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バティック−手作業に込めるインドネシアの情熱−


現在、書斎ギャラリーでは2月4日から始まるデザインウィーク「NIIGATAくらしめぐり」に向け準備が進んでいる。このイベントは新潟市にあるインテリアショップとギャラリーの計6店舗が連携して「愛でる暮らしのつくり方」という1つのテーマで各会場で企画展を行うという、ちょっと(いやかなり)面白いイベントだ。

各店舗で暮らしに自然と馴染むインテリアやアートを手にして頂けるもので、当ギャラリーでは世界遺産に登録されているインドネシアの伝統布「バティック」を紹介する。

当ギャラリーで紹介するバティックは世界に認められたインドネシアの工房「BIN house」で制作されたものだが、広報の意味を込めて現在開催中の「アラベスク絨毯 新入荷展」で4点ほど展示している。(この展示につきまして、バティックや資料をお送りくださったBIN house Japan様に心より感謝申し上げます!)


かざせば向こうが透けるほどのシルク生地にろうけつ染で染色を施したバティック。その薄い生地の裏面と表面でほんの少しデザインを変えている。「どうやってこんなに繊細な模様を付けられるのか」と心の底から驚いた。
そして何より、バティックの美しさと手触りの良さに一気に惹き込まれた。実際にギャラリーに来場されるお客様もほぼ必ず目に留める。

今回のnoteでは、日本ではまだメジャーといわれるほどではないインドネシアの伝統布・バティックを紹介する。


インドネシアの全体地図(googlemapより)


◇バティックの生まれた国 インドネシア

日本から南へ約5000kmの位置にある、18,000にも及ぶ島の集合体であるインドネシア。
熱帯に属し1年を通して湿度の高い地域である。

国教はないがイスラム教・キリスト教のカトリックまたはプロテスタント・ヒンズー教・仏教・儒教など国が認めた6つの宗教のいずれかの信仰が義務付けられており、その大部分がイスラム教をしめる。


◇バティックとは?

そもそもバティックとは「ろうけつ染」を用いたインドネシアの伝統布のことである。

ろうけつ染とは一言で表すと「布を染色をする際に、染めたくない部分に溶かしたロウを塗ってロウ以外の部分を染める」技法のこと。

ロウを布に乗せるという発想が斬新で驚くが、技法が生まれたのは2〜3世紀の中国(春秋時代)といわれている。中国の新疆ウイグル地区の精絶国遺跡から綿布をロウで染めたものが発見されたのが根拠だが、諸説あり現代でも断定ではできない。
中国の少数部族が技術を代々受け継いだが、その流れの中で世界に広まったと考えられる。

16〜17世紀、シルクロードによって世界の西側と東側の交流が活発になった中でヨーロッパへ広まり、さらに世界へ広がった。

筆にロウをつけて布地にデザインを施したり、キセルに似た形のチャンチンという道具で線を描いたりする。チャンチンの口はかなり細いので線を自在に調整でき、まるで絵画のようにデザインを布地の上に描き出せる。


チャンチン全体像。全長10cmくらい。


チャンチンの口の部分。
曲がってしまったが、本来はこの口がまっすぐになっていてそれゆえ真っ直ぐな細い線が描ける。


溶かしたロウを布地に塗るので、言わずもがな、熱い。
香炉のようなコンロの上に鍋を置きそこにロウを入れて、ロウを固めないように熱しながら作業する。

何人もの職人が集まる工房で作業するのだから、もちろん場所自体もかなり暑い。
熱い工房の中で常に熱いものを手のひらに乗せながら、私たちの想像を遥かに超える過酷さの中でバティックは生まれるのだ。


鍋の液体がロウ
どんなに暑くても肌を出している人と肌が隠れているのは宗教の違いだろうか


余談だが、バティックは精神修行と例えられることがある。この環境下で制作するのだから「確かに」と納得してしまう。


手描きバティック(バティック・トゥリウス)

作成方法は主に4種類あり、その地域ごとに使う方法が変わる。
先ほど紹介したチャンチンを使う「手描きバティック(バティック・トゥリス)」という方法は、BIN houseのあるジャカルタで一般的に使われる技法だ。

この他に
・型押しバティック(バティック・チャップ)
 銅のスタンプにロウを塗り布地に押し当てていく方法
・プリントバティック
 スクリーン印刷で布にプリントする方法
・コンビネーション・バティック(バティック・コンビナシ)
 手書きバティックと型押しバティックを合わせた方法

などがある。手書きバティック以外は量産が可能なので販売価格も安価で、気軽に手に取ることができる。

型押しバティック(バティック・チャップ)
これを見てウイリアムモリスの壁紙を思い出した


◇インドネシアでの発展とインドバティックとの比較


インドネシアのバティックは2009年に世界無形文化遺産に認定された。
その理由は、「インドネシア独自の文化的象徴であり深淵な哲学に基づくものとして評価を得たもの」といわれている。

先に述べたが、バティックは中国が発祥でその後世界に広がった。現在ではインドネシアのものが有名だが、少し前まではインドのバティックが一般的には認知度があった。
17世紀以降にヨーロッパ各地でインドのバティックがブームとなったからだろうか。

ちなみにこのブームが各国の伝統織物を食い潰すほどだったらしく、フランス・イギリス・スペインでは18世紀前後にインドバティックの輸入禁止令が出されたほどだった。

インド国内で作られたバティックはインド国内ではなく世界で使われること(=輸出されること)でその存在が認められていた。つまり、18世紀前後に各国で制限を受けたことにより需要がなくなり衰退していったのだ。


それとは逆にインドネシアではバティックが庶民の暮らしに浸透し伝統技術を持ちつつ現在の暮らしに根付いたという歴史がある。

元々は17世紀に伝播し、王宮の女性の手仕事として発展した。そのため王族やその関係者が身につけるものとして布自体の強度や美しさが磨かれ、上質な布として発展していった。

18世紀にオランダの統治下にあったインドネシアではオランダで販売するようにヨーロッパのデザインで染められるようになった。
インドネシアの伝統である幾何学柄にオランダの新たなデザイン要素が加わったことでバティックの美しさは深みを増した。

徐々に一般市民にもバティックが広まり、衣類や生活道具として国内での需要が確固たるものとなった。

ここがインドバティックとの大きな違いである。

もちろん、国内での需要があっただけでは世界遺産にはならない。
インドネシアのバティックも、時代が進むにつれて機械化が進み伝統技術消滅の危機があった。
そこで立ち上がったのが、BIN house創設者のジョセフィーヌ W.コマラ氏である。(BIN houseについては別の機会にしっかりと紹介したいと考えているのでぜひ楽しみにお待ち頂ければと思う。)

コマラ氏によりバティックの伝統技術を持った職人がジャワ島に集まり、現代のデザインを取り入れながらその技術を守り現在につなげた。
一人の女性の情熱と行動により布自体の美しさだけでなく技術の価値が認められることとなり、世界遺産の認定へと繋がったのだ。

横1m弱・縦2mほどが一般的なサイズ。軽いのでストールとして使っても首や肩に負担にならない


布の質感とえんじ色がとても良い雰囲気を醸し出している


当ギャラリーでは2/4から26日にかけて、BIN houseの約60点のバティックを展示する。
予定としてイカットという絣織物も展示するので、この機会にぜひインドネシアのバティックとイカットを通して世界の伝統技術を感じて頂きたい。





執筆者/学芸員 尾崎美幸(三方舎)
《略歴》
新潟国際情報大学卒
京都造形芸術大学(現・京都芸術大学)通信教育学部卒
写真家として活動
2007年 東京自由が丘のギャラリーにて「この素晴らしき世界展」出品
2012年 個展 よりそい 新潟西区
2018年 個展 ギャラリーHaRu 高知市
2019年 個展 ギャラリー喫茶556 四万十町
アートギャラリーのらごや(新潟市北区)
T-Base-Life(新潟市中央区) など様々なギャラリーでの展示多数
その他
・新潟市西区自治協議会 
写真家の活動とは別に執筆活動や地域づくりの活動に多数参加。
地域紹介を目的とした冊子「まちめぐり」に撮影で参加。
NPOにて執筆活動
2019年より新たに活動の場を広げるべく三方舎入社販売やギャラリーのキュレーターを主な仕事とする。

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