サオンヌ

ビートルズヲタ、歌ったりご飯作ったり絵を描いたり

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最近の記事

秘めごとを書く女

お墓で放尿する女性を見た西城秀樹が恋に落ちると言う描写が「寺内貫太郎一家」というドラマの中にあり、向田邦子のエロスの表現に打ちのめされたと『光る君へ』の脚本家大石静氏が語っていた。彼女は向田邦子をこよなく敬愛している。それを語っているドキュメンタリーで、別の向田邦子のドラマでは桃井かおりが、マンションの隣の住人の情事の声を聴き、欲情する描写が描かれている。行為中に山手線?の駅の名前を淡々と連呼する男性の声を聴いて息を荒げる桃井かおりの表情は生々しくて、昔のテレビ番組は許された

    • 恋する暴力

      「人のセックスを笑うな」の山崎ナオコーラさんが光源氏はマザコンでロリコンだと述べてあったけれど、今も昔も日本人男性、もとい世界中の男性てそんなものだと思う。 ただ、この物語、この平安時代、恋愛が成就するにあたっての流れを見ると、夜這いてコレ、ほぼ合意ナシのレイプじゃない??と今さらながら驚愕する。垣間見だって立派な覗きで犯罪だ。と言うか、この時代て恋愛自体がもうだいたい暴力だ。 美しさやロマンティシズムに装飾されていても、いくらイケメンで裕福で身分が高くても、それが男らし

      • 愛される暴力

        セックス&バイオレンスな平安時代になる、と脚本の大石静さんがおっしゃっていた通り大河「光る君へ」は初回から衝撃の血しぶきで、今週はネット界隈が大騒ぎだ。 刀を振るった道兼を演じる玉置玲央さんの演技も見事で「大奥」の黒木の雨の中の慟哭で完全にファンになっていた私も、予想以上の素晴らしい表現力だった。 多くの人は道兼をサイコパスだ、ホラーだ、あんな人間許せないと怒ってある。 恐ろしいのはそんな彼を、どこか憎めないというか、同情させてしまう玉置玲央の演技と、もしかしたら脚本もなのか

        • ステイシー先生の変遷とアラン牧師夫人の消滅に見るアンのロールモデル

          「アンという名の少女Anne With An E」の再放送が最終回を迎えた。2回目として見直しながら、やっぱり傑作!と再確認。このドラマ化のどこが傑作なのか、これまでのメディアミックス化と何が違うのか。 今回はステイシー先生の変遷とアラン牧師夫人の消滅から考えてみようと思う。 2人の女性はアンのロールモデルとなる女性。その姿は、教師を経て、牧師と結婚して牧師夫人となったモンゴメリ自身とも重なる。 アンという名の少女(以下AWAE )の配役と役作りは、本当にどのキャラクタ

        秘めごとを書く女

          音楽の前で裸になれる力〜Meeting The Beatles in India〜

          これまでカナダの作品を見た経験はサウスパークとモンゴメリ系のドラマシリーズくらいだったと思う。案の定、あまり予算が張られてなかった映画のようで、ビートルズの楽曲もビートルズの映像すらほぼなく、あってもニュース映像や写真、肝心なところは英会話テキストのイラストのようなアニメーションで語られる。 上映館もシネコンではない。限定上映だったとはいえ、大手ディズニーから配信されたゲットバックとは大違いだ。 こういうマイナー系の映画を見ると、ビートルズが生きている欧米の白人の世界も国

          音楽の前で裸になれる力〜Meeting The Beatles in India〜

          【イマジンは甘くない】IMAGINE無き偽善者は正義を騙り暴力をふるう

          ジョン・レノンが「IMAGINE」を発表する時に「この曲は言いたいことをシュガーコーティングした」と言っていたのは有名な話だ。当時彼の発表した作品たちを見ても「Give Peace a Chance 平和を我等に」「Gimme Some Truth真実をがほしい」など当時の政治に異を唱えたものが多いし直接的には反戦活動家の「John Sinclair」釈放を訴えた曲を歌ったコンサートはFBI捜査官が会場に赴いてチェックされるほどだった。 「IMAGINE」は表向きは子ども向

          【イマジンは甘くない】IMAGINE無き偽善者は正義を騙り暴力をふるう

          「Revolver」もしくは「PetSounds」としての「Rilla of Ingleside」

          「Anne of Greengables 赤毛のアン」はメルヘンな少女小説なのか。 赤毛のアンを原作としたドラマ「アンという名の少女 Anne with an E」のFacebookグループを運営していて、集まってくださったアンのファンの方がたのコメントを読んでいると「このドラマ重すぎ」「怒涛の展開や社会問題はいらない」「赤毛のアンはふんわり楽しんでいたい」という声がいくつか見られた。 その気持ちはわかる。詐欺師コンビのクリフハンガーは必要なかったし、改めてドラマあらすじを

          「Revolver」もしくは「PetSounds」としての「Rilla of Ingleside」

          【老い】娘世代から見る吉田拓郎さんの引退【落陽】

          ムッシュかまやつさんの死と吉田拓郎さんの引退は、名前の由来が「シンシア」から来ている私にとって、親戚のおじさんを失ってしまうくらい悲しく感じられた。 父は吉田拓郎さんのファンで、彼が南沙織さんを想い歌った「シンシア」から私の名前をつけた。 生まれて初めて父にギターで教えられ、歌った曲は「夏休み」だ。 むぎわらぼうしは もうきえた たんぼのかえるも もうきえた それでも まってる なつやすみ 私はしばらくこの曲を子どものもための童謡だと思っていた。それくらい、この曲は

          【老い】娘世代から見る吉田拓郎さんの引退【落陽】

          【植民地的】コロニアル・ビートルズ【帝国主義的】

          世界は全く平等でなくて、平等でなくて良いのかもしれないのだけれど、もし平等でないことに本気で憤るなら、平等でない現実を直視しして受け入れることから始めないと、私達の住む世界はベストどころかベターにもならない。 かつて白人たちがリヴァプールから出航し武器を持って黒人たちをジェノサイド大量虐殺・占領し(それはセットだ)植民地として支配し、女性や子どもを含み労働力として奴隷や資源を搾取し、そしてまたリヴァプールから商品たちを世界中で売り捌いて富んでいく。そうやって大英帝国は日本と

          【植民地的】コロニアル・ビートルズ【帝国主義的】

          愛は深いほど壊れやすい

          愛は深くて強いほど壊れやすい。 強い愛があれば壊れない、大丈夫だなんて全くウソで、現実は正反対だ。 強くて深い愛は、あまりにモロい。 あんなに愛し合ってたのになんで?とか、あっさり別れを切りだすなんて冷たい、愛が薄いと言うひともいるけれど、逆。愛が強いほど相手に尽くすし、そうすると、やりきれば未練はスッパリなくなる。たったあんなことで?と驚くひともいるけれど、深い愛を保つには無神経さはご法度だし、ケアもメンテナンスも反省もアップロードも必須なのだ。 逆に愛情が薄っぺらで上

          愛は深いほど壊れやすい

          ビートルズの宗教学

          宗教の中にいて宗教を分析することは不可能だとローマ人の物語を書き続けた塩野七生女史は語っている。多くの欧米人はローマ人を異教徒と見ているフシがあり、ミラノ勅令にてキリスト教を国教化したのちにもローマ人はキリスト教を迫害をし、キリストを殺した人々として弾劾される。 私は父方が長崎のカトリックの家系なのだけれど、多くの人はそれをとてもロマンチックで西洋的なものとして捉えていることとに違和感を覚えてきた。 少なくとも私の触れてきたカトリックはとても泥臭い。イエスさま曼荼羅もあるし

          ビートルズの宗教学

          晩年を始めることにした

          私は天才なので17歳で山田かまちのようにギターに感電とかして死ぬと信じていた。エレキギターを持っていないことが幸いしたのか私は生き続けて、彼のカラフルな色彩のプリーズ・ミスター・ポストマンの水彩画を見ながら、彼が好きだったビートルズを聴いたりしてるおばさんになった。 30歳の頃、お腹の中にいる息子の出産を目前にしながら、たぶん60歳で私は死ぬだろうと予測して30歳の現在を人生の折り返し地点と決めることにした。村上春樹の初期の短編にカンガルー日和あたりに入ってる作品にそんな男

          晩年を始めることにした

          赤毛のアンと介護

          赤毛のアンが他の少女小説と一線を画すのは、女性の生活がリアリティに溢れて描かれているから。100年たって生活様式が変わった現代でさえも、鮮やかにアンシリーズの女性たちのささやかな幸せやユーモアや小さな呪いたちが私達に訴えてくる。 20世紀を目前にした、新しい時代の、片田舎の保守的な村において彼女が直面した多くの葛藤が潜んでいる。時代の制約や価値観によって書きたかったけど書けなかったことすら、よく目を凝らせば浮かび上がってくる。 その一つがアンと介護の問題だ。 赤毛のアン

          赤毛のアンと介護

          少年たちを「喪失」に向き合わせたもの

          村上春樹の作品たちは私が勝手に暴力的な分類をすると大まかにいくつかの傾向がある。 ①ある日主人公が、何かを失っている、失ったことに気づいてそれを取り戻すための冒険に出かけるもの「羊を巡る冒険」「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」「ねじまき鳥クロニクル」主に長編 ②「僕」が友達の日々の屈託を受け入れていくもの「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」「回転木馬のデッドヒート」初期の短編や中編 ③三角関係を秘めた恋愛もの「ノルウェイの森」「蜂蜜パイ」「イエスタデ

          少年たちを「喪失」に向き合わせたもの

          『ヘルプ!』中期前夜のナーヴァスな喧騒

          ビートルズ中期の始まりは、当然『ラバーソウル』だと思っていたけれど、ライブツアーをやめてスタジオに籠もり『サージェントペパーズロンリーハーツクラブバンド』を出したところからが中期という見方もあるし、レコーディングエンジニアのジェフ・エメリック氏がポールの推薦でアルバムに参加するようになった『リボルバー』からとも言えるかもしれない。 どちらにしろ『ラバーソウル』のひとつ前のアルバム『ヘルプ!』は初期の集大成と位置づけても良いと思う。私はこのアルバムの居心地の悪さがずっと気にな

          『ヘルプ!』中期前夜のナーヴァスな喧騒

          中期ビートルズと村上春樹

          音楽としての「ドライブ・マイ・カー」について。 ①中期ビートルズと村上春樹 「ドライブ・マイ・カー」は『女のいない男たち』に収められている短編なのただけれど、この小説と映画に、ビートルズは出てくるか、というと、全く出てこない。 映画のラストにもしや、と思われる場面があるが、なにか別の歌謡曲のようなものが流れているだけだった。どうやら著作権の問題で許可が降りなかったようだ。(ビートルズの著作権はかなりややこしくて有名) 「ノルウェイの森」のようにヒロインの直子がタイトルを

          中期ビートルズと村上春樹