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道元禅師とハイデッガーの思想。

その共通点と違いについて簡単に述べてみます。

永平寺を開かれた道元禅師は日本曹洞宗の開祖であり、その思想は「只管打坐しかんたざ」、つまりただ坐禅を組むことの重要性を説いています。これは、日常生活の中で目の前にあることに集中し、その瞬間瞬間を大切に生きることを意味します。一方、マルティン・ハイデッガーはドイツの哲学者で、彼の思想は「存在」に焦点を当てています。ハイデッガーは、私たちが日常生活で世界とどのように関わっているか、そして「存在する」とはどういうことかを深く掘り下げました。

道元禅師とハイデッガーの思想の共通点は、両者ともに「今この瞬間」に価値を見出し、それを通じて真実や本質を理解しようとする点にあります。道元禅師は坐禅を通じて、ハイデッガーは日常の経験を通じて、私たちが真実に近づけると考えました。つまり、どちらの思想も、現在の瞬間に深く根ざした生き方の重要性を強調しています

しかし、違いもあります。道元禅師の思想は、禅の実践と深く結びついており、精神的な覚醒や悟り(修証一等・修証一如:修行がそのまま悟りの姿)を目指しています。これに対し、ハイデッガーの哲学は、存在の問題を探求することに重点を置き、特に西洋哲学の伝統の中で存在の意味を再考しようとしました。ハイデッガーは、人間が世界にどのように存在するか、その根本的な「あり方」について考えることを重視しています。

簡単に言うと、道元禅師は心の平和や精神的な覚醒を通じて真実を見出そうとし、ハイデッガーは哲学的な問いを通じて存在の深淵を探求しました。共通点は、両者ともに「今」の瞬間の重要性を認識していることですが、そのアプローチや目指す目的には大きな違いがあります。

道元禅師の語録に、つぎのような一節があります。
「今」の「ま」には「い」は既になし。

わたし達は「今ここ」に生きるということを、観念で受け止めがちですが、またそうあることは理想的ではありますが、瞬間瞬間に、時々刻々と移りゆく時の流れにあって「無常」を強く感じざるを得ません。

いろは歌は、諸行無常を歌ったものとされております。

色は匂えど散りぬるを
わがよ誰そ常無らむ
有為の奥山今日越えて
浅き夢みし酔いもせず

今この瞬間を大事に生きていこう。
坐禅のときも、日常つねに、瞬間瞬間。
無常迅速むじょうじんそく

そう思った新年度の始まりであります。


無常迅速(水)


ご覧頂き有難うございます。
念水庵 正道


ChatGPT4のDalleに描いてもらった水墨画です↓

諸行無常をイメージした水墨画(生成AI)

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