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ゴマをすり、りんごを磨く。


ごまをするのが好きだ。


と書くと、私が上司にとんでもないおべっかを使う、姑息な人間だと思われそうですが、
私が好きなのは「すり鉢でごまをする」行為そのものなので勘違いならさぬようお願いしたい。

すり鉢でゴリゴリとごまを擦る感覚や、ごまの香ばしい香りが大好きで、少しずつゴマが擦られて、粒が細かくなっていく様も見ていて楽しいものです。


ゴマをする、の由来

そもそも、なぜ「ごまをする=気に入られようとお世辞を言う」という意味になったのでしょう?ネットで少し調べてみると、

煎ったゴマをすり鉢ですり潰すと、すり鉢やすりこぎにゴマがベタベタとくっ付きます。
その、ゴマがベタベタつく様子から「ゴマを擦る」は、他人に迎合することや、偉い人に媚びへつらう意味となりました。(諸説あり)

ふーん、昔の人は面白いことを考えるものです。
なんだか若干こじつけのようにも感じますが。

手をモミモミしなが媚びへつらう様子と、ゴマをする様子が似てる(似てるか?)なんて説もありますが、現代、どれだけの家庭ですり鉢を常備して、ゴマを擦って胡麻和えを作ったりするのでしょう?もう子どもには通じない表現になりつつあるかもしれません。


料理の基本動作


ゴマをすることもですが、鰹節で出汁を取るとか、料理の基本動作とでも言うのでしょうか、単純な作業がわたしは結構好きです。ネギを刻んだり、キャベツを千切りにするのも嫌いではありません。(もちろん面倒な時もありますが)

しかし、そういう単純作業で出来るものは、大抵市販されています。
ゴマもすりごまとして売ってますし、千切りキャベツも刻みネギもパックされています。かつおだしは言わずもがな。

それはそれとして便利で良いものだと思いますが、料理の単純作業は、一種の瞑想状態のような、無心になれる、心が休まるよう行為のように思います。


料理と茶道の共通点


私は大学時代、茶道部に所属していましたので、お茶を立てるのは精神統一にとてもよかったです。が、私自身はガサツな性格で、お茶会の格式高い雰囲気が苦手だったので、大学卒業後も茶道を続ける気にはなりませんでした。

でも、料理をするようになってから、お料理の工程には、お茶を立てるような気分で、無心になれる瞬間がいくつもあることに気づきました。

慌ただしく過ぎていく生活の中で、時短が良しとされる風潮は仕方ないと思いますが、あえて、めんどくさいことを淡々とやってみると、時間の奥行きが感じられるかもしれません。



そんな理由で、今日もわたしは義母のためにゴマをするのでした。
(この「ゴマをする」は、二重の意味で捉えていただいても良いかもしれません。笑)


余談

「ゴマすり」を英語では
apple polisher (りんごを磨く人)
と言うそうです。

気に入られたくて、りんごをピカピカに磨くんですね。こっちの方がわかりやすいし、なんか可愛い気がします🍎

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