見出し画像

待つこと ただ生きること ドイツ鉄道 

ドイツは今、ドイツ鉄道の乗員不足で電車がしょっちゅう遅延します。
電車で遠出する時は必ずといっていいほど予定通りには到着できません。色々と時間に厳しいことで有名なドイツには珍しい現象ですが。

今日も隣町へ電車で行ったのですが、遅延で30分も乗り換えを待つことに。しかしながら最近は遅延してもイライラしませんね。
今日はオフだからというのことありますが、待つこともまたよしという気持ち。時間をムダにする?待つことは本当にムダなのだろうか。待っている間も生きている。決してムダではないのではないか。
ぼくらはお金を稼ぐために生きるのではなくて、理想は、共に生きるために働くことだと思うんですね。日々ぼくたちは忙しく働いています。しかし電車の遅延や、人を待ったりなど、自分からは何もしようがなくて状態で、ぼくらは待つことをします。待つとき、人はただそこにいるしかありません。

待つ、ただそこにいる、そんな状況でイラ立つなら、それは何もできないことにイラ立つのでしょう。しかし本当にぼくらは、待つとき、何もしていないのでしょうか。

というか、何もしていないとはなんなのでしょう。何もしていないようでいても、ぼくらは確かに息をして、心臓は動き、血は体ぜんたいを巡り流れています。これは尊いことではないでしょうか。

それにここ最近、ずっと雪景色で遠くの山や丘、木々や家々の屋根屋根が清々しいのです。待っている間、涼しげで素敵な冬景色を楽しませてもらいました。

普段体にムチ打って一所懸命仕事をして世の中に貢献している(と願いたい)のでふから、時々電車を待つのもぜいたくな時間です。待っている間はただそこで、生きることをしていられる。
もちろん仕事をしている時も生きているし、むしろ生き生きしています。けれども時々ふと立ち止まってそれを感じることは、なんともいえずありがたいことだと思うのです。

雪明かりを浴びてそんなことを思ったのでした。

まあこんなことを思えるのも、結局おしまいには電車が来たからっていうのもあるけどね!

冬の加藤剛アウアウアー冬のアテンペエ!!!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?