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鉛の錬金術師

最近、3年前の日記を書いている。
2020年の4月からの日記だ。

「どうして?あなたはとんでもなく暇なんだね」と笑われたが、「忘れたくないから」の一言に尽きる。
どうしても忘れたくない日々があるのだ。

いま毎日つけている日記は、あと1ヶ月でちょうど1年になる。つまらないこと、小さいことでもありのままにだらだらと書き連ねた日記。

意外と生真面目な性分なためか、日々感じたことより何をしたかを書き留めるような形になっているのが少し残念だが、お陰で「あの日」が全く思い出せないことはない。

2年前は、3年前の思い出せない日が増えていくことを嘆いていた。
零れ落ちていくことにどうやっても抗えない。

大切な人たちがくれたあんな言葉もこんな言葉も、いつか私は全て忘れてしまう。

現に高校で誰と何を話したかという記憶は全くなく、大学での何気ない会話も、自分の手の届かないところに落ちてしまったようだ。
それがどうしたって悲しいのだ。

もうひとつ理由を上げるとすれば、自分が生きた証を、のちに誰かに見つけて欲しいからだ。

私は漠然とだが、ある日突然この世からいなくなるような気がしている。特に、何かしらの事故に巻き込まれるんじゃないかという気がずっとしている。私は運が悪いし情けないので。

まあそんなことを考えてもまったく仕方がないことなのだが、本当にそうなってしまったらあの世からできる手配はないので、今から仕込んでおこうということだ。

突然私がこの世を去っても、なんの後悔もなく、ずっと幸せで人に愛されて生きたということを、誰かに見つけてほしい。
「良かったね」と思って欲しい。
ただそれだけのこと。


終わることを考えながら生きることは、馬鹿げているだろうか。哀しいことだろうか。

私はそうは思わない。
終わりはいつだって自分の想定より早く来てしまうものだから、「もうそんなときか」と微笑んで、すっと立ち上がれるくらいの心持ちでいたい。

あとこれは、私の中でちょっぴり繋がっていることなのだが。

いまの彼氏とお別れをした夜には、いっしょにできなかったことを数えて眠るより、できたことを数えて眠りたいと思う。そして、相手にもそうして眠って欲しいと思う。

仕方のないことはいっぱいあって、時に「それは努力の範疇を超えてセンスの問題だよ」と思うことがある。どうやら私は圧倒的にセンスのない下劣な人間らしい。

どうしたものかと考えて、自分なりに伝えようとしても「何をごちゃごちゃと」「意味の分からないことを」と一蹴されたことも二度三度ではない。その度に鉛を呑み込んだような気持ちになって、自分のセンスが価値をなさない世界と、それを与えた神を呪った。

私は、私の文章をとても美しいと思う。
そして好きだ。だから紡ぐことを辞めない。

でも、私の口から出る言葉はとても嫌いだ。
いつか呑み込んだ鉛玉が、願ってもない方向に飛び出していく。その最悪な一部始終をまざまざと見届けながら「ああ神様!」と天を仰ぐ。
自分でぶっぱなした物の後始末もまともに出来ない己の情けなさに涙が出る。目眩がする。吐き気がする。

鉛はそのへんの酸では溶けないらしい。反応して皮膜を作ってしまうだけ。なら私のショボイ胃酸で溶かせるわけもないね、そりゃそうだ。相手の怒声を余所に、そんなくだらないことが頭に浮かんで消える。本当にくだらない。

沈黙は金、多弁は銀だと言う。
私の多弁は銀どころか、害悪な鉛だ。
だったら私は、いっそ鉛を金に変える錬金術師になるべきだ。

無理に溶かして無くそうとしても、こいつは皮膜を作ってそのままで、いつか暴力的に飛び出していく。

だったら私は口を瞑ろう。
金になるまで転がしてみよう。
頃合になったら日記やここに書けばいいし、それがそのまま自分の錬成陣となり、積み上がっていく。

最後には、金の文字山が残るというわけだ。貨幣的価値には変えられないが、この世の誰かにとっては文化的価値があるかもしれない。
見つけられた人はラッキーね、などとワクワクしちゃって申し訳ない。自惚れです。

それに私が錬金術師になった暁には、身近で無意味な争いもなくなるだろうし。
穏やかな日々がずっと続くのだろうし。
最後の夜も良い思い出だけ浮かぶのだろうし。
その後も、たまに思い出してもらえる存在になれるのだろうし。いや思い出されたいし。

結局自分がよく思われたいからというエゴと、身近な人の幸福を願う気持ちがこんがらがってしまっているが、まあそんなもんだろう。

私は私のために、隣にいるひとのために、社会のために、余計な口は開かないでおこう。

それでもきっと、私の言葉は誰かに届く日が来るのだから、何の心配もいらないはずだ。そのときの価値は自分がいちばん信じている。

そして私に役立たずのセンスを与えた神よ、私は貴方に背き、しこたま金を錬成してやりますよ。そりゃあもう黙々と。でも怒るのは会った時にしてください。それでは。
おやすみなさい。

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