見出し画像

【UWC体験記㉜】24 Hour Race(チャリティマラソン)の主催ー孤独と忍耐の6か月(後編)

未読の形は、想像を超える苦労ばかりだった私のチャリティマラソンの運営準備の6か月間について、まずは前編をお読みください!

朝の長文メール

当日の朝起きてとにかく「1人じゃない」という歌詞の曲を永遠リピートします(笑)。そして今まで連絡し続けたものの返信がほとんどなかった安全管理の主任の先生から、6時に長文のメールが入ります。

そこには、入校者は一応許可してくれる旨に加えて、追加で生徒たちに守ってほしいルールなどがびっしりと。中には、体育館で夜寝るときには男女でスペースを分けること、など性の多様性が重視されるACでは普通に不可能なものも。

全く心あらずの状態で最後の数学の模試を受けた後、入校してきた24 Hour Race本部の人とともに、安全管理主任の先生のもとへ。そこであまりにもおかしいルールについては交渉で撤廃させてもらい、結局は特に変更なしで体育館にやっと向えます。

すると、運営チームのメンバーたちに加え、事前に募集していたボランティアの生徒たちですでにかなり体育館のセットアップが進んでいる状態。純粋にやる気のある一年生たち多くに囲まれ、私もようやく前向きな気持ちでワクワクしてきます。

今までの反省を活かし、事前に準備内容を全て細かくスケジュールを立て、体育館内のランナー用のマットの配置からレースのコース内の給水所設置まで、どこでどんな作業が必要なのかを全て頭に入れた状態でした。全体を全て把握しているのは私しかいないため、指示が統一され混乱も起きず、想定以上にスムーズに準備が進みます。

受付の準備完了

そしてランナーたちの受付も開始します。ここでは出欠を取るだけでなくTシャツやその他物品の受け渡しを行うため、昨年は一度に大量のランナーが殺到しごちゃごちゃになってしまっていました。時間差できちんと人の流れを1つにして、ものの受け渡しもシステム化したことにより今年は一切混雑が起きませんでした

配布したTシャツ
配布したシール

ついに開始!

そしてまずはオープニングセレモニー。少しだけ私たちが話し、学内のダンスグループにウォームアップをやってもらい、すぐに開始します。

本部から送ってもらったアーチの下に参加者が全員集まり、大きなカウントダウンでスタートします。その後私はすぐに周回ポイントに向かい、走った周数を記録するため毎回ランナーが通るたびに専用機械でランナーのブレスレットをスキャンします。

レース開始!

このスキャニングの作業は私たちDirectorとボランティアの人たちでシフトを組み、24時間常に誰かがそのポイントにいることになっていました。1時間経って次の人に交代し生徒ランナーの待機場所の体育館へ戻ると、学校のイベント委員会に依頼していた最初のアクティビティとしてプランク対抗戦が行われていました。

プランク対抗戦

チームの代表者がプランクを維持できる長さを競う中、びっくりするほどの盛り上がりを見せていたため一安心し、私は他のDirectorと一緒にコース全体を一周してみることにしました。すると、もう外は真っ暗な中、事前にお願いしたライトを設備管理のスタッフさんが設置しておいてくださり、昨年と比べて格段に道が見やすい。

ライトが設置されたコース

コースの5か所に置いてあるテントの中でにはMarshalという、ランナーに何かあった際に応急手当などができる生徒たちがいます。そのMarshalたちの応援の熱量がすごすぎる。中にはランナーと一緒に毎回30秒ほど一緒に走りながら応援するようなMarshalもいて、ランナーたちはみなとても嬉しそう。

Marshal

そしてあまり競争重視のレースではありませんが、それでも8人チームでのリレーであるため、お互いの応援もすごい。先生ランナーたちも走るのは速くなくてもとても元気な人たちばかりで、生徒と少し会話をしながら話す人も。

お子さんと一緒に参加していた校長
犬と一緒に走る先生も

このように、とにかく関わっている人たちがみな本気で楽しそうに参加し、1つのコミュニティとしての団結感をここまでかというほど見ることができ、私は感無量でした。確かにファンドレイジングは大切だし、大きな社会問題に取り組むチャリティレースではあるけど、単純にイベントとしての大きな価値を肌で体感し過去6カ月で一番嬉しい時間が続きました


絶対に寝ない決心

夜も体育館全体でのカラオケ大会やModern Slavery被害者への1分間の黙祷などを行い、熱気で溢れていた体育館は次第に落ち着いていきます。

こうして深夜に入っていき、走っていないランナーたちは寝静まっていく中、私は今日は絶対に寝ないと前から決めていました。理由は簡単で、もし何かあった時に私以外には全体像を把握している人はいないため、対応ができないだろうと思ったから。

なので自分の走る順番を待つランナーたちと話したり、明日の計画を立てたりなど何とかして起きています。そんな中、他のDirectorたちは1人ずつ、姿を見せなくなっていきます。いてくれてたところで心強くはないので良いのですが、やはり本当にトラブルが発生したら1人で対応することになるため緊張感はありました。

そして無事、何も起こることなく夜が明け、2日目の朝を迎えました。

2日目

外が明るくなってくるともう私も逆に変なテンションが入り、急にまた元気が出てきました。ここで特に私が心がけていたのは、「とにかく他の人に優しくし、絶対に疲れを見せない」ということ。

なぜなら、昨年の私のランナーとしての経験から、ランナーたちは2日目に入ると本当に体がしんどくなることは分かっています。一方で私は走ってはいないので、いくら心が疲れていて寝不足でも身体的な疲労は無く、気持ち次第でいくらでも元気になれます。

なので積極的に、疲れていそうなランナーたちに声をかけたり、とにかくいつもどこでも笑顔を絶やさないように心がけていました。

また監督役として体育館に待機してくれる先生が交代するたび、「ちゃんと寝れた?」と聞かれ、「一睡もしてません!」と答えると「え!その雰囲気で?見えない!」と言ってもらいひそかに1人で満足していました(笑)。

ただ、レースが終わる数時間前、クロージングの段取りをあまり考えていなかったことに気付きます。どうやって最終走者を締めるのか、そしてクロージングセレモニーまでどうやって持ってきてどうやってイベント自体を終わろうかなど、一気に考えるべき内容が押し寄せてきて、再び焦り始めます。


信頼できる人の優しさ

それまでがあまりにも上手くいっていた分余計に1人でパニックに陥りだした私でしたが、この日は今までと違い、私のことを応援してくれる人や私が信頼できる人が同じ場所にたくさんいました。

ランナーではない人が興味本位で体育館を訪れたりすると、私のところに来てお菓子をくれたり、「ものすごい雰囲気良いね、すごいね」とわざわざ私のところまで言いに来てくれる人も何人も。

東アジア人の1年生の中でも特に仲良い人は常に私を気にかけてくれ、何かを手伝ってくれる訳ではないものの常に横にいて私を落ち着かせるようにハグしてくれたり。

私の元ルームメイトは、私の話を聞いて落ち着かせてくれた上で、体育館全体への指示で私が苦戦していた時にも彼女の絶大な人気を利用し自ら体育館中を回って指示を出しに行ってくれ、負担を大きく減らしてくれました。その後ファンドレイジングのために地元の中華料理屋さんの出張販売をしてもらったのですが、私の分も買ってくれ、「食べな」とそっと前に置いてくれたりも。

そしていつも相談していた一番信頼できる先生は、私の苦労を知っているからか、ランナーでもあったのに入校者の付き添いもかなり多くの時間してくれることに。体育館にいる時にはすぐに私のところに来て、「大丈夫?何か助けられることある?」と。私が寝ていないことを知ると「何かあったら起こすからちょっと寝なよ」と言ってくれたり、私が断ると心配そうに私の近くに座り、常に気にかけてくれているのが伝わりました。今までのいろんな経緯をほぼ全て知っている唯一の大人だったのでその存在だけでものすごく安心しました。

やっと迎えたエンディング

こうして色んな人に支えながら何とかエンディングの計画を立て、レースの終了時間間近。コース周辺に行くと、ほとんどのランナーが疲れでかなりスピードが遅くなっている一方、2つのチームで1位を争っていました。

びっくりしたのは、どちらのチームも昨年1位だったようなスポーツ系男子たちだけのチームではなく、男女混合の普通の仲良しグループ。当然運動が苦手な人もいるはず、競うどころじゃない人もいるはずなのに、みなが最後の力をふり絞ってものすごいスピードで走りバトンを渡していきます。

ほとんどの人が脚にかなりの痛みがあるらしく、走り終わった瞬間からは脚を引きずっているのですが、走るときには超全力。そしてチームの応援もとてもすごく、まさかこのレースで見られるとは思っていなかった、競技としての感動をもらいました。

そして開始から24時間が経つ10分前より、周回ポイントに来たチームからゴールとなります。このタイミングで体育館にいた人たちも全員集まり、それぞれのチームの最後のランナーのゴールを見届けます。そしてそこから全員でもう一度コースを一周し、クロージングセレモニーのために体育館に行きます。

全員で最後の一周

ここで大きな違和感が出たのは、今までは特に何の助けにもなっていなかった24 Hour Race本部から来た人が突然ここで私たちに指示をし出したこと。まずは最後の一周の時、私たちDirectorがまず前に立ち、SNS用にその映像を撮りたいと。私からするとこのレースの主役はランナーたちなのでそんなおこがましいこと絶対に出来ないのですが、他のDirectorたちはこういうときだけ乗り気。

その後、体育館に移って皆が待っている時に、その人から私たち5人が呼ばれこのタイミングで一緒にクロージングセレモニーの段取りを考えようとします。私はとっくにその計画は立てていたためそれを見せて無理やり早く始めようとしますが、それでもイライラ。

クロージングセレモニー

クロージングセレモニー自体はほぼ上手くいきます。賞の発表の後、多くの人たちに私が感謝の言葉を述べていきます。全てが終わるとみんなクタクタの中寮に帰っていきました。

最終的に1位になったチーム

片付けまでがイベント運営の一部

ランナーたちが帰った後は私たちとボランティアの生徒たちでの片付け。「片付けまでがイベント運営」と自分に言い聞かせ少し心を引き締めます。というのも、昨年も自分がランナーとして参加した後に片付けを手伝っていた私ですが、昨年のExecutive Directorがあまりにも疲れて自身はほとんど片付けに参加せず座っていたことを覚えています。

そうしたい気持ちも分からなくは無いのですが、ボランティアの人などが頑張ってくれる中で、皆からリーダーだと見られている私がここでサボったら、その人たちの思いも踏みにじることになってしまう。なので率先して階段を何回も上り下りし、備品を運びます。

するとここで突然安全管理主任と学校の財務主任に声をかけられ隅に呼ばれます。すると「現金でのファンドレイジングしたお金はどこにあるの?」と聞かれます。私たちに本部から来た人に直接渡さず、学校側に一旦預けてほしいとのこと。

学校自体も利益を出さないチャリティであるため、学校内で集めたお金は他のチャリティに寄付するには実は一定のステップを踏まなければいけなかったとのこと。これ自体は理解できるのですが、こんな最後になって、しかも「お疲れ様」の一言もなく突然言われたことはあまり良い気持ちはしませんでした。

そして全ての片付けが終わり、手伝った人たちには感謝ばかりでやっと寮に帰ります。2週間前に友達に買ってもらい今日まで取っておいたクッキーとストループワッフルを食べ、1人余韻にひたります。約40時間続けて起きていたため、ベッドに横になると一瞬で寝ました。

運営チームでの集合写真

後日…緊急会議?!

今まで6か月間の最大のストレス要因が無くなったことでものすごく心が軽くなったと同時に、なにかぽっかり穴が空いた感覚に。次の日の日曜日や、たまたま学校が無い月曜日は友達と過ごしたりし、何も心配することが無い時に楽しいことをするとこんなにも幸せを感じられることにびっくりしました。

すると、その数日後、安全管理主任からメールがあり、私たちDirectorの5人に、急だが2時間後に集まってほしいと。行くと、財務主任の先生もいます。24 Hour Race本部に私たちが預けた現金を寄付するために少し調査したところ、本部のお金の流れが不透明で、チャリティではなく企業として存在していることが判明したとのこと。

簡単に言えば、私たちがファンドレイズしたお金が全てA21にそのまま寄付されていないかもしれない、ということでした。今まで本部にはそこまで助けてもらったりはしていなかったものの、お金のやりとりは全て本部を通して行い、当然ある程度の信頼はしていたためとてもショックでした。

その後さらに学校に調査を行ってもらい、結局本当のところは今も完全に明らかでは無いものの、怪しい可能性が高いので来年からは本部を通さず、私たちの学校だけのイベントとして開催することになりました。

正直、今までの6か月間、この社会問題のために、このチャリティに寄付をするためにというのが一番の目的だと思っていた私からすると全ての努力が無駄だったかのようにも思えてしまいます。

一方で、私ほどこの社会問題に関する思い入れの無い他のDirectorたちは大して気にしていなさそう。そしてここに来て本部とのコミュニケーションで怪しかった点を先生たちに話し出したりと、本部を悪者にしてもはや楽しんでいるようにも見えます。

先生たちは私たちに「あなたたちは悪くないよ」と何度も言ってくれ、サポートしてくれました。ここでイライラするのは、他のDirectorたちの方が私より断然話すのが上手く、いかにもこれまでものすごく頑張ってきたかのように振舞い、先生たちにそれを信じさせるのが上手い。

そしてレース前はこのような愚痴を他の人には話さないように心がけでいた私ですが、今更終わった後にも話す意味もなく、とにかくレース前までは我慢してこれた苛立ちが抑えきれなさそうな衝動を信頼できる友達や先生に話させてもらうことで何とか抑えていました。

この経験に感謝を

このように、とにかく最後まで山あり谷ありだったこの経験。なんで私だけがこんなに大変な思いをしなければいけないんだ、と投げ出したいと思うようなこともありましたが、今は心からこの経験を出来たことに感謝しています

まずは誰にも頼らず自分一人で全てのプランニングを行い、実行できたことでついた、「私でも頑張ればこんなに良いものを作れる」という自信。「ここまでやれば大丈夫」と言えるほど詳細を詰めて計画したものがほぼ全て狙い通りに上手くいき、私にとってレース当日の24時間は人生で一番幸せな24時間でした。

どの過程でもスプレッドシートやドキュメントを作る際にはUWC DayやPhoenix Conferenceなど、チームで力を合わせて仕事をしていた過去のイベント時のものを参考にします。あの時には他の人の力をたくさん借りていたけど、それらの経験から他の人のプロジェクト運営の技術を可能な限り吸収し、その集大成として過去の反省は活かしきれたことにはとても満足しています。

そして自分自身の根性、何かをやり遂げる力は自分しか頼れない状況になったことで初めて自分自身に証明できました。もう数カ月間ずっと3時や4時近くに寝る生活の中でも、疲れた様子はなるべく外に出さずに踏ん張り続けることができた。今後も何か自分でやりたいことがあれば、自分を信頼することができるようになったと思います。

私の一番大きなストレスであった他の人たちとの関りにおいても、将来に役立つ貴重な社会経験だったと思っています。今までは運よく、ほとんどが意識の高く、お金儲けを気にしない高校生たちと一緒にプロジェクトなどを行えていたけど、実社会では今回のように話しは上手いけど実際は何もやらなかったり、ひらを返したようにバカにされたり、信頼していた人に責任逃れをされたり、ましてはチャリティのふりをしてお金をだまし取られることだって、起こる可能性は十分にあります。

そしてもちろん自分にも大きな責任はあったものの、これらの全てを一応学生という身分で、失敗しても自分の社会立場を失ったり財産を追われたりするようなリスクはない、守られた状況でできたことは本当にありがたいことだと思っています。

もう1つは、私がレース直前までは見落としがちだった、どれほど私のことを気遣ってくれたり、心配してくれたり、助けようとしてくれる人がいるかということ。コツコツ1人で頑張っていればいくらそれを隠そうとしても意外と多くの人に見られているし、相談をすれば喜んで聞いてくれる人もたくさんいる。

全ての人に好かれる必要は全くなく、一部の信頼できる人にはもっと自分から頼った方が良かった。これはある意味1つの後悔になります。

私はリーダーとしては自分の理想とはかけ離れていました。Directorたちに私がやる気を出させるのではなく、ほとんど放置して見放してしまった。それでも自分が一番努力をし続けたことによって本当にやる気のある人たちは私の周りに集まってくれた

私には、やる気のない人をやる気にさせるような言葉の力は持っていないけれど、誰よりも頑張り続ける姿を背中で見せたり、自分の熱意で人に応援してもらうことはできる。自分の中で今回の改善点はたくさんあるものの、何か自分らしさを出せるリーダーの形が少し見えたような気がしました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?