には苦労させられました」って何度もおっしゃっていたので、本当に大変だったんだろうな。
それにしても苦労の種類が普通と逆!

おかみさんも大変に情の深い方だったと。「荷物まとめたら夫婦だっておしまいだよ」というおかみさんの言葉、いいなあ。そして破門を申し渡した後に芸名で呼んでもらえないの、むちゃくちゃ怖くていたたまれない。

前方は前回に続き小もんさん。小もんさん、ご自身が出演の回以外も必ず楽屋にいらしていて(お見かけするのだ)えらいなあ。

この日は16年ぶり、人前で演るのは二度目という「首提灯」を聴けてしまった!
「胴斬り」みたいな小咄(?)が短めにくっついてから噺に入ったので、さらに得した気分。
わたくし、「首提灯」や「犬の目」を聴いていると「ウィーーーー」となって、その部位を守りたくなるんだけど(胴切りはもはや人格が生まれているから平気)、小里ん師匠が演られていると、転がりやすそうな首だな、なんて、なんだかわらけてしまう(でもこわい)。

音痴のまくらから入ったのは「寝床」。今まで聴いたことのあるどなたのものとも違って、とてもよかったー。

小里ん師匠の旦那は、怒って湯気ピーピーの段階よりも、おだてられて徐々にボルテージが上がっていく感じがなんとも魅力的。
提灯屋さん、豆腐屋さんと旦那が直接話すの、わたし初めて聴いた気がするんだけど、柳家はそうなのかな? ニコニコーって、もう可愛いの。そりゃたっぷり演る気にもなるわい。

重蔵の報告を受けて拗ねていくときも、番頭さんの取りなしで機嫌を直すときも、くどいやりとりはなく、感情の振れ幅もオーバーにはならない。普段は太っ腹で「いい旦那」なのが体現されていて、こういう普通の人たちを狂わせてしまうから、義太夫は恐ろしいんだなって思った(え?)。

あとね、流れ義太夫に当たると、人間の体には青アザができるそうです。物理的な被害あるの。笑

* * *

二十回まで振り返りおわり。

小里ん師匠のお話にはエピソードがたくさん詰まっているけど、決して大きな起承転結があるわけでなく、淡々とオムニバス形式的にお話になっているのに、すごく面白いのはなぜだろう。
ほとんど見聞きしたことのない場所のお話も多いのに、なぜかひとつひとつの風景が目に浮かぶ。いや、そもそも話のプロに向かってそんなことを思うのが失礼なのかもしれないけど。

師匠ご自身にとって記憶が鮮明であることも、理由のひとつなのだろうな。そんな宝物のような思い出の数々を、こうして分けてくださるのがありがたいし、本当に素敵な機会をいただいてる。

その人が見ているものを通して、その人の一端を、内側を、少しずつ知っていく感じ。小里ん師匠の高座には、等身大の人としての魅力が率直に乗っている感じがして、随談も落語もとても味わい深いなと改めて。

↑『東京かわら版』2022年7月号「築コレ」で
小もんさんが師匠について書かれていたのが
とても良かったー。


次はどんな話と噺を聴けるかなー。


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