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gül adsı -古い記憶-

 そこは地中海に浮ぶ小さな島のひとつで、場所としてはエーゲ海と地中海の境、アナトリア半島に寄り添うような小さな島だった。古くは文明揺籃の地として、また、文化の中心として、さらに下っては牙を持ったキリスト者の牙城、宗教騎士団の寄る辺として連綿と歴史を積み重ねていたのだった。私はトルコのマルマリスから出ているシャトル船に乗ってこの島に向かっている。同じ船の人々は意外にも多種多様でトルコ人はそれほど多くはない。

 あのトルコの海岸の町は十年ちょっとの間にかなり国際的な観光地へと様変わりし、今も変わり続けている。それは悲しいかな、ややもすると随分俗っぽい方に流されて、アメリカ人や欧州の中流階級受けしそうなテンプレートな喧騒でもあって、快適さを残しつつ、変わらない旧市街と島並み、そして、天に輝く日月を置き去りにしてしまっていた。簡単に言えばリゾートと言う奴だ。働いている人は素朴な人も多くてよいが、急激な繁華街化はなにをうながしているのだろうか? と少しだけ懸念する。同じ観光地でも規模の問題なのかアンタルヤではそれほど感じなかった。もっとも、向こうでは町外れに泊まっていたからかもしれない。ただ、個人的にはアンタルヤの水平線より、島々の顔が見えるマルマリスの海が好みだ。寒暖の差の激しいアンタルヤのスコンと抜けた美しさもいいが、島に囲まれた秘密基地のような重なった景色と、乱痴気騒ぎを後ろにして眺めた夜の月が印象深かったからかもしれない。深い藍色の濃淡が描いたマルマリスの夜は古い友人が “嫌な事があったら夜の海に行って泳ぐのよ ”と言って聞かせてくれた幻想的な砦の町の姿とぴったり重なった。私は泳がない代わりにウィスキーを一つ煽ってしばらく後に来る陶酔感に身を任せたのだった。ビーチに並べられたデッキチェアが片付けられていないのがちょっと微妙だったが。

 今その海にわりと厳重な雰囲気の検問を抜けて束の間の船旅をしようという人は、さっきも言ったようにトルコ人ではない人が多い。まあ、大方観光の人々だ。ずっと世界を安い値段で歩き回るバックパッカーもいれば、こぎれいな格好の家族連れもいる。でもまあいずれにせよ観光客と言って差し支えないだろう。もしかしたら、買出しに来たギリシャ人なんていうのもいるのかもしれないが、わざわざトルコ側に来るメリットがどれほどあるかは疑問だ。かつて、帝国時代には混在していたギリシャ人とトルコ人は共和国の樹立に伴って民族自決の名の下、捕虜のようにお互いを交換し合ったから、トルコ側にはギリシャ人はいなくて、ギリシャ側にはトルコ人はいない。つまり、親戚を尋ねてなんてこともないし、そんな事をしあった隣の国との仲もつい最近まで良好とは言いがたかった。だから、わざわざトルコに行こうというギリシャ人もギリシャに行こうというトルコ人もこの町では多くはない。もっとも、イスタンブルのような大都市であれば、買い物に行くのも国内より隣の国よ! なんて人たちがいるので、これからトルコ側がぐんぐん大きくなってマルマリスが一大歓楽街にでもなってしまえばありえないとも言い切れない。なにせ、ギリシャは経済危機ですっかり参ってしまっていて、トルコは賛否両論あっても現首相の活躍でどんどん力をつけているから。しかし、そんな未来はあまり歓迎したくない。船は高速艇で、波を喫水で掻き分けながらどんどん進む。蹴立てた飛沫に陽光を受けて煌びやかに島々の間を抜けて、市街を向こうに望みあっという間に。どこかで見た光景だと思ったら、宮島口から出るフェリーに似ていると思った。伊達に日本の地中海だなどといっていないと感心してから、それでも日の具合や規模はだいぶ違うなと思った。どことどこが似ているなど商売にならなければどうでもいいことだ。高速艇と言えど、海に浮かんでいる以上、波の揺れは避けられず、くだらない感想の渦と波に揺られているうちになんだかうとうととして、頭の奥がすうっと重くなっていった。

 どのくらいまどろんだだろうか? さして時間は経っていないだろう。ただ、もう艇は接舷間近らしい。変わるエンジンの音、揺れ、そして、船から降りる準備に慌しく動く人々がそれを知らせていた。幸いなことに身一つに毛が生えたような有様だったから、自分は慌しくする必要もなかった。窓の外を見ると昔の城壁と伸びた埠頭、灯台が見えた。入管のある埠頭以外はどれも大昔のもので、おそらく中世の頃の建築物だった。ぐるりとお知りを返して最後の準備に入った船に、それが浮かぶ海。寝ぼけながら人の列に並びだし、あとはそのまま入国ゲートへと流れていった。途中見えた行方不明者の手配書やもちろん辺りに出ている案内の看板はもうすでにトルコ語ではなくなっていて読めそうで読めないその文字に別の国に入ったのだという感慨をいくらか受けた。

 入管の出口でたむろしている人々を尻目にタクシー溜まりとバス停を抜けると島を渡る風にハッと目が覚めた。岩とアスファルト、それにレンガの道だが、そのあまりの穏やかさに心を打たれた。大陸の気候と自然は同じ空気をまとっていても、固く、執拗で巨大な岩のようだった。うららかな日の光のもと、ちょっとした木々や蔦に咲く花。それに集まる蝶の群れ……そんなものが優しげに浮かんでいるのはなんだか不思議だった。この海の向こうにある土地から距離にして僅かも離れていないはずなのに、ここは別天地だ。エデンなんてものもあるいはこういうものを味わった古代人の気分が現れているのかもしれない。宿には少し距離があったが、タクシーを使わずに歩いていこうと思ったのは正解だった。ビーナスが生まれたといわれても疑いを持たないような海の泡が海岸を隔てても溢れているのが見える。すべてが夢のようだった。島の空気に私は少々浮かれていた。荷物もきっちりバックパックにおさめてあるから負担と言うことはなかった。ホテルは城壁に囲まれた新市街を抜けたところにあった。本格的な観光はとても出来ないが、旧市街を抜けていく間はたった一時間前後のフライングといった感じで、歴史の有る街並みがなかなか楽しかった。特に旧市街の路面は拳大の石を敷き詰めてあって、なんとも不思議な足ざわりで、何だか健康になれる気がした。途中少し寄り道をして騎士の館に向かったがその日は残念ながら博物館も騎士の館もお休みだったのだ。正確にはその時間にはもう閉館と言う事だった。まだ夕方にならないくらいの時間で、ギリシャ人の仕事ぶりについての話は意外と当たっているのじゃないかと思えた。荷物をホテルに置いた後は、海岸が近くにあると言う話だったのでそれを見に行こうと決めた。海に下りていく道を物産屋みやげものややちょっとした食堂、ホテルが軒を連ねていたが、よっぽど高級というようなものもなければ、あんまり民宿や海の家じみたものもなかった。それでいて、いかにも鄙びた観光然としたのがちょっと気安かった。

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