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Déraciné

「将来、どこに住みたいとかあるの?」

母親に初めてそう聞かれたのは小学生高学年の頃だったろうか。
「わかんない・・・どこに住んでもしばらくしたら飽きそうな気がする。」
と答えた私を見て彼女は一瞬沈黙してから笑い出し、こう言った。

「あんた『そっち側』かぁ。おばあちゃんもそうだったんだよね。(転勤族で)引っ越しが多くて面倒くさいと言いながら、しばらくすると『ここもそろそろ飽きたねぇ』って言うの。Sの血(母方の親戚)にはそういう人が何人かいて、どっか行ったきり連絡つかない人もいてね・・・そういう人をね、Déracinéって言うのよ。」

それは初めて聞く単語だった。
根無草。日本語もフランス語も、響きはとても気に入った。


なんとなくいつも「浮いている」と思うようになったのは小学生の頃だっただろうか。自分はここに属していない、そんな気持ち。

「ここではないどこか」に出れば答えが見つかるのではないか、中学生の時にはその思いに囚われていた。実際、この時が一番具体的に「浮いている」ことが浮き彫りになっていた。いじめに遭い、軽い不登校になり、部活でも先輩との関係でごたついていた私は、「田舎から抜け出せば全て解決する」と思っていた。

高校で東京に出ると、そこは確かに気楽な空間だった。同じくらいの偏差値の人間が集い、話題もあう。いわゆる進学校だったので、いじめなんていう暇な学生のおふざけも起こらなかった。

一方で、ここでもやはり私は「浮いた」。
都内進学校に通う子達の兄弟は同じく都内進学校に通い、東大やら医学部やら早慶やらに進学するのが「普通」らしかった。両親共に大学を出ていない我が家とはあまりに環境が違った。

それが理由で何かが起こることもなかったが、ただ、「違うな」という感覚だけは強く残った。

それは東京の私大に入ってさらに強く感じることとなった。
私は引き続き、「ここではないどこか」を夢見るようになり、ドイツに留学した。

ドイツでも、当たり前だが私は「浮く」。
それはドイツ人の中で、ということでもあるし、「ドイツに留学している日本人の間で」でもあった。

次第に私には、その感覚こそが「普通」となった。どこにいても所属の感覚がないということは、逆に言えばどこにでも行けるということだ。所属するということは、縛られることだ。

このままあちこちを転々としていくのだろうな、と思った私は普通の就職はせず、大学院に進んだ。


何の因果か、大学院に進んで、そろそろ日本を出ようかと思っていたタイミングで『運命の人』に出会った。悩んだ末、私は日本に残ることを決めた。就職や出産は大体これくらい、となんとなくの未来のスケジュールも立てた。

初めて、「定住」の意識を持った。
それでもやはり何となく息苦しくて、「二拠点生活」を調べたりしてたけど。このまま日本で就職して、家族を持って、死んでいくのだなぁ。タイムスケジュール的に、そろそろ子供を作るかなあ。

・・・と思っていたタイミングでこの関係が『運命』じゃなかったことが判明した。

その後一年はとにかく元気を失っていたので、遊び倒した。
山に行き、クラシックコンサートに行き、ジュエリーを買い、一人の時間を充実させた。

気持ちが落ち着いて、段々と「今」だけでなく「未来」のことを考え始めた時、住む場所について改めて考えるようになった。

  1. 職場に近い都心に住む?→家賃が高すぎ、家が狭すぎて却下。

  2. 山に近いところに住む?→実家がますます遠くなる。いざという時不便?

  3. 今の住所の周辺で家をダウングレードさせる?→気分が下がりそう。これ以上の家は見つからない、というくらいいい家に住んでいたので。

  4. 家からも職場からも利便性の良い街に引っ越す?→これが最後まで悩んだ選択肢。でも意外に「いい家」は家賃が高くて、あと何年住むかわからないのに無駄な出費かなぁとも思った。

  5. 実家に帰る?→通勤時間は長くなるけど金銭的にはかなり余裕ができる。

  6. そもそも、日本にいる必要性ももはやないのでは・・・?

・・・と、あれこれ考えているうちに父と犬が倒れ、結局5を選んだ。
帰ってきてみると、「地元」はやはり勝手知ったる場所なので、気楽である。どこに何があるかも大体知っている。一方で、ここに「定住」というイメージも湧かない。あくまで一時期身を寄せている状態である。

「定住」に挑戦してみたけど結局うまくいかなかった。そんな自分を情けなく思うこともあったけど、結局これも性分なのだろうな、と最近は思う。考えてみれば、東京に「定住」しているつもりの10年の間にも私は3回ほど家を変えている。引越し自体は嫌いなつもりなのだが・・・思った以上に根無草なのだろう。

父が入院し、犬がいよいよご飯を食べなくなっているタイミングの前に実家に越せてきたのは幸運だったと今でも思っているけど、私の頭は「次」に向かっている。次はどこに住もうか。自分のキャリアと貯金のにらめっこの日々は続く。



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