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おでん記念日

今日は終わりの良くない1日だった。
10時半に起きて、ばっちり可愛いメイクして、お気に入りのベーグル屋さんとスタバをハシゴして、新作のティーラテ片手に晴れた公園で大充実のパン活をした。ここまでは良かった。

研究室に着いてすぐ、昨晩仕込んでおいた細胞相手に実験を開始した。プロトコル自体は単純な再現実験なので、そこまで心配していなかった。のんきに手を動かしてたら4時間が経っていた。

でも蛍光顕微鏡で見えたのは闇。
細胞中のタンパクがプローブと反応して蛍光を発するはずなのに。しかも3種類使ったのに1色も光らなかった。なぜ。

初めてやる実験は絶対失敗するというジンクスをもつ私だが、最近はちょっとうまくいってたので久々にがっくりきた。疲れが一気に来て夜ごはんは食べすぎたし、頭を冷やすつもりで行ったスーパーではホッケの開きを4枚買っていた。
終わりである。

ラボに帰ったものの、すぐ実験室に戻る気にはなれなかった。最近仲良い人にLINEで「実験失敗して、原因考えてるけどわからんのよね」と送ったら、「わからんのかい笑」の返事。
かる....い、なぁ?

研究とは縁のない世界で生きてる人に何かを期待するのは無駄だと、分かってはいたけれども、「そうかあ~」と思った。
「そうかあ~」と思って言及してしまった。

長々と堅い文章が往復する事態になって、「楽しく会話したいだけなのに、どうして私はこうやって突っかかるかな」と自分を責めた。そういうニュアンスの返事をした。そのほうがもう楽だし、なかなか直らない自分の悪い癖だし。
話を打ち切ったあと、どっと疲れて帰れなくなった。このまま目を瞑ってしまいたかった。

でも落としてないメイクとコンタクトが気にかかったので、気力を振り絞って歩いた。あのひとだったらなんて言うかな、が溢れて止まらなかった。頬をつたう涙の温度で季節を感じた。

ふと空を見上げたら見覚えのある星座が見えた。「今日はオリオン座がよく見えるよ!」とLINEした日の記憶が呼び起きて、また涙が出た。
いろんなものを引き摺りながら歩いた。

シャワーを浴びたあと、歯ブラシにかけた手を止めた。お腹がすいている。時計の針は3時だし、心身ともに憔悴しているし、このまま大人しく寝るのがいちばんなのは自分でもわかっていたけれど。

「今日買ったベーグルを食べてしまおう。」

良くない日にはわくわくすることをやりたい。
レンジで温めたあとにふわっと漂うシナモンの香りで、これでいいんだと思った。モヤモヤする気持ちを、りんごとクリームチーズの甘さが溶かした。

血糖値が上がってようやく眠気を感じたけど、もっと自分の機嫌をとるために、初めておでんを作ることにした。良くない今日を、おでん記念日に変えてしまいたかった。材料は買ってあったのでもうひたすら下茹でをして、あとは煮込むだけ。コンロが一口しかないせいで時間はかかるけども、何とかそれらしいものが出来ていく。

浮かぶ具材を箸で沈めていると自然に壁によりかかっていて、身体の限界が近いことを悟った。それでもなんとか立っていた。何かわからないものに突き動かされていた。朝6時のベッドで泥のように眠る前、父親の言葉を思い出していた。

生き様も死因も、ろくでもない父親だった。

小学生のいつかの夏、帰省した父方の実家で私はなかなか寝つけなかった。隣の布団には弟、隣の部屋には犬とおばあちゃん。みんな自分を置いていってしまった。毎晩21時に寝ていたので、寝なければと思うほど寝れないことが苦しくて、涙が出た。時計の音を聞きながら何度も寝返りを打った。

どうしようもないのでトイレにでも行こうと、明かりのついた母屋に向かうと、居間には父親がいた。深夜番組を見ながら、いつもどおり酒と煙草をだらだらやっていた。

「寝れん」とぐしゃぐしゃ顔で言う私をちらっと見て、面倒くさそうな顔で「じゃあ寝んかったらええ」とだけ言って、またテレビに視線を戻した。

「小学生の可愛い娘が泣いているのにそれだけ???」子供ながらにそう思った。

戻っても寝れないのは分かっていたので、後ろに座って一緒にテレビを見たけれど、それは全然面白くなかった。でも1時間ほど見続けているとなんだか眠くなってきたので、適当なところで寝に戻った。

「子どもは夜寝ないといけない」という自分の当たり前は、父親にとっては当たり前どころかどうでもいいことなんだと、そのときは衝撃を受けた。でも成長するにつれて、1日くらい寝なくても人は死なないことと、この世に「○○でなければならない」ということは大してないことを知った。怠惰の象徴が救いになることもある。そういう父親の背中から何かを教わったのは、それが最初で最後だった。

今はもう、その言葉を都合よく解釈できるくらいの大人になった。寝れないなら寝なかったらいいし、寝たくないなら起きてればいい。

深夜3時にベーグルを食べたっていいし、おでんを煮込み始めたっていい。半年間触る気になれなかった一眼レフを持ち出して、下手くそなおでんを形に残したっていい。おまけに文章まで付けたっていい。

明日のことなんて考えずに、ワクワクすることをしよう。それが今の私を守ることだから。


翌日のお昼、初めて入れてみた木綿豆腐がいちばん好きなことに気がついた。教えてくれた昨日のひとに写真付きでLINEを送った。すぐに返事が返ってきた。これでよかったんだよね。

初めて作ったおでんは正解の味がした。

感覚的に「いいな」と思ったらおねがいします