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晴天の日曜日

フォロワー数の多いブログやnoteは所詮、精神生活のさりげない指針だったり、知的ライフスタイルのあっさりとした提案などおしつけがましくない説教あたりがその主たる記事で、日がな一日、都会を彷徨しているスマホ片手の心優しい賢明な若者たちに支持されているようである、とのそんなSNS必勝記事をどこかで読んだ気もしたりしなかったり、でそれっぽいタイトル「晴天の日曜の朝はベランダの掃除をして気を取りこもう」と冠してみたが、わざとらしいのでやめましたという枕詞。

さて私、重畳たる山々に囲まれた、とある地方都市に居住しております。以前も書きましたが、人間とサルとイノシシと熊と最近はシカまでが、この地の主は一体誰なのかという居住権を争っているような、辺鄙な町なのです。先住権を主張しているのはサルですね。ですから横浜で「よみがえる沖縄1935」展をみて茅ヶ崎のムラサキスポーツに行こうと企図しても、けっこうな額のお金を払って新幹線に揺られ(いまどき揺れないけど)都会へと行かなくてはなりませんので、今週末の予報は雨天曇天などと聞くと、二の足を踏むという小心者です。ところが蓋を開けてみるならぬ、窓を開けてみると本日晴天。ちっ!こんな日はベランダに座布団と小机を出し、家庭菜園のキュウリの花を愛でつつ、ゴロゴロしてからのコーヒーなめなめパピコちゅうちゅうしながら読書をしています。(上の写真参照)

以下三冊を読書中。

八原博道 「沖縄決戦」
与那原恵 「帰る家もなく」「サウストゥサウス」

八原博道は沖縄戦を主導した第32軍の高級参謀(大佐)であり、その後ベトナム戦争で解放戦線側の戦術になった「戦略持久、遅滞戦闘」を構築した軍人として後世に名を残した人です。現代の平和社会の価値基準で八原の沖縄戦でとった戦術を論評しようとすると、そもそもすべてがナンセンスなものとして結尾してしまうのですが、組織論としてそれまでの日本軍の戦闘方式、先攻奇襲突撃型と徴してみると、数倍の戦力をもって攻撃してくる敵と戦うには築城寝技攻撃しかないとした八原の戦術は、今こうして読み進めてみれば、甚だ失礼ながら「面白い」のです。私のライフワークと勝手に決めている、太平洋戦争後半において日本陸軍はどう戦いどう敗退していったのかという組織としての動向を知る上で貴重な一冊といえますね。

与那原恵は、昭和初期に沖縄文化を徹底取材記録し日本政府に首里城の保護を要請した事で知られる「鎌倉芳太郎」を紹介した本「首里城への道」を書いたライターです。詳細なメモで埋められた「鎌倉ノート」に余りに感動しすぎた私は自分のノートに「ちくわ(私の姓)ノート」と名前をつけたくらい鎌倉の生涯に強い影響を受けましたね。つまり鎌倉芳太郎を知って、戦前の沖縄文化に興味を持ち、読書の方向を変えたと言う意味で、有害図書(笑)なのです。青少年有害図書ではなく初老中年有害図書。
ついでに与那原恵の「まれびとたちの沖縄」も私の趣向を狂わせた有害図書として登録しておきたい。

先ほどから書いている「よみがえる沖縄1935」のHPを見つけました。
これです。(加工前のモノクロ)
東京大学の渡邊先生のツイートから見つけました。素晴らしい以外に言葉が見つかりませんね。お金をかけて横浜へ行く必要がなくなってしまいましたね。鎌倉芳太郎の撮った昭和初期の写真もAIカラー化してみせていただきたいものですね。ぜひ。

では、若者たちにおかれては一生懸命勉強するがよし!


追記 鎌倉芳太郎の撮った首里城は昭和初期の朽ち始めた物であり、なおかつ昭和8年の改修工事では朱色の漆を塗らなかったので、例えカラー化されても今の首里城の神々しさを期待してはいけませんよ。