チャイナエアラインに乗れない
世の中に数ある、持て余しがちなモノのうち、
ハッシュタグ機能の持て余し感は、みんなの思うところであろう。
ハッシュタグ機能を突き詰めた先に、
限りなく広がりうる文化認識があることは、
容易に想像がつく。
ただ、例に漏れず、私は、ハッシュタグを持て余している。
なんだか、自分の文章に、ハッシュタグ独特の
「ちょっと違うやつ感」が混じるのが、
どうも、「んー。」となる。
ただ、そうは言っても、今風でありたいから、
ありもしないハッシュタグを勝手に創作し、
個人的な遊びは、している。
「#土着系男子」は、まさにそれで、
土着してるのか、していないのかも分からないが、勝手に名乗って、それらしいことを言い呆けている。
ある意味、コミュニティ形成、擦り合わせや検索が目的のハッシュタグの本来あるべき姿からは、ほんのり脱線したひとり遊びである。
ただ、ここウェブという場で、日々つらつらさせてもらっている以上、ある程度、「認知されたい。」欲求も湧いてくる。
よって、申し訳程度にハッシュタグをひとつふたつ、無難な「#エッセイ」等を付着させ、
投稿しているわけだ。
全体問題として、よりよくなろうとするウェブいう場において、どうにも、ハッシュタグは、気を配らねばならない機能であるようだ。
文末のハッシュタグ表記に「んー。」と思いながらも、ちゃんと付け加えなければならんなぁと思うのは、あれだ、一人暮らしの洗濯物の仕方の無さに似ている。
ほんの少し前、インスタブーム到来直前のインスタは、頭おかしめの文が横行した。
をはじめとする、
テキストオールハッシュタグ化現象。
これはもう、持て余しの極みであった。
そういうことではなくて、
なにか、スマートに、
「我が文章」に絡めたり、
読んでほしい人がいそうな文化圏に向けて、
ハッシュタグを付けたり。
手に取らせる戦略として、
また、自分のインプットのために、
狙ったハッシュタグを検索かけたり、したいわけだ。
そこで、思う。
「ハッシュタグを付けることは、
航空券のプレゼントなのだ」と。
異なる文化圏に足を踏み入れる時、
どんな文化圏があるか、知るために、
その入り口に、ハッシュタグはある。
また逆に、「ようこそ我が家へ。」と言いたい時、「我が家」を探してもらう必要もある。
「こんなところから、招待の航空券が来たから、行ってみようか。」
たまたま検索かけた、マイノリティなハッシュタグの中から、稀に見る良記事を発見するキッカケにもなる。
「ひょんなことから。」
まさに、ハッシュタグは、「ひょん」を生み出す母になりうる。
つまり、ありそうなハッシュタグの検索は、
それだけで遊びになるのだ。
一見マヌケな、「#男」なんて調べたらどうなるんだろうか。
魑魅魍魎が蔓延る不倫サイト化しているやも分からない。
それにしても、「#男」は、
直球すぎるな。
さて、一昨年の夏、シンガポールに出向いた。
はじめての海外旅行は、一人でシンガポールに行ってぶらぶらするというものであった。
現地のサブウェイで働くオバさんと、仲良くなったり、帰りに食べた、普通のケンタッキーが、やけに美味しかったとかいう良い思い出もある。
しかしである。
まず、航空券を取る手間に軽く心が折れかけたのを思い出す。
ずらっと並ぶ航空会社別料金表示。
安い順で並べて見ると、
チャイナエアラインだけ、図抜けて安い。
JALは、軽く10万近い往復券。
デルタは、4、5万。
チャイナエアライン、1万9000円。
「なんだそれは。」
安すぎて、逆に乗る気にならない
チャイナエアライン。
「んっ、初めては、不安なのっ…」
まぁそれはさておき、
今思えば、あの時、チャイナエアラインに乗っていたら、今頃、ハッシュタグを持て余してなんか、いなかったんじゃないか。
持て余した不安感は、デルタ航空の早朝便で、
発散させ、無事にシンガポールに到着。
出国前にホテルも予約せず、出掛け、
機内で配布された入国シートの居住先住所に何も書けずにやむなくイミグレに提出。
真っ黒。
ちょっとした黒糖かりんとうみたいな
イミグレのおばちゃんが、「ココヲカケヨッ」
バンバンと机を叩く。
検査口をはじき出されエントランスをさまよい、たどり着いた
「チャンギレコメンド」なる案内所で、
たどたどしい英語を武器に、
現地でホテルを予約し、やっと入国できた時には、チャンギ国際空港に到着してから90分が経過していた。
キャリーバッグは、例のベルトコンベアを何周もした後、忘れ物置き場に移動されていた。
チャイナエアラインに乗れない。
ハッシュタグを持て余す。
おそらく同じ原理だ。
さらにもっと言えば、
今日のテーマは、『男』である。
私は、今、
テーマ『男』すら、持て余している。
なんとまぁ、マヌケな男であろうか。
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