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愚痴と対話のあいだ

丸一日鬱々と過ごしたら少しパワーが充電されたのか、今日は急に思い立って、子どもと2人で1時間もかかる場所へ出かけることにした。そうと決まれば、今日中にやろうと思っていたことを午前中のうちに済ませるべくテキパキと動き出す。天気も良く、汗もかきながら作業を黙々とこなす。私だって、やればできる。このやる気さえ起きてくれれば、別人のように動けるのだ。オンとオフの差が激しすぎて、自分の気持ちが追いつかない。

当日券で見ることができた公演は素晴らしく、ここへ来る決断ができた自分を褒めてあげたい気持ちになる。公演自体は、2歳にはややハードルもあり途中で飽きないよう工夫が要ったが、それなりに見入っていたので良い体験だったと思う。芝生で気持ちよさそうに陽を浴びている子を見ると、私の状態に付き合わせて一日家に閉じ込めてしまう罪悪感からも解放されてホッとする。

もう一つ行きたかった場所にも寄ることができた。アウェーでやや緊張したが、やりたかったことができる嬉しさの方が勝って満足感を感じる。フットワーク軽くどこへでも行っていた独身時代の自分を少しだけ取り戻せたようで嬉しい。ただそこに、子どもが共存できるか、その共存にどれだけパワーを使うか、そのパワーを自分がその時持ち合わせているか、が加わったことが今と昔の大きな違いだ。夫も、こういう感覚を少しは感じたことがあるだろうか。

偶然、会場で親しい友人夫婦に出会い、お茶をしながら話を聞いてもらう。積もり積もったもやもやを話し出したら止まらず、自分でも驚くほどマシンガントークしてしまった。思えば妊娠していた9ヶ月の間、誰にもこういう話をしてこなかった。私はずっと孤独で苦しかったのだと改めて感じた。自分の話を聞いてもらえ、3児の母の溢れる経験からくることばと、夫側の思い双方を聞けて、とても気持ちが軽くなった。

帰る時間が遅くなって夕食の準備もできなかったが、今日は許してもらうことにする。スッキリすると同時に、でも結局こうやって間接的な気分転換をするだけでは根本解決にはならないなとも思う。毎日顔を合わせるパートナーに対し、本人を飛び越えて他の人へ私のフィルターを通した一方的な見解を伝えることは、本心ではあるものの陰口を言ってしまったような後味の悪さも感じた。本当に話したい相手だからこそ、きちんと対話をしないといけないなと改めて思った。それでも、理屈じゃない部分をものすごく解放してくれた友人に心から感謝したい。もっと気楽に生きられたら楽なのになあ。(37w0d)