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集合住宅はもう嫌じゃ

ひじょうにすこぶる辛いのに周りに誰もいないときは、書くに限ると思います。もしまいにち辛いならまいにち書くのがいいでしょう。愚痴でも自慢でもまいにち書く「ネタ」がある人は哀歓こもごも「豊か」な日々を送っていると自負してもいいのではないですか。
誰も読んでいなくてもいいのです。というかあまり多くの人が読んでいないから、勝手気ままに書けるのです。気難しい批評家や眼光鋭い皮肉屋の存在を意識していては、書けるものも書けない。
ウンチだって人の存在を近くに意識しすぎると出ないね。緊張は多くの場合、表現活力を阻害するのです。

いま居住している安普請の集合住宅の、そのワンルームの乾式戸境壁は、実にいろいろのものを通す。隣人の屁やアクビの音はもちろん、僕の忌み嫌うタバコのニオイまでお通りになる。そのうち電車だって通りかねない。
向こう三軒両隣のコミュニティ感覚が残っていた時代はともかく、「他人は基本的にノイズ」との対他意識が行き渡っている今日にあって、集合住宅に住むということはあらゆる面で自分をますます不幸にすることだ。
私はもう二度と、集合住宅には住みたくない。住みとうない。余は嫌じゃ。
少子化甚だしい昨今の、空き屋が八百万戸以上あると報告されているこの日本で、どうして赤の他人の息づかいを感じながら生活しないといけないのだろう。上階のクソガキの足音にいちいち舌打ちしないといけないのか。

建築コストをギリギリにまで落として賃貸経営の収益率を最大化させたい施工主どもに怒りをぶつけても詮無い。住宅メーカーであれ家主であれ、慈善家ではない。資本家だ。利益こそが唯一の目的なんだ。まして、おのれらが住むわけじゃない。中の遮音性能に神経を費やすはずもない。
こいつらの貸し出す物件に住むのはいつも、高額の家賃を支払えない低所得者ばかり。文句たれたれ、世を憂えながら、酒をくらう下層民。
あらゆる集合住宅は爆発しろ。

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