表現の自由の保障根拠(自己実現の価値・自己統治の価値)

閲覧ありがとうございます。法学系院生(仮称)です。

今回は、表現の自由の保障根拠について分かりやすく説明したいと思います。

■そもそも表現の自由とは?

早速ですが、表現の自由とは何なのかという説明から始めたいと思います。とても当たり前のことを言うようでで恐縮ですが、表現の自由とは「表現をする権利」です。ここでいう「表現」とは、どこかで特定人や不特定多数に対してスピーチしたり道端でビラを配ったりなど、何らかの思想や情報を人に伝達する行為(表現行為)のおよそ全てがこれに当たります。

■表現の自由はなぜ保障されるのか?

では、なぜ憲法は21条1項という表現の自由についての個別の保障規定を置いたのでしょうか。これが保障根拠の話です。

これについては、「表現の自由には自己実現の価値自己統治の価値があるからだ」という既に確立した説明がされています。

しかし、自己実現の価値とか自己統治の価値とかの抽象的な言葉を言われてもそれが何を指すのかはよくわからないですよね。また、それを憲法の教科書などで調べてもなんか抽象的な小難しい説明が書いてあってよく分からなかったという人も少なくないのではないかと思います。かつての私もそうでした。そこで、この自己実現の価値と自己統治の価値をわかりやすく説明するのがこの記事を書いたメインの目的なのです。

そこで、今からそれについて説明するわけなのですが、憲法の教科書のこの部分を開いてみるとまず自己実現の価値から説明している本が多いと思いますけど、私は自己統治の価値から説明する方が分かりやすいのではないかと思います。

自己統治の価値とは、要するに、表現の自由はそれを認めることが個人の利益になるだけではなくて社会全体の利益にもなる、ということを指してるのです。ここで大事なのはここでいう社会全体の利益がどういう内容なのかなのです。ここでいう社会全体の利益になるというのは、みんなに表現の自由を認めておけば民主主義社会が上手く機能するということです。民主主義社会というのは、適格な人を選挙の投票で選んで代表として国会に送り込み、そこでの議論を通じて社会にとって中長期的な利益となる政策を決めてもらう、という社会のモデルのことをいうというのはご存知のことだと思います。それが上手く機能するためには具体的に誰に投票すべきかを判断するための判断材料だったりそもそも一般的にどういう人に投票すべきかについての価値観だったりを国民が持っていることが必要です。また、国会での議論も色んな判断材料としての情報を持って始めて上手く機能します。

ここで、表現の自由を保障しておくと、色んな思想や情報が世の中に出回ることになって、政策や投票する人を決めるための判断材料としての情報を得ることができたり、ある問題についての議論とか思想・考え方が洗練されていくなど、民主主義社会にとって、とってもいいことが起こるわけです。

また反対に、表現の自由が保障されていないと、(権力者が政治家を通じて自分に都合の悪い表現を禁止したりするなど)経済力や権力が強い人のための思想とか表現ばかりが出回るようになって、思想や議論が洗練されていったり色んな情報をもとに社会全体の利益のための政策を決めることができる、という民主主義社会の良いところがなくなってしまいます。

このように、表現の自由が民主主義社会がうまく回るための条件として機能していることを指して、憲法学では「表現の自由には自己統治の価値がある」と言うのです。自己統治の価値という言葉を見ただけではそういう意味があるとはよく分からないと思いますが、自己統治の「自己」が自分という個人ではなく、社会の構成員全体を指す「自己」と捉えれば少しは分かりやすくなるかなと思います。

そして、このような自己統治の価値があるからこそ表現の自由は厚く保障される=裁判所が厳しく審査するわけです。つまり、表現の自由が不当に侵害されると民主主義社会が上手く機能しなくなるので、国会を通じてそのような表現の自由を不当に侵害するような法律を是正することは難しくなります。ですから、表現の自由が不当に侵害されるような法律は司法を通じて是正するしかないので、裁判所が厳しく審査すべきだということになります。(反対に、経済的自由の規制は民主主義の仕組みを通じて是正することが出来るので裁判所はあまり厳しく審査する必要はないということになります)。これはいわゆる二重の基準論の内容にもなっています。

自己統治の説明としては以上になります。

自己実現の価値についても簡単に説明しておくと、これは自己統治の価値が社会全体の利益に着目したものであることと対照的に、表現行為が行為者や受け手の個人的な利益になることに着目したものと理解しておくのが良いと思います。これはたとえば、知らないことを知れて嬉しいとか、色んな人に自分の意見を知ってもらえて嬉しい・自分の成長になるとか、表現の自由のそういう面のことを指しています。

ですが、自分の利益になるというのは、職業選択の自由で自分がなりたい職業になれて嬉しい・成長できるなど、表現の自由に限らずおよそほとんどの憲法上の権利について言えることです。ですから、これは表現の自由の特別性を支える根拠にはなっていないので、それほど重要視する必要はないと言ってもいいでしょう。

繰り返しになりますがここで何より押さえておくべき大事なことは、みんななに表現の自由を認めることが社会全体の利益になり、民主主義社会が機能するために不可欠である(=表現の自由に自己統治の価値がある)ということなのです。


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関連記事として、内容規制と内容中立規制の区別のポイントについて記載したものが以下となります。


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