見出し画像

秋がくると無職になりたくなる

ので53歳男性なんですけどこの2023年四月に再就職したかいしゃをやめることにしました。
退職エントリ(これから退職する)ではないので適度にまあまあという感じで書こうと思いますが、
そもそも論でいきますと
「そもそも50をこえて未経験職でよく正社員になれたもんだな?」と思われる方もいらっしゃるでしょう、私もそう思いますね。
これはひとえにその会社が悪い意味でいい加減であるということを表しています。
あるいは「いい加減でもつとまるような職務」なのかもしれません。

さていま書いたことは何かを馬鹿にしている、軽視している、かろんじている、やめるからといってやけくそを書いているのだ、と思われるかもしれません。

ちがいます。私は別に「その職にかかわる人間とか会社を軽んじているからその職をやめる」のではないのであります。
優先順位の問題とリスクを測る(量を測る)問題です。それが重要なのです。軽んじながらもそのままでいれば給料がもらえるなんていいじゃないですかあ。
しかし私はそんな仕事に体力と気力を奪われることが給料に見合わないなあと判断し、かつ、その職にはリスクがあるのに会社はリスクを考慮ぜんぜんしていないなあ、とも見ているのです。したがって結論は辞めるの一択です。
しかしまだ残ります。「そんな仕事に」という部分に軽んじてるテイストが残存している。軽んじているから軽重で軽いと判断したんだろ、という指摘です。そうかもしれませんね。ええそうです。だってそれをして続けたところでロクな未来があるとも思えませんもの。我慢していれば長く務めることができる?そうかもしれませんね。でもそういう日々って、我慢してたことを後で思ったときに、あの日々はつまらなかった無駄だったと思ったら後悔するじゃないですかあ。だから無職になるわけです。

私は53歳の人間として無職期間もそこそこ長くかつ複数回数あるので、無職のなんたるかはだいぶ分かってきたような気がします。むしろ職をつづけるコツがなにもわからなくても、無職を楽しむコツならかなり複数経験の上で知っていると言えるでしょう、宣言できるでしょう。

まあしかしこれも無職かつ貯金が(やや)あるからこそ言える文言でして、しかも養う家族もいないという好条件で、かつ親も存命かつ寝たきりでも要介護認定でもないという、これ以上ないコンディションだからこそ言える戯言であります。あと自身の健康と。

このように書いてくるとわかるのですが。「皆につうじるようなこと」は、実際は、無いわけですね。個々の事情はそれぞれが皆べつべつで、いろんな事情を抱えています、オリジナルな。それを考慮したところで、はじめて「こうしよう!」という決断、どの手段をとるかの決定が起こるわけですね。公式というものが、なかなか無い。そんなことを思いました。

私は私だけに責任を負っている(やめたことで会社が迷惑するって?そんなことは知ったこっちゃ無いわけです)。会社は会社として頑張ってくれればいいじゃないですか。リスクを個人に押し付けるような働かせ方をするような会社は労災になっても逃げるに決まっています。逃げるが価値です。勝ちです。逃げるの大好きです。

無職のいいところはとてもいいこととして旅行やライブなどの「そのときその場所でしか味わえない」体験の価値をかみしめて味わえることですね。

私は真剣にこのような文章を書いています。そして書いていることは私にとって真実であるということを完全に実感しています。バカだなあと思う人はいるでしょうけども、バカで何がいけないのか。世の中バカなのよ。
ときに、「無敵の人」などという言い方がありますが、この先になにも希望がないのだとしたらなんでもできるというのは本当で、希望はそれをする自分がつくるものであるから、やるしかないのですね。他人はつくってくれませんし、オリジナルの希望は自分のやりたいことでありますから、私はやりたいことがあって良かったです。

やりたいことが無い人というのは本当に実在するのでしょうか?

つくづく私は読書はいいものだと思うのですが、そうすると次々と引用をしたくなるのであります。とくに「価値」について考えるようになったことと、「比較」「根拠」について考えるようになったこと、そして「推論」について考えること、こうしたことは私の楽しみであります。楽しみは、まとめてしまうと「脳がフル回転すること」であります。
推論はパースの学問、比較と根拠は批評理論の一群、価値はラズの学問からきています。いずれも難しいですね。難しいほうが時間も労力もかかって大変楽しいです。

つまり私は仕事(賃労働)に自己実現を1円たりともベットしていないのですね。

楽しいことはすべてその外にあります。これだけが「無職を尊ぶ」理由であると言ってもいいかもしれません。生きているうちに楽しみましょう。
金がないときは働きますし、老人になって働けないというときはもう死ぬときなのでしょうから。こういう言い方がきらいな人もいまして「後悔する」「キリギリスだ」とか言うわけですが、どんな人間でも「死ぬ運命を受け入れたくない」気持ちがないわけないじゃないですか。いくらアリのように働いても死ぬんですよ?だったら楽しく現世ですくなくとも無駄な預金をのこしたまま死ぬのはアホらしいですね(相続する相手もいないのでいとことかに迷惑をかけるとは思いますがみなクレバーな方々なので相続放棄とかしてくれると思います)。

いいたいことだけ書いてUPしますが今回のトップの写真は自分でも気に入っている雲です。長野県で2011年です。田植えが済んでまだ水面がみえる時期の写真です。自然のすばらしさももっとあちこちで観てみたいですね。津別から屈斜路湖をみるとか摩周湖で霧氷とかまだ見ていないんですよ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?