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ゴールドコースト、マーブルビーチ、瀬戸内海

(い)


僕は中学生のころ、オーストラリアの東海岸に家族旅行に行ったことがあるのかもしれない

そこの海の浜辺は足で踏むと「キュッキュッ」と音を立てることで有名であったが、その奇妙な音は、「海」にとって、僕の日常(であったような気がする)としての海の瀬戸内海が、単に一つの具体でしかないということ、僕が知っていた「海」は「海」の巨大な集合の一部に過ぎないことを、僕に教えたとも言えるのではないだろうか。それは僕が地元から離れるための第一歩だったのかもしれないし、僕と世界との調和の破壊の端緒だったのかもしれない

イメージ(い)

(ろ)


私は小学生のころ、夏休みに和歌山の実家に帰っていたことは間違いないのだ

和歌山の海とは私にとって大阪湾のことであり、そこでの遊泳は私にとって儀礼であったことは周知の事実である。海で楽しく遊んでいる姿を見せることこそが、祖父母や親を喜ばせる親孝行だと考えることは理に適っているとしかいいようがない。たとえその見え透いた演技がすべてお見通しだったとしても、それは必要なことだったと、言ってくれるはずだ

いめーじ(ろ)


(は)

瀬戸内海とは何か。瀬戸内海とは、「瀬戸際の、しかし、いまだ内側で踏みとどまっている状態。次の瞬間に外にはじき出されることが分かっていることに対する諦念を滲ませている」??

それ故に瀬戸内海は安定しており、過ぎ去った平穏の隠喩と化し、「ユークロノス」として追憶の対象となる???

しかし、瀬戸際まで追い込んだのは誰なのか????、それが問われることはない?????

イメージ(は)


(に)

47都道府県の中で海と接していないのは8件だけ。17%に過ぎない

国連加盟国193か国のうち海と面していない国は37か国。19%にも及ぶ

海がない県で生きることにしたのは、ただ一点、海から逃走するため。海は少なくともすべてを奪っていく。

うみはいみであり、いみはあみであり、あみはやみであり、やみはよみなのだから。

(に)



#わたしと海

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