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どこまで行っても

土曜日。
半年ぶりに会う人とデートをした。
お昼に名古屋の素敵なホテルでアフタヌーンティーをして、私のお買い物に付き合ってもらって、公園でマリトッツォを食べて、夜ご飯では久々にお酒を飲んだ。

何もかもが半年前と全く変わってなくて、何度も見た夢みたいだった。食べるもの、話すこと、見る景色、起こること、全てが大正解だった。本当に楽しい1日だった。

「〇〇さん、彼女いますか?」

さいごに、ずっと聞こうと心に決めていたことを聞いた。いままで怖くて聞けずにいたことだった。

でも相手からの回答はなかった。またはぐらかされて、答えてくれなかった。

やっぱりなあ、と思った反面、自分も悪者になってしまったという後悔の念で涙がどっと出た。事実は常にふたつにひとつだ。答えられないということは、そういうことなんだろう。その人はこの場にいるべきではなかった。

前の晩、深夜3時に塗った爪が鈍く光った。この手で相手の顔でも殴ってやれたらよかった。汚い言葉で罵ることもできたらよかった。私は、自分がその場から飛び出すことしかできなかった。


相手は、どんな気持ちで今日を一緒に過ごしたんだろう。

私は半年前からダイエットを始めたよ。
いつかも分からない、次にあなたに会う日のために、5kg痩せたよ。食べたいものも我慢して、疲れてる日も筋トレをして、走るの嫌いだけど頑張って、今は14km走れるようになったよ。服だってこの日のためにわざわざ買って、ピアスや靴も服に合わせて買ったよ。この一週間は毎日天気予報とにらめっこしてたし、ニキビひとつもできないように毎日ちょっといい化粧水を使ってたよ。

今日だって、朝8時半から準備してたのに、結局家出たのは12時になったよ。ファンデーションのムラが気になって何度も塗り直したし、眉毛も2回書き直したよ。「3分でできる簡単ヘアアレンジ」っていう動画だったのに、私がやってみたら30分以上もかかっちゃったよ。

最高に可愛い私で会いに行くために、本当に全力を尽くしたんだよ。これ以上可愛くなんて、無理だったよ。



飛び出して10分ほどしたら、相手から電話がかかってきた。

「いまどこにいるの?」と聞かれた。
涙でぐちゃぐちゃの顔で、「答えられません」と言った。ほんとうは、走って帰りたかったよ。ちゃんと会って話をしたかったよ。

「説明させて欲しいんだけど、いま僕に彼女はいないよ。だから、〇〇さん(私)は何も悪くないよ。でもね、そうなりたいと思ってるひとはいる。」

それってつまり、「僕には他に好きな人がいます」という事じゃん。

初めから私はあなたの恋愛対象じゃなかったんだなあ。半年間がんばって見た目を変えても、相手のクリティカルな部分には何も響いてなかったんだなあ。かなしいなあ。

ふつうは、この時点でもっと相手の誠意の無さに激怒するのだと思う。彼女じゃなくても好きな女性がほかにいながら、1日かけて自分のことが好きな女の子とデートするなんて。どういう思考回路をしているのかと、問いただすんだと思う。

挙句の果てに向こうの口から出た言葉は、「また〇〇さん(私)の気持ちが落ち着いたら会いましょう。」だった。

気持ちが落ち着くってなんだろう。自分との関係性にこれだけ泣いて悩んでいる相手に対して、軽々しくまた会いましょうなんて言えるのは、やっぱり私のことちゃんと考えてくれてないね。私がどれだけ傷ついたのかも、この人は分からないんだね。

どこまでも底の見えない穴に向かって独り叫んでるような感じがした。

「普通、自分のことを好きな女の子にあれだけ泣かれたら、何かしらは響くものだよ。なのにずっとヘラヘラした調子で、完全にその男は頭がおかしいよ。」

そのあと話を聞いてくれた友達はこう言った。
そうだよねえ。私もちょっとそう思う。
私のこと、なんだと思ってるのかな?
また会いたいけど、気持ちよく会うのを許されないようにしてるのはどっち?


電話のあと、そのままその人は帰ってしまった。ほんとうは、駅のホームまで送ってあげるつもりだった。笑顔で「またね」って別れるつもりだった。そうできなかったのは、そうさせてくれなかったのは、あなたがいままで浮ついた気持ちで私に接してたからだよ。

会えずに別れた悲しさでまた泣いた。電話が終わったあとも、1人で散々泣いた。次の日のセミナー発表は体調不良でお休みを貰った。

家で何してても涙が止まらなかったので、いろんな友達に連絡をして、話を聞いてもらった。その大勢の友達は、1人残らず口を揃えてこう言った。

「それは完全に男が最低最悪だよ。さっさとLINEもブロックして、もう忘れな。もっといい男なんてこの世にたくさんいるよ。」

最初の1文だけはそうだと思った。でもLINEはブロックできなかったし、そんな男がいるなら今すぐここに連れてきて欲しいと思った。綺麗事だよ。そんなのは。

昨日以上に楽しい1日と、一緒に過ごした去年1年間を塗りつぶすほどに私が好きになれる人って、もういないと思うよ。なぜここまで強くそう思うのか、自分でもわからないけど。

またその次の日、私が元気がないことを知った同期が、夜ご飯に誘ってくれた。インドカレーを食べに行った。「送るのはおうちでいい?」と聞かれた瞬間、また1人になって泣いてる自分を想像して涙が止まらなくなった。同期は慌てて、「バッティングセンターにでも行こうか!」と言った。

生まれて初めてバッティングセンターでバットを握った。別に行きたいと思ったわけじゃないけど。何してるんだろう。球も全然打てないし。

そう思ってバットを振ってたら、1球が右手の人差し指に直撃した。痛すぎて折れたかと思ったけど、幸い打撲で済んだ。その後はもう痛む指を抑えながら、楽しそうにバットを振って球に当てていく同期の後ろ姿を見ていた。

そのあと食べたアイスの味も、あんまり覚えてない。余分なカロリーを摂取して、何やってるんだろうとしか思えなかった。人の善意を有難く受け取れない自分にも嫌気がさした。

もう一度話も聞いてもらったけど、やっぱり結論としては、もうこのまま関係を続けたところで幸せになることなんてないし、LINEをブロックして終わるのが一番だということになった。

そうだよねえ。分かってるよ、頭では。

人に相談すればするほど、なぜか私は追い詰められていった。トロッコ問題みたいだと思った。私はこれだけのことをされてもまだ、その人に会いたいし連絡もとりたいと思っている。でもそうすると、今まで相談してきた周りの人たちからの信頼は喪うことになる。「あ~、結局そうなんだね、わかんない人だなあ。もう好きにしなよ。笑」と呆れた顔の友達の顔が目に浮かんで辛かった。私がレバーを切り替えたら、周りの友達はみんな去っていくんじゃないかなという少しの恐怖がそこにあった。

みんなが言うように普通はそうなんだろうな。私が今抱いてる感情は、冷静じゃないから普通じゃないんだろうな。今はそうじゃなくても、将来普通になるような選択をしないといけないんだな。

でもやっぱりさあ。
その人が今後一生私の人生から消えるなんて、耐えられないと思うんだよね。返せないLINEを返そうとするたび、いっそブロックしようとするたび、涙で画面が見えなくなるんだよ。


その日も疲れ果てて家に帰って、布団に倒れたあと、1人の友人の顔が浮かんだ。

それは大学時代の友人で、男の子で、私が好きな人にとても近い要素をいくつか持っている人だった。今までなんとなく連絡しなかったけど、もう背に腹は変えられないなと思って、夜中の3時半だけどLINEをした。ちょっと予想はしてたけど、すぐに既読がついて、電話に出てくれた。


「なんか、全部僕がやりそうなことだなあ。」
全く変わらないそのひとは、静かに笑ってそう言っていた。今日を含めて、今までのことも全部話した。

「なんかそうやって言われたことあるなあ、耳が痛い.....」と呑気に言う友達に、なんてやつだ、でもやっぱりそうだと思った。やっぱりこの人も普通じゃない。


「まあその人が僕だとすると。その人は他の人が言うように、〇〇ちゃんのこと全く大切に思ってないことはないと思うよ。結構考えてるし、間違いなく大切には思ってる。」

「その人も〇〇ちゃんのことを離したくはないんだよ。付き合ったり結婚したりできないっていうのは分かってても、自分から離れられると嫌なんだ。子供だよね、小学生みたいだよね。なんというか愛情表現が下手なんだよ。」

奇人の行動原理は、普通の人には理解できない。理解できないからこそ、「頭がおかしい」で片付けられてしまう。

でもおなじ奇人なら?
どう感じる?なんでそういうことするの?

そういう人ってきっと世界にひとりじゃないはずだ。現にこの広い世界で私はそういう類の友達を、既に1人もっていた。

友達が「こんなの自分で言うの恥ずかしいんだけど」と私のために紡いでくれた言葉が、そのまま解剖書になっていった。
これまでの相手の言動については私も分析済みだったので、ちょうどいい答え合わせになった。そのどれもが大きく外れてはいなかった。

これがストンと理解できるということは、つまり私も奇人なんだろう。

どれだけ泣かされて傷つけられてもその人のことが世界で一番好きで、それもその行動原理を理解した上で好きで、未来が見えないにも関わらず、まだ好きで。

「深層の感覚が全く違うのがわかるから長く一緒にはいられない。でも表層の感覚は合うから簡単には離れられない。そういう関係性はあるよね。」

ああ、きっとそれだ。
どこまで行っても私たちに落ち着いた幸せなんて訪れないけど、どこまで行っても結局離れられない。法がふたりを分かつまで、あと数年間はきっとこの関係は続く。そうしないほうが耐えられないと思うから。

止まらない涙の訳は、相手から受けた傷自体じゃない。世間一般の「普通」やそれに対する同調圧力と、その人が自分の人生から消えることの苦しみで、板挟みになっていたからだ。

傷は互いに生きてさえいれば治るけど、穴はその本人でしか埋められない。そう思ってしまうのは普通じゃないよね。分かってるよ。

友達と電話を終えたときには朝7時を過ぎていた。友達には申し訳ないことをしたけれど、これまで私が相談したどんなひとよりも、飾らない言葉で私を救ってくれた。

「その人の奇行で理解できないことがあったら、また連絡して。」

友達は、最後に笑ってそう言ってくれた。

やっぱりこの世には、奇人にしか分からない感覚があるということか。そもそもまともじゃない人に、まともな物差しを押し当てることが間違いだったのかもしれない。そうして「普通」を推し量れないことに、苦しむ必要はないのかもしれない。

だって私もまともじゃないから。まともだったらまず1年と半年かけて、ここまでたどり着いてないよね。もっと早くに縁も切れてる。


「結局、〇〇(私)がどうしたいかだから。」
まともな普通の人たちも最後にはこう言った。

じゃあそれなら。
私はこれからも傷つくことを知りながら、その人と連絡を取り続けるよ。だってその人と食べるご飯がいちばん美味しいし、いちばんリラックスして最近の話もできるから。一緒に歩くまちの景色もいちばん綺麗に見えるから。

これは全て理屈じゃなくて感覚だけど、いまの私の心を健康に保つのはそういうものだ。
自分でも知らないうちに、そういうもので自分が形作られていた。相手のなかのいくつかも私がそうやって形作ったかもしれない。

今日も研究室には行けなかった。電気の切れた薄暗い部屋でこれを書いてる。でも日が沈む前に今日は家を出られると思う。

頭のおかしい好きな人と、頭のおかしい友人と、頭のおかしい私。そういう人だって今日も生きてていいよね。この輪っかの外には迷惑かけませんから。輪っかの中でひっそり救いあいながら生きていきますから。


ボールが直撃して真紫に染まった人差し指を見つめながら、そんなことを考えている。



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