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「いつも変わらぬ美味しさを届けること」が和菓子職人として当たり前の心がけ

和菓子は製品に含まれる水分量や、材料、製法によってさまざまな種類に分けられます。その中で「焼物(やきもの)」は「どら焼」を中心に、最もポピュラーな和菓子の種類のひとつです。
今回の「一日千秋」は札幌千秋庵の「焼物」の製造を支える、焼物課 課長の木立利一さんにお話を伺いました。

プロフィール
木立 利一(きだち としかず)
出身地 北海道札幌市

1973年(昭和48年)千秋庵製菓株式会社 入社 製造部 焼物課 配属
1994年(平成6年)  家庭の事情で千秋庵製菓を退職し、蒲鉾製造販売会社の工場長として14年間勤務
2008年(平成20年)千秋庵製菓株式会社 再入社
2023年(令和5年)  千秋庵製菓株式会社 製造部 焼物課 課長

札幌千秋庵の代表商品である「デラックス栗まん」や「どら焼」などの製造を行いながら後進の育成に従事している

製造部 焼物課 課長 木立 利一(きだち としかず)さん

木立さんの菓子職人としての歩み

― 入社のきっかけは?

木立:「山親爺のテレビCMを見たこと」ですね。お菓子づくりの製造技術が全て身につくだろうと思って、1973年(昭和48年)に入社しました。

― 入社してはじめて経験した仕事は?

木立:入社後すぐ焼物課に配属されました。入社直後の仕事は「デラックス栗まんの黄身塗り作業」や、「くるみ饅頭にくるみを置く作業」「道具などの洗浄」だったと思います。

「デラックス栗まん」の黄身塗り作業

― 木立さんは1994年(平成6年)に一度、千秋庵製菓を退職されていますよね。その後、他社での勤務を経て、千秋庵製菓に再入社していると伺いましたが、どういった経緯があったのでしょうか?

木立:千秋庵製菓を退職した理由は「家庭の事情」でした。その後、蒲鉾の製造会社の工場長として14年間働いていましたが、千秋庵製菓のことが嫌いで辞めたわけではなかったので、「もう一度、お菓子づくりに携わりたい」という想いはずっとありました。

そして2008年(平成20年)。機会があって千秋庵製菓に再入社しました。再入社後は再び「焼物」を担当することになり、14年振りにお菓子作りに携われるようになったことが嬉しかったですね。

言葉少なめに、当時を思い出しながら語る木立さん

札幌千秋庵の「焼物」について

― 木立さんの日頃の仕事についてお聞きします。
一般的に和菓子における「焼物」とは、 “平鍋やオーブンを使い、焼いたもの”と定義されますが、日頃はどのようなお菓子を作られていますか?

木立: さまざまな種類の「焼物」を作っていますが、札幌千秋庵のお菓子でいうと『デラックス栗まん』『どら焼』が挙げられます。

長年愛され続ける「デラックス栗まん」

木立:『デラックス栗まん』は、ふっくらとした丸長の形の栗饅頭です。白餡に“挽き割りの栗”をたっぷりと入れて練り合わせた餡を、生地で包み焼いたお菓子で、昔ながらの素朴な味わいが人気です。「贅沢に栗を使ったデラックスな栗まんじゅう」ということで、社内では「デラクリ」と呼んでいます。

― 製造工程の一部を写真で紹介します

生地を混ぜ合わせ機械に入れる
包餡した生地種
丸長の形に成形
成形された生地を素早く鉄板に並べる
生地に卵の黄身をまんべんなく塗り、トンネル窯で焼き上げる
焼き上がり!美味しそうな照りとツヤが魅力
鉄板から番重へ、まとめて素早く移し変える
仕上がりを確認して、包装機にかける準備をおこなう

木立:そしてもうひとつは『どら焼』です。札幌千秋庵の「焼物」の中でも人気の高いお菓子ですね。部分的に手作業を残すなど、創業時から代々受け継がれてきた昔ながらの製法で焼き上げています。

どら焼を作るうえで一番のポイントは「生地の混ぜ合わせ方」です。ここで仕上がりに差が生まれます。

どら焼の生地は小麦粉に水を加えて作りますが、その際に「グルテン」という成分が生まれます。グルテンはもちもちとした食感を作るために必要なものですが、生地をこね過ぎるとグルテンの特徴である弾力性や粘着性が出すぎてしまい、焼いた時にふっくらとした理想的などら焼の「皮」になりません。また、焼きあがった皮は餡を挟み込む工程を行うまでの間、重ねて保管しておくのですが、弾力性や粘着性が強すぎると皮同士がくっついてしまい、表面が剥がれてしまいます。こうなると商品として店頭に並べるわけにはいきません。だからこそどら焼は「生地の混ぜ合わせ方」に細心の注意を払い、生地の状態を見極める必要があるんです。

番重に重ねた焼き皮。小麦粉のこねかたで焼き皮が張り付くので生地の混ぜ方に気を配る

和菓子職人としての心がけ

―和菓子職人として、日々心がけていることは?

木立:「いつも変わらぬ美味しさを届けること」を心がけています。これは具体的には「出来上がった商品の形・色・味がいつも同じであること」だと自分は思っています。今の製造環境は、昔と比べると機械化された部分が多くなりましたが、それでも気温や湿度などの影響を受け、必ずしも毎回同じ商品が出来上がるとは限りません。なので、お菓子の仕上がりは毎日細かくチェックしています。「自分たちが作ったお菓子が店頭に並び、そのお菓子をお客様にご購入いただいて、自分たちは給料をもらっている」と思うと、「いつも変わらぬ美味しさを届ける」ことは当たり前ですよね。

真剣な眼差しで作業を進める木立さん

―木立さんが「いつも変わらぬ美味しさを届けること」という和菓子職人としての心がけに行きついたきっかけはありますか?

木立:やはり修行時代の経験ですね。新人の頃はなかなか上手くお菓子を作れずに、よく失敗していました。当時は「食べて覚える」という文化があって、製造中の失敗で、商品として店頭に並べることができないものを自分が責任をもって食べて、身体と舌にしっかりと覚え込ませていました。1個や2個の失敗は勉強のためと思ってペロっと食べていましたが、20個ほども失敗してしまって、全て食べた時は胸やけがした記憶があります。「さすがにもう食べられない…」と思っても、厳しい先輩たちが隣で目を光らせていて、怖くて処分できませんでした…。「お菓子を作ること」は当然必死に取り組みましたが、それと同じくらい「食べること」にも必死でしたね。そうしているうちに、いつの間にか「いつも同じ形・色・味のお菓子」を作れるようになりましたね。

ー厳しい修業時代の経験が活きているのですね。他に修業時代のエピソードはありますか?

木立:「季節の和菓子」の製造は想い出深いですね。自分が入社した頃、「季節の和菓子は製造部全員で作る」という決まりごとがあって、3月の「さくら餅」や、5月の「柏餅」、「べっ甲餅」などは、製造部の社員が総出で作っていました。

当時、「季節の和菓子」の製造は毎日午前2時から朝の8時頃まで行い、この製造作業が終わってから、自分たちの担当菓子を製造するという日々でした。

製造部全員で手作りしていた「さくら餅」

木立:でも新人は、作業が始まる1時間前には出社して、先輩たちがすぐに「包餡(ほうあん ※注1)」作業に取り掛かるように準備するのが役割でした。
例えば、四角い蒸し器の中に敷く「濡れ布巾」の準備をしたり、あんこの準備や種切(たねきり ※注2)をしたりと、製造作業をスムーズに進めるための事前準備を、先輩たちが出社するまでにすべて終わらせておく必要がありました。準備が終わっていなかったときは厳しい先輩たちから烈火のごとく叱られましたね…。「叱られた」と一言では語りきれない程の想い出がありますが…一番鮮明に覚えているのは「自分に向かって下駄が飛んできた」ことですね(苦笑)。50年も前の出来事ですからね…。もちろん今は絶対にありえません。

※注1 包餡:生地に餡を包む工程
※注2 種切:生地を切る工程

さくら餅の生地を蒸す工程。何十枚も濡れ布巾を用意するのが新人の役目
全員で「包餡(ほうあん)」を行う
桜の葉を巻いて、さくら餅が完成

木立:そんな修行時代を過ごしてきたからこそ、自分が「焼物課」として初めて「焼き」の工程を担当させてもらったときのことはよく覚えています。当時、季節限定の商品として人気があった「ワッフル」の焼き工程を担当したのですが、鉄板でひとつひとつ手焼きしたこと、自分が焼いた「ワッフル」が店頭に並んだ時のこと、そしてどんどん売れていく光景を見た時のこと、全てが嬉しかったですね。

「やきたてワッフル」が並ぶ、昭和50年頃の札幌千秋庵の店舗

これから和菓子職人を目指す人へ

木立:お菓子づくりの仕事は向上心を持つことが大切です。貪欲かつ積極的に仕事を覚えようとしないと、そう簡単に身につくものではありませんからね。だからこそ「いいお菓子が出来た時」は一番楽しく、達成感を味わうことができる瞬間だと思います。この達成感は、これから和菓子職人を目指す若い世代のみなさんにも、ぜひ味わってもらいたいですね。

面倒見の良さから製造メンバーからは「親分」と呼ばれる一面も

|編集後記|
インタビュー中は終始照れくさそうに語ってくれた木立さん。「焼物課の仕事は機械化されているから難しくないよ」と言いつつも、機械と職人が呼吸を合わせて、お菓子づくりの流れを滞らせないようにする動きのひとつひとつに一切の無駄がありませんでした。毎日同じ作業を繰り返し、毎日同じ形・色・味を再現することは、当たり前のようでいてとても奥深いものであると、改めて感じた取材でした。

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