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自分についている嘘を、なぜ知っているか

子供の頃、嘘をついた時の気持ちを、覚えていますか?

はっきりとではないのですが、
私は、誰かに嘘をついた時の景色を「私は嘘をついてる」というバツの悪い気持ちと一緒に、いくつも覚えています。

本当はそう思ってないけど、自分を守るためについた
嘘を責められないために、重ねた
矛盾をなんとかするために、ついた
悲しい気持ちを隠そうと、ついた

バレていた嘘もあるかもしれないし、完全にうまくいった嘘もありました。
でもどんな時でも「これは、嘘だ。私は私にも人にも嘘をついてる」と、自分を責める気持ちがもやっと心にいたのを知っています。
だから、その時の景色を覚えていて、今もちょっとだけ居心地の悪い思いをします。
(視覚優位タイプなので、見ていたものとセットで物事を記憶してることが多いです)。

このバツの悪い、もんやりと気持ちの悪い感じをごく小さな頃からもっていた理由は、1つは嘘が「悪い」ものだと思っていたから。
もう1つは「私の感情が嘘だったら言い逃れができない」と感じていたからです。

子供の頃の私は「正解」「正しい」側の人間でいようとしていました。
大人視点で正しければ、ほめられたり優遇されたりしてプライドを守り不安を見ないふりができるけど、正しくない・悪いことは私の存在理由やプライドを脅かすものだったからです。
だから、他人の嘘や矛盾、「正しくない」ことにもすごく敏感でした。
正解は1つだけだと思っていたから、不正解を心の中で貶めることで自分を守っていました。

いつも「正解」を選ばないといけないのに、もし私の感情が「嘘」だったら、誰かに見抜かれた時に逃げ場がないじゃないか…!という感じの論理に、小さい頃に行き当っていたような気がします。

だから、自分の嘘を見張っている自分がいました。
自分と自分の心を守るために「この感情は嘘じゃないのか、本当の気持ちか」確認をずっとしてきました。
そして嘘をついている時は、逃げ場がなくなるリスクとセットだぞというアラートが鳴っていたわけです。

「これは、嘘だ」
「今、嘘をついている」

そのプレッシャーや罪悪感があったから、嘘をついた景色を感覚をずっと覚えてきたんだと思います。
そしてそれはみんな、大小の差こそあれ同じだと思っていました。

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ところが、自分で自分についている嘘に気付いていない人がいるみたいだなぁということに、最近気づき始めました。

忘れるはずがないほどの短時間で、自分の発言を「覚えてない」「忘れた」と本気で言う人
本心は変わりたくないのに「変わりたい」と(思い込んで)言葉にして、誰かが助けてくれるのを待っている人
相手を思い通りにするために怒鳴りちらして「お前のため」と言い張る人
誰かの発言を自分の発案だと思い込んだように再発信する人
めちゃくちゃ頑張ってるのに全否定してもっと頑張ろうとする人

本質的な行動と言葉や表情が一致していないと感じられる人はたくさんいて
だけどその人たちは、自分についている嘘を嘘だって知っていて、自分を守るために嘘を行動にしていると思っていました。

でもそうじゃない人もいるみたい。
嘘に気付かずに嘘をついてるから、本当だと思っている人がたくさんいる。

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自己肯定感や自己受容について考える中で「自分へのお問い合わせ」をたくさんしてきました。

それは、本当?
思い込みや勘違いじゃない?
それ以外の視点は、ありえない?
自分に嘘をついてない?

何度もお問い合わせをする中で、本当っぽいぞ とか、なんかこじつけてる気がする とか、自分の感情や思考への違和感も精度がましてきたように思います。

だから、たくさん自分にお問い合わせをかけたらいい。
何回でも聞いて考えているうちに、もっと嘘がはがれていく。
そして嘘のない自分とお付き合いしてる方が、幸せ

そう思って、まわりの人にも「お問い合わせ」をオススメしてきたけど、
「なんで自分に嘘をついてるって分かるの?」
「そもそも問い合わせる『自分』がいないんだけど」
みたいな言葉をもらうこともあって、自分への嘘に私はどう気付いてきたんだろう?ということを考えるようになりました。
お問い合わせ力を上げる方法が言葉にできたら、自分の気持ちがわからなくてもぞもぞしている誰かの力になれるんじゃないかなーと思ったから。

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今、分かっているのは、私が自分の嘘に敏感だったのは、嘘発見警察が私の心にずっといたからということです。
見張りの圧が強くて、嘘か本当かの判定基準が厳しかったせいか、「嘘っぽいぞ?」が「なんか変なにおいがするぞ」「ちょっと痛いな」みたいな体感覚に近い感覚でちょっとだけ気付きやすいベースがあったのかなと思っています。

だけど、このベースは誰かと共有できるものじゃないし、欲しいのは警察権力じゃなくてお問い合わせ力です。
恐怖や不安で嘘を取り締まるのではなくて、自分に優しくなって自分と幸せに歩くために、お問い合わせをしたいんです。

嘘が減っていくと自分の心に光が当たるから。
光が当たって本当に望んでいることや本当は怖かったことが見えてくると、やりたいこともケアの方法も見つかるから。
誰かに依存したり誰かのせいにすることなく、自分で自分の幸せを決められるから。

ですが、誰でもこの方法でやればお問い合わせが簡単にできるよ☆みたいな方法は、ひょっとしたらないかもなぁと感じています。
みんな生きてきた道のりが違うし、嘘とか本当とか正解とかの見方や感じ方も違うから。

じゃあ私のやりたい、誰かの力になりたいという思いは、意味ないじゃんってなるんだけど、もし1つ間接的な方法があるとしたら、アレクサンダー・テクニークかもしれないなぁと、思っています。

ATを使い続けていると、心も身体も感覚に繊細になっていきます。
繊細になると今まで無視していた本当の声に気付くから、例えば頑張りの限界にきてるのに「まだ頑張れる」と思い込んで身体をこわしてしまう、みたいなことが減っていきます。
心身含め、自分の中から発せられている声と自分がやっていることがマッチしてくることが、嘘のない幸せな自分でいることと、とても近いと思うんです。

自分で自分の本当に気付いていくすり合わせタイムを、ATを教えることで一緒につくっていけるんじゃないかなーと思うから、そんな活動を今年はしていこうと思っているのでした^^

#note  #コラム #嘘 #アレクサンダーテクニーク

読んでくださりありがとうございます☆サポートで美味しいコーヒーショップのミルクティを飲んで、またよい記事が書けるようにお勉強します!