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産後の11ヶ月を振り返る

子どもが今日で11ヶ月になった。あと1ヶ月で1歳。信じられない。この子が。1歳に。と、今日だけで5度見ぐらいしてしまった。言われてみれば、うちの子より半年先に生まれた友人の子どもの仕草や様子ーーーずっとずっとお姉さんに見えた姿に、近づいているようにも思う。毎日見ていると、目の前の延長線上にいる我が子しか見られない。

最近おもしろいのが、こちらのことばに対して動作で返すようになったことだ。こちらの真似ではなく、名前を呼ぶとハーイという感じで右手を挙げる。朝夫を玄関まで送っていってらっしゃいと言うとバイバイと手を振る。言葉に対してなのか雰囲気を読んでなのかわからないが、模倣ではなく自分なりの変換を遂げたアクションが見られると感慨深い。情報が、脳内でどんな風に伝わっているのだろうか。ドヤ顔でもなく、目をくりっと見開き、口はやや含んだように微笑んでいる。何を考えているのか。作為のない愛嬌は本当にかわいらしい。

昨日19箇所刺された蚊にさされは、やはり流石に痒かったようだ。寝ながらボリボリと掻き毟っていた。加減を知らない子どもは、爪を立てて力の限り掻くので、赤みがどす黒くなってきている。行動を制止すると怒るので、手と皮膚の間にそっと私の手を滑り込ませ、手を握ったり違うもの握らせて気を反らせる。顔にも5つもある蚊に刺されで、どうも人相も違って見える。11ヶ月の誕生日を思い出すたび、顔中赤い斑点に覆われた我が子に頭を下げるだろう。

寝相アートなるものは、結局1度もやらなかった。そういう場に行く機会がなかったのもあるが、そこまで興味が湧かなかった。子どものSNSへの露出についても慎重だ。山崎ナオコーラさんの『母ではなくて親になる』という本の中で、ナオコーラさんが自分の生んだ赤ちゃんをずっと「私の家にいる赤ん坊」と呼んでいた。性別さえも、子どもの許可もなく勝手に晒さないという配慮に、共感し納得した。だから私も、名前も性別も、SNSには必要な時以外出さないようにしている。顔写真も出さない。下向き横向きなどはギリギリOK、仕草やパーツはOKと自分なりに線引きをしている。

私の家にいる赤ん坊。そう呼べるのは、いつまでだろうか。赤ちゃんから幼児へと変化しつつある、蝶々になろうとごそごそしているサナギのような今の姿を目に焼き付ける。1歳が蝶々なのかはよくわからないが、少なくとも大きな一区切りではある。私が母親になって、もうすぐ1年になる。