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友人の話

話していると元気が出てくる友人がいる。
2、3時間なんて喋った日には、「またね」と言って別れたあとの心のポカポカさに驚くくらいだ。

友人皆がそうかと言うと、勿論そうではない。
でもよく遊ぶ人がそうだとか、交友歴が長い人がそうだとかいう訳でもない。
ただひとつ共通するのは異性だということ。

これは何なんだろうな、別に彼らを恋愛的に好きなわけではないのに。

むしろ付き合っている人と話しても、こんな気持ちにはならないのに。

曲がりなりにも1年半近く付き合っている人がいながら、相談事があるときに浮かぶ顔が彼氏を差し置いて「彼ら」であることを、非常に不思議に思う。

このままでは「黙れメンヘラビッチ!」と投石されかねないので、彼らとは一切の肉体関係がないことを、ここで宣誓しておきたい。
そういう低俗な次元の話ではなく、宇宙規模で(?)私は彼らをずっと必要としているのである。

では彼らの特徴や、共通点は何なのか。
どういうところが私を強く惹き付け、必要とさせるのだろうか。

昨日友人のひとりと会って話す機会があったので、感じたことを記しておきたいと思う。




① 何かを積み上げるような話し方。
   (単にテンポかもしれない)

彼らが話す時、コトリコトリという音がする。
自らの言葉をひとつずつ、丁寧に置いてゆくのだ。話している最中には、目の前に積まれた言葉の山ができて、手を伸ばせば私も掴めるような感覚がする。

その山の向こうに、常日頃から彼等が考えているポーズが透けて見える。いや、あえて見せてもらっているのかもしれない。

ともかく高解像度の映像付きで、言葉がすっと自分の中に入ってくるもんだから、私はいつも彼らと何かが通じ合った気がして、心地よいのだ。

どんな技術か分からないが、人を説得するときにはすごく便利そうなので、私も是非マスターしたいと思う話し方である。


② 敵を作らない。

彼らは基本的に物腰が柔らかである。
そのうえ①のような話し方をして、複数人のなかでの立ち回りも上手い。

あと話しているとよく笑う。
くしゃっとした笑顔が印象に残る人だと思う。

そういう人を嫌う人間はまず居ない。

だが、そんな彼らがたまにポツリと言うことの鋭さにはギョッとする。
絶対に敵に回したくないなと思う。

物腰柔らかで人当たりの良い人ほど、優れた洞察力を持っていて、ある意味一番信用ならない人間なのかもしれない。
でも一周まわって、その掴めなさも彼らの魅力なのだろうと思う。


③ 努力家である。

彼らは興味関心が多岐に渡る。
でも人には自分のことをベラベラと喋らないので、ふとした瞬間に「え、そんな一面が?!」みたいなプチ発見をさせてくれる。

そして努力家である。
その姿勢も人前にはあまり出さない。
彼らの中で進みたい方向は決まっていて、毎日自分がやりたいことかつ、やるべきことをやるよう生きている。
彼らは淡々と、遅くとも確実に歩みを進める。

そんな彼らを見ていると、不甲斐ない自分も真っ直ぐ歩けそうな気がしてくる。
辛くても、「あの人も頑張っているしな」と思える。そして、「あの人だったらどうするかな」とも、ちょっと考える。
直接励まされたりしなくても、心に彼らを浮かべるだけで、なんだか足に力が入るのだ。


④ 距離を詰めてこない。


男女の愛情なんて一夜にして崩れるものだが、友情は一生物である(自論)。

その関係から得られる半永久的な利益を犠牲にしてまで、異性間の距離を詰めるのはナンセンスだと思っている。

幸いにも、彼らにとって私はまったくタイプの女ではなく、二足歩行のオモロ生物くらいに思われている。

いやそもそも、彼らは大半の人付き合いにおいて受け身であるように感じる。来る者拒まず去るもの追わず、常に飄々と生きている。

だから関係が進むことも拗れることもない。
付かず離れずの距離で何年も交友が続く。

あまりに人に執着がなさそうなので、「寂しいとか思わないのかな」と見ていて思うこともある。

まあそのおかげで、こちらは安心してマーク外から背中を拝むことができているのだけれども。

⑤ 謙虚である。

きっとあまりコンプレックスがないのだと思う。
好きなものを追いかけながらのびのびと生きてきたおかげで、他人を妬んだり恨んだりするような暇は、人生においてなかったんだろうと思う。
彼らは他人のことなんて、みんなジャガイモくらいに思ってそうなんですよね。

だから、どんな人に対しても物腰柔らかでいられるのだと思う。
強い言葉で自分を武装する必要もなく、逆に他者をけしかけたり、攻撃する必要もないから。

彼らと話していると、向き合うべきは常に自分なんだなということを、思い知ることができる。

そして自分の至らなさや弱さを受け止めているから、他者の心のゆらぎをうまく汲み取り、適切な言葉を贈ることができるのだと思う。

直接的に「アッいま優しくしてくれたな〜?!」と思うような目立った言動はないのだが、「あれが彼の優しさなんだよな」と後々じんわり感じる振る舞いに、私はいつも救われている。

そして、このフラットな謙虚さが、私をもっとも惹き付けるところだと思っている。

彼らが人としてのプライドを持っていることは、友人として付き合う中で感じる。
ただそれがマグマのように煮えたぎったドロドロのものであったとしても、彼らは一切口に出さず、それがあるような素振りも見せないのだ。


個人的に、ある程度ライトな人間関係において、「頑固者だと悟らせない」というのは、とても強いことだと思っている。まさに能ある鷹は爪を隠すの体現だろうと。

彼らは聖人では無いが、うまく人間臭さを消していると思う。ここに真の知性というか、気品を感じる。

それができずに己の首を絞め倒している人間がこの文章を書いているのだが、彼らの謙虚さについては本当に見習うべきところである。




以上5点が、私の素晴らしい友人の共通点と、その考察である。

すでに気づいた方もいるかもしれないが、つまるところ、私は彼らになりたいのである。
こういう人間になりたくてなれなくて、葛藤してしょうがないのである。

彼らと一緒に時間を過ごすだけで、彼らのような人間になれた気がするのだ。
私は卑しい人間なので、それを成長だと勘違って勝手に心地よいのかもしれない。


彼らという道標のおかげで、どうにか今日も路頭に迷わず済んでいる。

たとえ会えなくなったとしても、
どうか死なないでほしい。

どこかでずっと、その歩みを進めてください。

いつも本当にありがとうございます。




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