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結果を求めるよりも

祖母に電話をしても、すぐに切られてしまう。元気かどうかの確認が終われば、その他の瑣末なことは、余計なこと。

日頃の疲れを労おうと、温泉に連れていっても、祖母の娘である我が母は、ゆっくり温泉に浸かってなどいられない。カラスの行水とは、このことだとばかりに、ものの数分で出てきてしまう。

そう、私のせっかちは遺伝なのだ。

祖母も母も私も、話し方はのんびりしてるし、比較的に穏やかな性格なので、おっとりしていると言われ、あまりせっかち、という言葉が似合わない。けれど、実際には、結果がすぐに出ないとイライラする。

人は、望みを抱いたときに、ふた通りのことを思い浮かべる。なんとかして叶えるか、諦めるか。望みの結果は、叶うか叶わないか、だからだ。

抱いてはいけない望み、誰かを傷つける望み、誰かにとって都合の悪い望みを持って、誰も傷つけたくないという2つの望みを持ったら、人はどうすればいいのか。諦めるか、叶えようとしないで、願い続けるか。

叶えようとしないで願い続けるのは、しんどい。結果を求めないということだからだ。結果が見えないのは、しんどい。私のようにすぐ起承転結の転ばかり求めたり、結果を求めてしまうせっかちな人間の行動は、「諦める」が一番手っ取り早いので、それをしてしまいがちだ。

諦めるのは、悪いことではない。諦めないで、と言うつもりはない。ただ、結果ばかり求めるのはやめよう、と最近、思う。

その人と別れたからといって、出会わなければ良かったのか、というと、違う。それなら、どうせ死ぬなら生まれなければよかった、ということになってしまう。好きになってもらえないのに、好きになることは、意味のないことなのか。どうせダメなのに、やることは、徒労なのか。

叶わない望みを願い続けるには、どうすればいいか。好きなあいだは、好きでい続ける。好きなことを、し続ける。それが好きな自分を信じる。

苦しい、辛いの後にだけ楽しいが来ると思っていた。苦しい、辛いをいっぱい経験した人だけが、幸せという結果を得るべきだ、と思っていた。だから、苦しい、辛いが見えない人は、ズルいように思ってた。

今は、少し違うことを考えている。

苦しい、辛いは、人を幸せにしない。人を優しく、美しくする。

幸せは、なるものじゃなく、感じとるものなんだ。優しい、美しい人は、それを感じるコツを知っている。

#エッセイ

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