「トイレ行ってもいいですか?」が言えない子供時代

 自分の診断書には「身に危険が及んでも周囲に協力を呼びかけることが難しい」と書かれている。言われて考えてみれば控え目を通り越して異常なほど「自分で何とかしよう」と思う子供だった。

トイレは我慢する

 怒られるから…その場の空気を崩したくないから…

 理由は様々だが、とにかくトイレに行きたくなっても限界まで我慢してしまうことが多かった。その結果漏らしてしまったり、具合が悪くなってしまったこともあるが自己責任で納得できていたし、良く考えれば体内コントロールがしやすい体質なのかもしれない。

物事を聞かない

 仕事をするようになってからこの体質が自分を狂わせはじめました。とにかくこの世界は「わからないことは聞いて」「自分の判断で勝手にやらないで」と釘を刺される場面が多い。しかもこの一見親切そうに思える言葉の数々は表面上だけで本音は「忙しいんだから話しかけないで」ばかりなのだ。それが見えてしまっていたら自分で何とかするに決まっている。

 どれだけ道順が違っても、人とやり方が違っても、必ず同じゴールにたどり着ける自信は持っている。でもほとんどの場面では決まったやり方をしなければいけないことが多い。

孤独死は避けられない

 自分の人生がどのような終わり方をするかイメージすると、重い病気になっても病院に行くこともなく病死を選択すると思う。将来的に入院や介助の対象になったとしても医師や看護師に自分の状態を伝えることはないだろう。本当に危機的な状態になっても「大丈夫」って言ってしまうはず。

せめて地域に見守られながら

 30歳を過ぎて人口の多い都市に住居を移しました。相変わらず自分だけで何かを解決しようとする体質は変わらないけど、今の地域では助け合いや見守りが盛んで、知らない人同士がいつでも協力しやすい環境にあります。

 福祉施設や病院に入れられてしまうようなことは自分にとって逆にストレスとなってしまう。少し買い物に行くだけでも他者と接点が持てる、これだけで十分。もし自分と同じような人を行政が発見しても施設に入れる以外の方法で地域と繋げて欲しいと思っています。

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