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「津軽」に思いを馳せて


はじめに
ふと点けたテレビでは、ウクライナの戦争やパレスチナの戦争を映し出したあと、最後に、街角で女性が「今の私達は世界がまさに目前で壊れていくさまを見ているのではないか、人類は何も学ばないと言うことが分かった。」とインタビューに答えていた。
この日本でも、北陸地震に潰れた家屋の中で、まだたくさんの人たちが残されている、支援も届かないという、叫びと嗚咽が詰まった惨状を見せている。
どれもが余りに切ない。テレビのこちらで、リンゴを齧りながらそれを見ている自分も、なんだか間抜けで情けなくなる。

津軽
さて、冬が来て、すると年の瀬が来て、私はまた太宰治を読み始めた。
と言うのには理由があって、私の働いている会社はその業種からか年末年始がヒマだからなのである。ところが社長ときたら連続休みなどの粋な取り計らいをしてはくれず、依って有給をとらない限りは出社せねばならない。
で、出社しても大してする事がないので、こっそりと、作業場の隅に隠れて、周囲を警戒しつつ、持ってきた本を(タブレットを)そっと開くのである。
「勤務時間中コソ読み」という、上司に見つかったら見えない×印が背中に書かれてしまうという、会社員生命を賭けたシビアな時間(笑)、やはり結局は定番の太宰治全集しかないのである。「富士には月見草がよく似合う」のではなくて「勤務時間中コゾ読みに太宰治がよく似合う」

ところで、あなたは太宰治の作品の中ではなにがお好きだろうか?私がフォローさせて貰っている花野ちゃんは「富嶽百景」を推していたのだが、私は、代表作「人間失格」は別格として神棚に祭っておいても、「思ひ出」、「東京八景」、「お伽草紙」、「桜桃」、「津軽」、あたりを推したいと思うておる。

そんな私は、勤務時間中のコソ読み作品として、今回「津軽」を読み始めた。コソ読みだけですでに半分くらい読んじゃった(笑)。

実は、私は、あるひとつの旅行を夢見ていて、それは前回、新幹線と在来線を乗り継いで行った、青森県五所川原市金木にある太宰の生家を、今度は車に乗って行ってみようというものだ。
私のもう一つの趣味はキャンプなんだけど、なんと太宰の生家の近く芦野公園に、それはそれは素敵なキャンプ場があるというではないか。しかも無料。そこを数日の間、旅の宿として、太宰の生家はもちろんのこと、太宰ゆかりの場所を訪ねて見ようかと思っているのだ。
私の住む街も十分に雪が降る。今朝も15センチほど積もっていたけれど、太宰のふるさと青森県五所川原市金木あたりはもっと降るのだろう。しかももっと寒い。だから私は、太宰が津軽を旅したときと季節を同じにして、五月中旬にしたら、きっときっと素敵だろうと考えている。でも、今の仕事環境下では実現できそうにないんで、自由になる来年春以降ということになるけど。

まあそんなこんなで、これから書くnote 記事のいくつかは太宰治関連になるけれど、、、
でも、なぜこんなじじいのおれが、いまだ太宰治に夢中になっているのか、そこがわからない!!
太宰治やべえ!

では股!