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【37歳海外ノマド入門実録】他拠点生活で自分らしく生きる方法

◎「いつか」を引き延ばして37年

「いつか…私も海外で働いてみたい」

最近は忘れていたけれど、かつては思っていたことあったなぁ、という方も多いのではないでしょうか?私も、つい2か月前までは「いつか」と想いながら、その一歩を踏み出せずにいた1人でした。

学生時代、2週間程度の語学留学は経験していたものの、その後就職して社会の波に揉まれ…。一時期は、海外どころかそもそも仕事する気力を失って、落ちるところまで落ちたことも。その都度、運よくご縁に恵まれたことでどうにか「自分」を保ちながら、自分なりに必死に生きてきました(脱線しそうなので人生話はここまでにします笑)。

2023/6月バリ島にて

そんな私が、なぜ37歳にして海外ノマドに踏み切ったのか、そして実態はどうだったのか?ここでは、現在進行形でバリ島ノマド生活実験中の筆者による赤裸々実録をお届けします。

▶記事を書いている人

改めて、37歳フリーランスのありがさきです。
Twitter→https://twitter.com/_arigasaki
Podcast→https://propo.fm/kigyokanokimochi-2023

キャリア略歴
2008年 東京の会社に就職
2019年 マナー講師として独立、フリーランス生活スタート
2021年 宮崎への移住を決意、東京と2拠点生活をスタート

現在は、移住先の町の広報、企業公式Podcast制作、イベント企画運営、コミュニケーションマネージャーなどをメインの仕事としています。

◎コロナ禍でノマドワーカーに仲間入り 地方移住が海外ノマドの入口に

海外ノマド生活実験の前に、前段として私は3年前に東京から宮崎へ移住をしていることを少しお話します。両親は東北出身なので、そもそも宮崎、九州にすら縁もゆかりもない中、色々なご縁がきっかけで移住をしました。

同時期に移住した仲間たち

最大のきっかけは、コロナ感染症拡大。
当時、私はフリーランスのマナー講師として自治体職員向けの新人研修など、いわゆる講師業3年目。毎年の流れで行くと、4月は新人研修が重なり最大の繁忙期。この年も、本来であれば2週間ほどの北海道出張からスタートする予定でした。

ところが、2021年1月。緊急事態宣言により向こう半年間の対面研修が白紙に。当然、オンラインでの研修提案をして実施したところもありましたが、全体で言えば1割程度。クライアントの9割が自治体だったこともあり、コロナに対する危機対策意識はMAXでした。

突如暇になった私はフリーランスの厳しさを実感すると共に、これを機にオンラインで実施されている講座を片っ端から受講。その中で、宮崎のとある街と出会いご縁を感じて移住を決意。幸いにも講師業の経験値を買われ、講座運営の業務を受託しました。

オンライン起業家育成講座のひとコマ

始めは手探り状態で、3か月間に渡るオンライン講座の運営をスタート。スケジュール設定、講師選定、イベントページ作成、バナー画像作成、集客、広報、当日のZoomオペレーション、Slackを活用した受講生へのフォロー…等々、ありとあらゆる初めてに挑戦することができました。

さて本題に戻ると。

私が海外ノマドに踏み出す布石として、事前に国内においてノマド生活を実践できていたことは大きな後押しとなったということです。

コロナ感染症拡大に伴い、業務の9割がオンラインへ移行。講座運営もPodcastの制作も、全てオンラインが当たり前になったこともあり、あらゆるツールに慣れていきました。コロナが落ち着いてくると出張も復活し、ある時は離島に渡るためのフェリーに乗りながら、ある時は新幹線のホームで(笑)と、この時点でネットとPCさえあれば仕事ができる状態に。

これはあくまでも個人的な見解ですが、一足飛びに海外ノマド生活をするのは不安という方は、まずは国内を移動しながら仕事をすることに慣れてみるのもひとつの方法かと思います。

こんなお洒落カフェでnote書きながらチルできちゃう

◎未来は予測不可能、だからこそ「いま」を生きるという選択

昔からやや天邪鬼気質。周囲から「大変だよ」と言われると、「本当に?そんなに言うならやってみようじゃん」と、むしろ燃えるタイプ。好奇心旺盛且つ頑固なので、やってみたいと思ったことは体験記を読むだけでは納得できない。とりあえずやってみて、自分がどう感じるかが全て、という何とも面倒くさいタイプの人間でした。当然、いまも(付き合ってくれる周囲の皆さんに感謝です)。

鹿児島の甑島に視察合宿に行ったのアオハル記録

地方移住、国内ノマド生活を経て今年で3年。年齢もあり、周りは昇進、結婚、出産、戸建て購入…などと、順調に人生ゲームの駒を進めていきます。そんな中、この先どうなっていきたいの?個人事業主のまま続けるの?ずっと宮崎にいるの?と聞かれても、私の返答はいつも同じ。

「いや~どうですかね?(笑)」

だって未来なんて誰にも分らない。

将来の計画を立てる生き方は向かないな、と諦めて、常にいまにだけフォーカスする生き方を選択した結果のフリーランス。誰に何を言われようと、私が、私らしく、何より好きでいられる自分でいることを選択し、それを受け入れてくれる仲間と生きることにした結果、いまがあります。

「あれ、でも??」

いつかやってみたいと思っていたのに、やってないことがありました。それが、海外移住でした。とはいえ、お世辞にも英語で仕事ができるほどのスキルはなく、レベルで言えば度胸で乗り切るサバイバルイングリッシュ。

「もう少し英語を喋れるようになったら…」

タラレバはいつまで経ってもタラレバのまま、気付けば30代後半。ここで動かなければもうチャンスはないかも?

そんな時、たまたま知り合った大学の先生が学生向けにフィリピン研修をすると聞き、ほとんどノリで「行きたい!」とお願いして1週間同行することに。10数年ぶりの海外渡航は、

(あ…私、意外と大丈夫かも?笑)

フィリピンの滞在先にて

急激に英語力が伸びたわけでもないけれど、そこは人生37年目。自分で思っていたよりも、度胸も経験値も、そして何より大体のことはトラブル含めて楽しめるようになっていた(あと学生時代と違って安全をお金で買えるよう余力もできた笑)ので、思ったほどハードル高くないかも?と。

そこから、たまたまTwitterで見つけた「ノマドニア」の文字に惹かれて、説明会を経て参加を決意。ノマドニアは、海外ノマド生活をしたい人向けの1か月体験プログラム。現地サポート付きで海外生活しつつ、0からノマドワーカーになれるよう10職種の体験ができるというもの。

ライティングや広報などすでにやっている仕事もあったけれど、どれもちゃんと勉強したことはなかったし、何より1人じゃない安心感は大きい!!且つ、現地コミュニティで同じ価値観のメンバーと触れ合いながら、色々な国の人たちとも触れ合えるなんて楽しそう!!ということで、どうにかこうにか1か月国外脱出できるスケジュールを調整し、バリ島プログラムへの参加がスタートしました。

◎海外生活という非日常で出会った「はみだし系」な仲間たち

長々と書きましたが、結論、初海外ノマドを実践してみて感じたことは、はみだし系は最強説!(笑)

はみだし系とは、自身のコンフォートゾーンをはみ出し、いつの世の社会も創り出す「あるべき姿」をはみ出し、型に捕らわれることなく、むしろはみ出す自身を楽しめる人のことです。

ノマドニアバリ2期の仲間たちと

「はみ出し系」

実はこれ、ノマドニアメンバーとワークに取り組む中で出てきた言葉で、妙にしっくり来たので持ち帰ったキーワード。これまで、自身の哲学を貫く魅力的な生き方をしている人々が好きで、変態仲間とか変人仲間と紹介していましたが(その節は大変失礼しました笑)、ここにきて、超絶しっくりくる言葉に出会いました。

しっかりと定義するならば、将来を杞憂するよりも目の前の現実を楽しみ、自身の限界を決めずに挑戦を楽しみ続ける人、でしょうか。

当然、自身で選択することなのでリスクも伴いますし責任も負いますが、それでも私はこの生き方が一番呼吸がしやすいと改めて感じます。誰かに合わせたり、周囲の評価が気になって生きづらいという方がいたら、思い切っていま進めている人生ゲームの盤を降りてみたら、予想もしなかった生き方が目の前に広がるかもしれません。

やるもやらないも、全ては自分次第。

きっと、この先何歳になっても「私らしさって?」「私って何がしたいんだろう?」と考える機会は訪れる。何度だって立ち止まって、実験して、選択の連続で運命は変えられる。

人生は壮大なる実験で、出来事はすべてがネタ。

死ぬときに後悔したくなければ、一緒に人生はみだして行きませんか?

ノマドニア詳細はこちら


新富町のはみ出し隊



追伸
なお、はみ出すかどうかはあなた次第。責任は一切とりませんので悪しからず(笑)

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