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それでも私たちは、美を目の当たりにする

『宇宙は美しくある必要はありません。
けれども美しいのです。
 
このことを確認した上で考えてみると、
この世界の美は、
あらゆる災禍にもかかわらず、
同様の一つの謎であるように
思われるのです。
 
私たち自身の存在に対して、
美が存在するということは、
何を意味するのでしょうか?』

– フランソワ・チェン
美についての五つの瞑想」内山憲一訳

人が何かを美しいと思う力は
とても根源的な人間性であると思います。

最近読んだこの本から得た、
大きな問。

たしかに、「美」の必要性というのは明らかではない。
美しさに欠く世界観や生き方であっても、
それがすぐさま存続の危機に関わるというものではない。

けれどもなぜ、私達はなにかに美を感じるのか。
そしてなぜ、一人ひとり違ったものに美を見出すのか。
なぜ美を思い求め、それに恋い焦がれるのか。

同じ本の中で、チェンは古代の哲学者プロティノスの考えを次のように説明しています。

愛は美の一部であり、その至高の状態を構成します。なぜならば、美が命を与えるあらゆる形相の彼方で、この愛が望むものは、見える美の源である見えない光だからです。

「美についての五つの瞑想」フランソワ・チェン
内山憲一訳

この部分だけを取り出すと、さらに難解かもしれません。
ですが、なんとなく分かるような気もします。

何かを本当に愛しいと思う時、ある種必然的に、
私達はその対象の中に美を見出しています。
けれどももしかしたら、美を見出したからこそ、
愛しいと思うのかもしれない。

美しいと感じる先に、愛があるのだとしたら、
その感性を豊かにしていくことが、愛に満ちた世界を作るのではないか。

私は、一人ひとりの感性を開いていきたい、
それぞれの美しさを伝えていってほしい、
と願いながら、
今日も言葉を発します。

あなたの世界が、美しい発見で満ち溢れていますように。

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