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「文章素人」の分際で毎日ブログを書き続けるのに欠かせない「ふてぶてしさ」について

いわゆる「寝てない自慢」についての悪評判がウェブ上でこれだけ反復流通されているのにもかかわらずいまだに「昨日二時間しか寝てなくてさ」なんて無邪気素朴にこぼしたがる人がいることに、私のような常識人はやはり吃驚してしまうわけです。ある種の心性を持つ人たちの間ではもうこれは挨拶みたいなものなのだろうか。なんて野暮な自分語りが一般化してしまったものだろう。それならまだ「最近勃たなくてさ」なんてもののほうがマシですね。

俗人との関わりが今よりもあった時分、いわゆる「連勤自慢」というものにもよく接しました。「八連勤でまじきついわ、給料も糞安いし」なんて。「あいついま二十連勤中らしいぜ、みんな大変だよな」なんて間接的な「自慢」さえよく耳に届いた。私は大学中退以来ほとんど親のスネをかじりながら自室あるいは図書館で本ばかり読んでいるものだから「連勤のきつさ」というものが肉感的に分からない。貴族には下層民の苦労が分からないのだ。わざわざ苦労なんかしたくないじゃないですか。それゆえ私のなかのマリーアントワネットは「連勤がきついなら一か月くらいバカンスを取ればいいのに」とつぶやくばかりなのです。ただ人間研究の一環として、隙あらば「連勤自慢」をやりたがる男たちの心理傾向についてはいずれ研究したい。私は人間とはあまり関わりたくないが、人間の生態を多角的に観察したり分析したりするのは好きなのだ(これまでもっとも観察・分析の対象としてきたのは他ならぬ「私」なんだけど)。
日日「叡智」のみを追い求めている私の如き高等遊民にとって「連勤自慢」の男たちは「会社に都合よく酷使されていること以外に自分の存在意義を見出せない」気の毒な存在だ。当人が自分のことをどう規定していようと私にはやはり痛々しく憐れに映る。忙しくてろくに本も読めない社畜さんがたのなかに「革命思想から遠ざけられているせいで主人に反乱を起こす動機さえ見出せない奴隷」の悲惨を見てしまう。「不条理を不条理と感じる感性をもすっかり摩耗させてしまった虚ろな労働機械」を見てしまう。
だから私は連勤自慢の社畜さんがたに対してはいつも、「連勤して頑張ってるのをねぎらってほしいんだね、よしよし、君は世の中に必要とされているんだよ」と頭をなでなでしながら菩薩的な微笑みを浮かべるようにしている。社畜さんがたに「連勤自慢」をさせる根本動機のひとつが「僕ちゃんのこともっと褒めてよ、こんなに汗水垂らしてるんだから」といういたいけな承認欲求であることを知らないわけではないし、無明のなかにある憐れな衆生の底意を汲み取ってあげることも菩薩道の一環だと思っているからだ。
ただ働きたいけどどうしても働けない中途半端に怠惰で無能な人たちに「連勤自慢」は止した方がいいとは思うよ。そんな鬱屈した人間たちにとっては他人のどんなにさりげない「連勤自慢」も即「俺は忙しいんだよね、君とは違って」と脳内転換されてしまい両者の間に不穏な空気がただよいはじめるのは必定だから。仕事や月々の支払いに追われている人々はだいたいにおいて「心に余裕」がありません。「なんで俺だけ」「なんで私だけ」といった頑是ない自己憐憫意識が根深くある。それがだんだんと濁り発酵・変質・膨張しどうにも自己内に保つことができなくなるといずれそれは被害者意識として発現し他人に向かうことになる。因果上、自己憐憫と他責行動の間には径庭がないのだ。だからこそ私は他人の自己憐憫を優しく受容するのである。それがやがて他者への無闇な敵意に変質しないように。

長く何も書かないと筆鋒が鈍くなのでブログは毎日付けたほうがいいかも知れない。しつこい、ふてぶてしいと思われても構いません。なんであれ「素人」の最大の強みは「おのれの無才を棚に上げられること」にあるからです。

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