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AVM(脳動静脈奇形)・脳皮質下出血からの復職というすげえ偉業①

脳出血からのフルタイム勤務、しんどすぎ

私は脳出血ののち、現在は就労継続しているが、あまりに年度末がしんどいので、自分頑張ってるなあのnoteを書こうと思う。

齢22にして脳出血を知る

現在28歳。22歳の時に脳出血を起こした。原因はAVM(脳動静脈奇形)。これは先天性の脳血管の奇形で、約10万人に一人の割合で生じる病気と言われている。

若かったので脳の検査などすることはなく、社会人一年目の時に突然血管が破裂して脳出血が起こり、脳動静脈奇形と判明した。日曜日だった。飲み会の翌日だったので、急に始まった激しい頭痛は飲み過ぎのせいかと思い、一時間半ほど横になっていたが、頭はどんどん痛くなる。割れそうだった。ていうか割れてた。

顔を洗ったら少しはマシになるか? と洗面所に向かうと、鏡に自分の顔の左半分が映らなかった。真っ黒に塗りつぶされているのである。これはあとで「同名半盲」という症状だとわかる。Q助というアプリで、救急車が必要かどうか調べると、一発レッドカード。
でも迷った。次の木曜に大事な仕事があって、それを優先しなきゃと思ってた。この時、左側の視野欠落の症状はさらに進行し、スマートフォンの画面の文字はほとんど読めなかった。本当に嫌だなあと思いながら119に電話をかけた。

意識あってよかったね

すべて、「後で思うと」って感じなのだが、今思うと意識があってラッキーだった。財布だけ握りしめ、玄関の鍵を開けてその場でしゃがんで待っていた。一人暮らしだったので心細かったが、そんな大した病気ではないだろうという変な自信もあった。

救急隊員に「薬を大量に服用していないか?」と何度も確認された。若い女性に多いらしい。していないと抗議すると、大きな大学病院に搬送された。CT検査をしてアウト。脳出血していると言われた。

頭を上げられるのは12度まで

22歳。本当って感じがしなかった。手術まで体を起こすことはできないと言われた。食事もトイレも、何もかもベッドの上で、頭は12度しか上げられない。

そのまま、尿道に管を突っ込まれた。痛すぎてめちゃくちゃ暴れた。看護師さん二人に押さえつけられてICUへ。ストレッチャーで運ばれるのって嫌な感じだなと思った。いろんな人に見下ろされて、いろんな廊下を移動して、時々「ガタッてしますよ」とか言われて、ガタッと揺れる。看護師さんたちが、私をどうするか? どう運ぶか? 誰が担当するか? みたいな話を私の頭上でしてる。

ICUでの暮らし

思い出すと怖い。ICUはすごく清潔な感じがしたけど、死と近かった。死ぬ臭いってこれかあと思った。私はICUの中でも死から遠い患者だったと思う。

出血は右後頭部の脳皮質の中。視野を司る部分に奇形血管の塊があって、そこで出血していた。

同名半盲は、ただ見えないだけじゃなく、視覚の認知機能も損傷するものだった。お世話になる先生や看護師さんの顔を、顔として認識できず、名札も見えず、よくわからなかった。日当たりの良い部屋だったけど、入院初日は痛くて怖くてナースコールを押してしまった。あと、尿を排出して溜めておく袋が、管とうまいこと接続できていなかったみたいで、部屋を尿まみれにしてしまった。色々あった…。

どんどん臭くなっていく自分の体も嫌だったし、体を起こせないので看護師さんに口に入れてもらう食事も、居心地が悪かった。ベッドの上でお尻の下に桶を置いて、用を足さないといけないのも本当に辛かった。輸血用の太い針が腕に刺さってて、ちょっと動かしただけで泣くほど痛かった。
あの時と比べれば今の人生は好転してるなと思うけど、今もしんどい。今のしんどさは後で書くけど。

人生で一番丸太だった時

開頭手術をすることに決まって、脳神経外科の先生が「成功すると思いますよ」と言ってくれたので少しほっとした。先生〜。今でも時々診察や検査に行くたび、先生が輝いて見える。この先生がにこにこしているおかげで私はまだ生きていると言っても過言ではない。

さて、そんな先生(この時顔も見えず名前も覚えられず)との語らいも束の間、手術前のカテーテルやらMRI検査やら、頭が超絶痛いなかでいろんなことをすることになった。12度までしか体を起こせないので、なんかもう、本当に丸太になったような気分だった。病院の人が私を水平にしたままいろんな台に乗せたり降ろしたりする。

「そっち持って!」「まだ動かさないで」「1,2,3でいくよ」「エレベーターまだ来てないよ」「このフロア通れないな。迂回しよう」とか、そんな会話が頭上で行われている。私は丸太。

一個ずつ書いてくと膨大になるので、今日は書きたいところだけ書くか。1回目の手術は無事終わった。皮膚を開けて、頭蓋骨を四角く切り取って、中身をきれいに切り取って、閉じて、頭蓋骨を戻す。皮膚も閉じる。

手術から目覚めたら、あ、死ぬ? それとも死んだ? って思った。頭が痛すぎて。あ、これダメなやつかもしれん、と思ったけど、手が動いたのでナースコールを押した。

目覚めた。生きていた。脳神経外科の入院フロアの、ナースステーションに一番近い一人部屋に私はいた。一番やばい人が入るところね。(自慢調)
頭から管がいっぱい繋がっていた。頭はホチキスだらけ。ひえぇ。当然の話なんだけど頭は剃ります。麻酔後に剃られたっぽい。

1回目の手術はそんな感じで終わった。起き上がれるようになるまでしばらくかかったし、トイレに行くのも車椅子で、看護師さん同伴。まーいいか、トイレ行けるようになったし。でも輸血用の金属製の針がまじで痛くて、ギャン泣きして抜いてもらった。痛すぎて暴れて、パジャマに血の染みができた。このあたりから、5人部屋へと移ることになる。

続きはまた今度。

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