自由でいられますように

大阪の伯父が、入院先の病院の水道や電気などの設備がメタメタ(私の母の表現)になって転院を余儀なくされたとのこと。でも本人は元気そうで、無事、転院先でも透析を受けられていると聞いてホッとしました。
伯父の看病で大阪に行っている母も言っていましたが、関西方面の方々は、まだ余震などで不安を感じていらっしゃる方も多いかもしれません。何も出来ず、こういうときにどういう言動をすればいいのかも分からず大人になりきれてなくて申し訳ないです。地震、怖いですね。

そんななかですが、ワールドカップも興味なく、今日は友だちの誕生日のお祝いをしてきました。私たちの共通して持っていたいもの、それが健康と自由です。この一年、健康と自由のためにがんばろうという結論になりました。(ただし、私の今年の目標は「がんばらない」なのでがんばらない程度に求める)

自由というのは、自分の行く先を、例え一本道でも、自分で選ぶということだと思う。

いろんなことがあって、不条理はあらゆるところにあって、本当の意味での自由なんてないように思ってしまうときでも、心は自由でありたい。窮屈は嫌だ。
心安らかに、というのは私は求めていなくて、戦ってもメタメタでも、自由の余地がある状態が私には何よりも大切。

だから、私はみなさんの心の自由を(求められてなくても勝手に)祈ります。どんな状況であっても、みなさんがどうか自由な心持ちでいられますように。
それは希望を持って、という無責任な言葉と同じかもしれない。でも、それしか言えない。


#エッセイ #自分勝手ですが

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