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結衣子の物語①うさぎと月へ

私がもう少し陽気な性質であれば、そして少しおどけた気分であれば「さあさあお立ち会い」ぐらいは冒頭に書き始めただろう。そうでなくても「読者諸君、これから皆さまに奇妙奇天烈奇想天外なある物語をお聞かせしよう」ぐらいは書けたかもしれない。それくらい、これから書く物語は御伽噺めいていて、摩訶不思議な出来事がたくさん起こり、とても本当に存在したとは思えないような生き物(あるいは生きていないもの)に満ちていて、驚嘆すべき景色や施設が次々に立ち現れる。

これは、私が結衣子から聞いた結衣子自身の冒険の物語だ。

私は、結衣子からその話を聞いたとき、はじめはとても信じられない、と思った。あのような血みどろの戦いや、恐ろしい犯罪行為、自傷行為、不条理な討論、ありえない構造の生物や建物が存在するとは、到底信じ難かった。けれど、私の前に再び現れて、私にその奇妙な道程を語る結衣子の存在自体が、その冒険の本当であることの他ならぬ証拠だった。だから私は、今では結衣子の語ったことの一字一句を信じている。

結衣子の冒険は、不思議な出来事に満ちているので、話し相手がすぐに飽きてしまうものではないが、しかし何分、長いので、彼女はそうそう何度もこの物語の初めから最後まで話すことはできなかった。幸いにも、「私」には暇と時間が山ほどあるので、結衣子から聞いた話を本にまとめて世の中に出そうと考えたのだ。

一部には、体験とは、自分で実際に体験したことでないと意味がないと考える人たちがいる。しかし、それは間違いである。物語は、実体験とは違った作用で魂にこびりつき、似たような事例に遭遇したときに、新たな道を指し示す道しるべになる。だから、私たちは地球に生まれ落ちた初めの人間と違う人生を送っている。もしも物語がなかったなら、私たちは、はじめの人間と同じ一日、同じ一年、同じ一生を永遠に繰り返していただろう。物語があるからこそ、私たちは短い人生のなか、あの頃とは違う人生を生きることができる。

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結衣子は、その頃7歳だった。
月齢カレンダーとにらめっこして、その夜に決行することに決めた。結衣子は大好きな両親と決別することにしたのだ。
満月のなかでもとりわけ、月が地球に近づくその夜に、自分の仕方でそこへ行く。
彼女の心配ごとは、自分が目的を達成するための価値を有しているのか、ということだったらしい。自分が価値ある人間にならなければ、それに値する人間でなければならない、と考えた。
もし、私がその場にいたら、私は結衣子の肩を揺さぶり、あなたは他の何ものにも代え難い、あなたの価値は何かに比べて劣るなど決してないことだと叱責するところだった。ましてや、そんなもののために。

けれど、私はそこに居なかったのだし、居たとしても、実際、その頃の私には彼女に伝えることはできなかったのだろうとも思う。

それが一層、私の胸を締め付ける。幼い少女だった結衣子。その小さな体にたくさんのものを背負って、彼女は一人、旅立とうとしていた。聡明とはいえ、まだ小さな平凡な女の子に、そんなことはなかなかできない。

そうだ。こういう、たびたび胸が痛くなるようなことがあるから、私は陽気な前口上を書くことができないのだ。

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結衣子は、夜の公園に行った。誰もが知っているあの宇宙に一番近い公園。そこのブランコは、周知の通り、どこよりも月に近い場所にあった。辺りには誰もいない。夜中だったのだ。

不定期に つづく

#小説 #連載 #ファンタジー #結衣子の物語 #さおり

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