見出し画像

優しくありたい

お久しぶりです。
noteをあんまりひらけていませんでした。
というのも、急に父が亡くなったのです。

自分の今の気持ちを書けば気が紛れそうなので書いてみますが、ちょっと暗い話なので、読みたい人だけ読んでくださいね。



***



嫌いだった父が急に逝ってしまった。


びっくりした。
絶対しぶとく生き抜いて、私たちをもっと苦しめるんだろうと思っていた。

父は元々かなり偏屈な性格で、私とは全くソリが合わなかった。
なぜそんなことで?という、理不尽なことで怒られて、一日中怒鳴られたこともザラだった。


一度怒り出すと手がつけられなくて、外出先や、人前で怒鳴られたこともある。受験で大事な時期に、一晩中怒鳴られたこともある。



その様子は「気が狂っている」という言葉でしか言いようがなくて、どんなに謝っても、説明しても、本人の気が済むまで怒鳴り声はやまなかった。


要するに普通ではなかったと思う。




わたしが大学に入学して離れて暮らすようになってからは、アルコール依存症になり、精神科の病院に入退院を繰り返した。



アルコール依存症とどういう関係性があるのかはわからないけれど、父はその後パーキンソン病になり、身体が思うように動かなくなった。


動かなくなったけれど、態度のデカさは変わらなくて、そんな状況でも周りに怒鳴り散らしていたし、面倒をみていた母に感謝の言葉もなかった。

私はずっと離れて暮らしていて、一部始終を見ていたわけではないけれど、母に電話すると、いつも父の愚痴ばかりで、私は母に電話するのが気が重い時期もあった。

病気の進行を防ぐために、運動した方がいいのに、そういうこともしない。なんでも母にやってもらおうとする。気に入らないことがあれば怒鳴る。わがまま放題。


でも、母はなんだかんだ言って、父の面倒をよくみていたし、調子が良いときは、映画や食事に連れていったり、私や兄も加わって旅行にも連れていった。


そんな状況が15年以上続いた。


本当によく面倒を見たと思う。

だから、仕方ないと思う。
仕方ないと思うしかない。




父は私が小学生の頃に、独立して1人で仕事をしていたけど、いつも暇そうで、そんなに稼ぎはなかったんだと思う。
それでも、私が大学に行ったりできたのは、父の両親、つまり私の祖父母にお金があったからだった。


だから、父のおかげで生活できてたわけではないし、育ててもらった恩、というのもあんまり感じてない。



本当にダメダメな父親だったと思う。



それでも、


それでも、やっぱり亡くなったら悲しかった。涙が止まらなかった。もう会えないんだと思うと、心が引き裂かれそうだった。こんなに悲しくなるなんて、思ってもみなかった。


まだ、私が小さかった頃、よく家に遊びに来ていた友達が、お父さんによくしてもらったからと葬儀に来てくれた。そういう平和な時期があったことすら、忘れていた。



もっと私の心が寛大で、もっとお父さんに優しくできていたらよかったのに。そうしたら、お父さんは、いくらか元気になれただろうか。


後悔してもしょうがないんだけど、やっぱり思ってしまう。



父は、心が弱くて不器用な人だった。
私はこれから、そういう人に、優しくありたいと思う。全ての人に優しくありたいと思う。



だって、人は簡単にいなくなってしまうものだから。

それが、父へのせめてもの恩返しだ。




ああ、本当に気が沈むけれど、とりあえず、母と兄と、美味しいラーメンを食べてきます〜

また、通常運転になったら、いっぱい食べ物のことを書こうと思います。(ネタはたまっている)

めっちゃ美味いラーメン






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?