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定期的に北海道を旅する

とはいえこの2022‐2023Winterに3回行ったというだけの話ですが。

マガジンタイトルも「北海道」たまらんなあということであって、また北海道に行ってきました。2月末のことです。
しかし今回は「観光」らしいことがほとんどまるでできませんでした。できません、と言うと否定的なニュアンスがあるので、書き方を変えれば、「やらなかった」ともいえます。ただし移動はしました。十分に移動したので、移動する目的で旅をしているのであれば、それは目的を達成したといえるでしょう。なにが目的か、などは人によりシチュエーションにより様々です。おまけに一つの旅の中でさえも、目的はすり変わって入れ変わって入れ子になり成り変わり、展開し変転していきます。

今回の旅の中で入れ変わっていく感じを列挙すると
・ゲストハウスは素晴らしい(最近そう思っていたけれど)
・北海道の各空港はそれぞれがそれぞれの味をしている
・知床のもつ旅行先としてのバリューの大きさ
・釧網本線の大混雑
・摩周エリアの未知の魅力
・釧路市
・中標津空港へのアクセス
・中標津という街

こんなことを考えていましたがこの記事の頭の写真は、斜里市街地の風景です。吹雪になっています(写真を拡大すると、風に舞う雪のつぶも見えると思います)。斜里町は「鮭」の水揚げは北海道内でナンバー1だそうです。それを誇る看板などが漁港周辺にありました。フィッシャーマンズ・プライド、といった標語もありました。
 
さて斜里のまちはどうなっているのでしょうか。私は、ひょっとしたら流氷がみられるのではないかと思い、マップで確認して海の方面へと歩いてみました。駅から港へはすぐ近く、しかし吹雪です。歩いている人は駅の周辺にはいるものの、港にいくともう誰もいません。ダンプが行違うだけの風景です。そして吹雪です。顔にメガネに雪がふりつけます。港は波から船を保護するために囲う形になっており、人間の立つところからちょくせつ外海は見えず、遠くなっています。構造としては当たり前ですね。そういうわけで流氷は接岸していたのかどうかわからず、見えませんでした。

以前に紋別にいって流氷観光船に乗ったこともあるのですが、そのときも流氷は接岸せず遠くにいるということで、船は周辺をまわってくれましたが冷たい海の黒さが印象に深くのこり、また船が荒波に揺られるというのはこういう感じなのだなという角度を味わいました。あれはあれで記憶にのこる経験です。紋別は面白いというか凍てつくというかネオンに彩られた飲み屋街の入り口が印象的な街でしたが、まあ今回の主題ではないのでやめておきます。

さて斜里をうろついている話はまだ続いており、列車がくるまでまだ時間があるので、駅に帰るためにぐるっとまわっていこうと、港から少々東に歩いてから右折していきます。すると丘をのぼったところでまた下るのですが、このあたりには北海道大学の斜里研究施設があります。写真をとっていないので記憶だけです。文学部の施設だそうです。そして旧斜里町の役場もあります。物見塔がある立派な建物です。△に尖った上に突き出した部分があって、室内から外の様子を見る感じでしょうか。しぶいいい建物ですがいまは何にも使われていないようです(かつては図書館として使用していたとのこと)。遠くからでも見える感じでよいのですが。

さてそこから南を向いたところに「㈱丸米産商 農産物移出部」があります。それが写真の木造の立派な建物です。大正2年の建築だそうです。あまりに木造が立派ですが、雪の重みに何年も耐えているので、ちょっと危ないかもと思ってしまいます。

そこからさらに南にいけばもう道道斜里停車場線です。ここにたどり着けば明るい感じの美容室とか道の駅斜里とか大きい土産物屋さんとか観光と生活が一体化した北海道の風景があります。でも斜里に同情したいのは、知床へ向かう玄関口ではあるものの、そこに降り立つ人は少ないのではないかという点です。いわゆる通過ポイントになってしまっている印象です。

観光って本当にむつかしいなあと思う感じです。観光を産業の主体にすることはリスキーに過ぎるのではないでしょうか。しかし。
そんなことを考えてしまいます。
北海道の各地は大方の場合雪だったり遠方だったりして小学校などはスクールバスで通学することが多いように思います。そうなると街をコドモが歩いている風景もないわけです。まあそんな風景は観光客の戯言として聞き流されるものなのでしょう。

こないだ、美深を歩いていたときは駅前のスーパーまでやってきてまたバスで家へと帰っていくたくましい老女二人組を見かけたのですが、それは私が考える「ノスタルジックでかつ現代にも生きている逞しい老女の活躍」にふさわしい風景として私の記憶に残っているだけのことで、実際には斜里のたくましい老女は運転免許を持ち軽自動車をのりこなして買い物は郊外にあるスーパーへ行っているのかもしれませんし、老女がどのようにサバイバルしているのかはそれはお前の知ったこっちゃないのでしょう。

なぜここで私が高齢男性のことを書かないかといえば高齢男性はさっさと死ぬかあるいは風景にふさわしくないのか。それは分かりませんね。私こそが今後確実に死ぬか高齢男性となるかの二択であり、風景の一部として生きている様子が自分でもうまく想像できないことがあるでしょう。つまり考えたくないから、見かけても、それを記憶に残すことはしないというわけです。老女であれば私の認識にとって「風景(他人のいる)」となるでしょう。
ちなみに三世代で暮らす高齢者などはいまの日本ではだんだん貴重なものとなってきましたがそういう奴等は私にとっては「危機も物語も感じないので特に言及するまでもなく興味関心を引くわけでもない対象」であります。ありていに言って悪口です。そんな幸福そうなやつらには文字を割く価値はないといいたいわけです。
本当はそういう風景の中にこそ悲劇もかなしみもくやしさも物語もあるのでしょうが。

随分話がいろいろになりましたが、ともあれ、春になって緑と海の風景を斜里で見てみたらまた感触も変わるのでしょう。今度私がもし斜里を訪れることがあればそれはレンタカーを使用しているので、まったく違う風景でしょうね。そして野北峠に向かって車を走らせるのであります。

さて本編がはじまりますが先ほど書いた8点にわたる骨子を追いかける方式で進みます。

1、ゲストハウスは素晴らしい
北海道へは関空から飛行機でいきました。適当な便を探していて、LCCピーチが関空から女満別に飛んでいました。朝の便なので関西に前泊することとなります。
以前に羽田から飛んだときも朝なので羽田周辺に前泊しました。

私はいわゆるビジネスホテル(ビジホ)派だったのですが、おそらくきっかけとしては府中で泊まった安いビジホの湯沸かしポットが故障していたのがあり、そういうのはもういいかなと思うようになってきています。
もちろんそれはビジホのフロントにでも言って交換なりなんなりの対処をしてもらえばよかったわけですが、「そんなことをこのフロントに言ってもしょうがない」と思ったのです。というのは最近はホテルといっても名ばかりで、フロントは深夜から早朝は人がいませんのでこちらにお電話を、みたいなことも言うし、つまりは「安いけどサービスは期待するな」という態度で接してくるタイプの企業が多いということです。それはそうだと思いますので、こちらもサービスとか適切な対応というものは期待していないし、もしあったとしたら運がわるいでおさめるわけです。まあなかなかおそろしく旧い家電とか見られますので。

さてそれにひきかえゲストハウスはいいものです。そもそもがそんな個別の部屋などというものはなく、だいたいがドミトリーであって、ベッドは寝ることと充電することだけに特化しています。用があればリビングルームとか台所とか集会室とかとにかく共用のところで済ますわけです。そこでは湯も沸かせるしだいたいフリードリンクでお茶とかあるし、いいものです。

いま思い出しましたが和歌山は白浜で泊まったゲストハウスもよかったですねえ。多分元はスナックと旅館の合体したような建物で、1Fはカウンターの中に調理場があるところで、そこで湯を沸かすとかできて、2Fは客室に二段ベッドをつめこんだものでした。白浜なんてのは関西の人にとっては湘南のようなものでーおそらくそうだろうと想像していますーあるいは房総でしょうか?とにかく都会から近い海のリゾートで、リゾートにつきものの廃観光ビルとかたくさんありそうな実際ありそうな、いやまた話がそれていきますのでやめます。

ともあれゲストハウスは小さいものがたくさんあるという印象で、観光地でホテルが満員でもゲストハウスはまだ室があるというのがパターンです。羽田のときは大鳥居という大変近いところにビルの一角を使ったゲストハウスがあり、なぜかドミトリーが占領できたので快適で、ひろいリビングでソファでごろごろするという贅沢も味わうことができました。
今回は京都です。詳細は略しますが、いわゆるふつうの旧い民家を改造して泊まらせているタイプでした。
まあいごこちのいいことといったら。

人間が何に居心地の良さを感じるかは人それぞれですが、私の場合は「貧相で旧いしこっちも遠慮しなくていいだけのびのびふるまう(そして古いから壊さないようには気をつけて行動する)」です。
遠慮しなくていいのが最もいいところです。変にきれいだと、よごしたりしないように気をつけなくてはいけませんが、もう十分に古いのでそういう気を遣う必要はありません。もちろん常識的にふるまうわけですが。
なんというか気分のモードの問題です。
わたくしが緊張してふるまうというホテルは例えばそうですねえ、そんなに格式の高いところに行ったことは数回しかありませんが、「森の中のオーベルジュホテル」に行ったときはそれなりに緊張感をもって行動していましたね。まあ小規模だったし他の客も1組しかいなかったので助かりましたが。ディナーをサーブしてもらうのもこっちが緊張してましたし。
そういうわけで緊張しなくていいのは最高です。そして下宿みたいです。さらにいえば、今ではなかなか漫画の中にしかないような、木造建築の、2階に上がる階段がぎしぎし言うような場所です。部屋は4畳とすこし(変形部屋)のようでしかも京間なので狭いです。そこに布団と小さい文机、スタンドライト、灯油ファンヒーターです。なんという落ち着きある場所。最高です。
あんまりに気にいったので3月も行って2泊することに決めました。

2 北海道の各空港はそれぞれがそれぞれの味をしている

さて京都のことばかり書いていてもはじまりません。

関空から飛行機は飛び、女満別空港に着きました。

もちろん観光シーズンということで混んでいるのですが、飛ぶ飛行機の数がかぎられており、規模は小さいです。北海道の各空港は、行ったことのない丘珠と利尻を除けば、私の見た範囲では新千歳以外は皆小さいですし、そして中には紋別のように羽田と結ぶ線しかない場所もあります。あれだけ広い北海道なのに、札幌とは結ばないのであります。
なぜか。採算が見込めないからだと思いますが。
まあ高速バスが発達しており、バスで十分だというのもあると思います。それでも中標津とか稚内とかは札幌との間に航空機路線があり、これは距離がかなり離れているため需要があるというべきでしょう。
ともあれ小規模の空港ではレンタカーもすぐ売り切れになってしまうことや食堂もピーク時の客をさばききれないこと、保安検査場ももともとがレーンが少ないのでピークにはのろくなってしまって出発を遅らせてしまうなどの現象がおこります。
まあ女満別はまだいいほうだと思います。関西便と東京便が就航しているし、連絡バスも網走・知床方面と北見方面とが出ています。知床はこのあと書きますが観光地パワーがすごいので需要大ということでしょう。


3 知床のもつ旅行先としてのバリューの大きさ

ということで知床へ向かう人がたくさんいる話です。人は知床にいくときにどうやっていくのでしょうか?私が以前にいったときはレンタカーでした。そのときは釧路で借りたような気がします。あるいは中標津でしたか。わかりません。記憶がないです。しかし夏だったのでよかったのです。冬はそれなりに大変だと思います。冬期通行止めのルートもありますし。

私は女満別空港から知床エアポートライナーというバスにのっていきました。はじめは空港から空いてるなあそこそこだなあと思っていたら、網走からさらに乗車してくる人が多数いて、あっというまに満席になってしまいました。斜里で降りる人は私一人くらいのもんです。みなウトロまでいくのです。きっとホテル予約をすませ、流氷観光をするのでしょう。ウトロの観光体制はすごいもので、巨大な駐車場とか、観光船などが勢ぞろいであります。しかし流氷も生き物であり、動くだろうし、なかなかそれ自体の魅力をアピールするのは大変だと思います。いっそ知床はそれ以外の季節で自然そのものを体感する(地形とか)のがいいのではないでしょうか。あのくらいの大きさがあれば、観光客をよく馴致してマナーを守らせれば今後も大丈夫だと思うのであります。北の浪漫があります。海のしぶきもあります。観光船は今であれば安全対策は十分すぎるくらい管理していると思います。


4 釧網本線の大混雑

さて斜里でバスを降りた私は、斜里の駅をちらりと見て、ああ空いてるなあ待合室、と思ってから街をぐるりとまわって、列車の時刻にあわせて駅に戻ってきたらば、なんと、待合は座る場所もなく、改札が出札で開くのを待つ列まで出来ている始末でした。
なんだこれは。
おまけに釧網本線は鈍行1両運行です。
摩周方面へと向かう大量の観光客(ごく一部地元の人)を載せて列車は走ります。そんなに大人気観光スポットなのか摩周湖エリア。


5 摩周エリアの未知の魅力

まあ私も川湯温泉とか、摩周湖第一展望台とか行ってみたいと思ってきているわけですから、同じことを考えていそうな人が大量にいることはまあそういうこともあるでしょう、しかしこんなにもJRの列車が混雑しなくてもいいのではないかと思いました。思えば前々回も富良野線でJR大混雑を経験していました。あのときは美瑛に向かって満員でした。
国際観光地は多くの人のこころをひきつけるのでしょう。
私は下車する気力がなくなり、川湯温泉駅で席があいたのを見てすかさず座り、そのままホテル予約のある釧路まで座って呆然としていました。
摩周湖とて、レンタカーかツアーでなければ身動きのとれない場所です(タクシーという手もありますが・・・)。摩周から摩周湖展望台へのバスなどは1日1便なのです。しょうがありません。歩いてどうにかなる場所でもなく、次回どうにかしてまりもの摩周湖を見にいきたいと思います。

6 釧路市

釧路市は何回かきたことがあり、根室にむかって花咲線に乗車したり、観光を楽しんでいます。そして四角い駅舎。古いタイプの国鉄駅という感じです。もう全国ではあちこちで建て替えでなくなってきているものでもあります。

駅前ホテルなので殆ど歩かなくて済みます。
しかし釧路の繁華街(飲み屋街)はどうにもすすきの感がありますね。うさを晴らしてみたいなイメージです。人間にはそういうなにかを棄てたいような感情を処理する場所がどうしても必要なのでしょうか。

朝になって明るい釧路の街を歩いてセイコーマートまで朝食を買いにいきました。公園などもあり、道は広く、早朝なので殆ど誰もあるいていない釧路の街です。雪はあくまで白いので白い街並みだという感想になります。本当はその下にアスファルトがあるのですが。いつかゆっくりと釧路名物の蕎麦とかスパゲティとかカレーとか食いにまわりたいと思いつつ、食物への情熱は大変後回しになっている最近の心情のため、食べていません。セイコーマートオリジナルカップヌードルで十分です。

7 中標津空港へのアクセス

中標津空港へは公式には根室交通の根室からのバスしかありません。釧路から行く場合には、羅臼行きに乗って中標津市街で降りて乗り換えです。このバスは長距離の路線バスなのでトイレ付車両であり(ただし故障していることも多いようで)、席間が広くリクライニングさせても余裕があるつくりです。
ダイヤは平日中心で、土日になると便が半減します。
そのため、中標津空港からの午後便東京羽田行きに乗るためには釧路を日曜の朝8時15分のバスに乗車するしかなく、そのためには前日までに釧路入りしている必要があるわけです。
このように北海道での交通は数の少ない公共交通をいかに確保して動くかが勝負であり、そこにくわえて荒天(大雪など)による欠便などのリスク、地震などの天災リスクもあるわけです。実際、この旅行中に土曜の夜は釧路根室地方で最大震度5弱の地震があり、翌朝は釧網本線で一部区間に遅れが発生しています。朝にたとえば摩周から釧路まで鉄道で来てからバスなどと考えていたら乗り継ぎできなかったかもしれないのです(実際には鉄道の遅れは摩周以北だったので大丈夫だったですが)。
なんにせよどこに旅行してもリスクはあるものの、北海道ではとくに冬期の交通機関はリスクをはらんでいます。日曜日も、道東はいい天気でしたが、夜は新千歳空港で悪天候による飛行機の欠航がニュースとなっています。

それはさておき、晴れた日の道東の大地をバスは順調に中標津に向かって走ります。このエリアは丘のアップダウンが大きい地域で、なかなか大きく広い平原を見晴らすような眺望はないものの、白い雪が染めた大地は丘陵の緩やかなカーブを見せ、白い雪と森の樹の色しかない風景は清々しいともいえます。もちろん渋滞は無し。バスの旅はおよそ2時間、快適に、適度な乗車率(本当は阿寒バスさんももうすこし多く乗車してほしいでしょうけども)で車内のくつろぎを感じながら風景を楽しむ旅でした。

8 中標津という街

さて中標津におよそ10時半に到着し、空港バスはこのバスターミナルを午後1時半に出るのでおよそ3時間の猶予があります。晴れの中標津の街をうろつくべく徒歩で出かけます。まずは東武というスーパーマーケット(巨大な)へ行きます。以前にも訪問したことがありますが、東武には何でもあります。地域をささえる商業施設、フードコート、都会的なコーヒーチェーン、ペット関連、旅行代理店、食堂、携帯電話契約、すべてがここに集結しています(すべては言い過ぎ)。
重要なポイントは、この巨大施設はすべて1Fだということです。あまりに広いので歩くのは少々疲れるかもしれませんが、それでも平屋です。だから階段やEVはありません。北海道の広大な敷地ならではといえるのかもしれません。ちなみに空調は、やや寒いか>?という感じで北海道の冬の屋外から来れば温かいですが、のんびりしているとだんだん寒くなる感じです。しょっちゅう人間の出入りする施設でそんなにほかほかの暖房を入れすぎるのも省エネに逆行しているのかもしれません。
思うに商業施設のラグジュアリーポイントは、生活にそれはなくてはならないギリギリのラインか、それとも遊びや装飾を加えたきれいなおしゃれ生活なのか、というところです。つまり生活には「美」もまた必要だ。アーツ・アンド・クラフツであります。それは始祖の段階では壁紙やマットだったわけですが、今ではおそらく写真立てとか生活雑貨にあるなにかの柄模様(昔の花柄家電もいま復刻したりしていますし)、かわいい色あい、あるいはごちゃごちゃしたコードを隠す、ティッシュboxを買ったままの包装箱ではなくケースにいれて見た目をきれいにする、といった何かちょっとしたプラスの様相(なくても機能には関係しない)ではないでしょうか。
そういうかんじの感じが東武にはあるんですねえ。

さてその後の私は、適度に中標津の街を歩き、丘を登って下り、店がやってるのかやってないのかを見て、セブンイレブンでおにぎりと110円コーヒーを買ってバスターミナルに戻りました。何をしているのかと思われるでしょが、本来は喫茶店でランチをしようと思ったのですが、地方のよくある話で、喫茶店が営業しているのかしていないのか、わからないのです。中は見えないし、扉には明らかな営業中と書いてある場合もあれば、本日終了と書いてある場合もあり、そしてその両方が同時に掲示されている場合もあります。まあ特に空腹にあえいでいるわけでもなく、セブンイレブンで十分です。北海道でもどこでも旅の友はコンビニであり、別に食い物があれば十分生きていければそれでいいのです。食い物そのものには装飾を施す必要もあまりありません。

歩いたことで中標津の街のスケールがおおよそ分かるわけです。あとは図書館やホールなど公共の場所の位置、そこに出入りする人、集まっている様子などがわかります。あとは食堂やラーメン屋、パチンコ屋、GS、ホテル、飲み屋街の位置、車のディーラー、北海道なら農機具のメーカーの支店、スーパー、床屋、美容院、そういったもので生活は成り立っています。それこそ、これは趣味としては「架空の町」なのですが、なにもない白地図に、シムシティのように街をつくっていくときに、何が必要か、何は必要ではないか、地域特性は何か、規模はどのくらいか、中核都市なのか、東京からどのくらいなのか、細かい設定を考えれば考えるほど楽しいものです。
北海道のような、アイヌ人の土地に入植した人が、だんだん増えてきたときに、まちをつくっていく、その歴史のこと、増えていく様子、栄えて行く様子を想像すると、時代とともにその光景を早回しの動画でみれたらなあ、などと思います。

それこそ前々回の旅では美深の「一番栄えていたころ」についてお話を聞いたり(木材の販売で御殿が建つような好景気があったそうです)、街というのは栄枯盛衰であり、いいときもあれば悪いときもあります。
中標津のような、いわば谷に集まった人のまちは、上から見下ろすことが容易で、味わいを感じておりました。

このように旅は終わっていくわけです。
帰りの飛行機では、ちょっとしたトラブルから、フラントアテンダントさんと会話できたりして嬉しいこともありました。

予想もしないことが起きたり、それまで考えもしなかったことが生まれてくるのが旅だと思います。とりあえず北海道の今回の旅は、あまり通常の観光とは違うことばかり考えていたような気がしますが、終わりです。
また楽しい旅に行けますように。

個人的な話ですが、無職から、就職が決まったので、あまりしばらくは長いまとまった休みがとれない模様です。しかし旅はどこにでもあり、どこに行っても味わいはあるというのが信念なので、またなにか考えたことがあったら書いてみたいと思います。

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