2年遅いノーベル経済学賞と、時代遅れなエビデンスの大合唱

こんにちは、理事の畠山です。今年(昨年・・・)もノーベル経済学賞の受賞者が発表されました。今年はUCバークレーのDavid Card先生、MITのJusha Angrist先生、スタンフォードのGuido Imbens先生の3名が受賞されました、おめでとうございます。

今年のノーベル経済学賞は、私や山田の専門分野と関連があるものなので、「畠山さん、何か書いて下さい」との指令が来たのですが、何かと言われましても(苦笑)、と一瞬思いましたが、直ぐに今年のノーベル経済学賞はどう考えても2年遅かったよなというのが脳裏をよぎりました。ただ、今回の受賞は「エビデンス」が叫ばれるようになった契機に与えられたものでもあるのですが、アメリカの教育大学院にいると、もはやエビデンスなんて言葉は聞かなくなっていて、今日本でエビデンス・エビデンスと叫んでいるのが古臭いなと、それも思い浮かびました。そして、それをどうまとめるか考えていたら年が明けていました。そろそろグダグダでも良いので記事にしないとマズいなと思ったので、ノリとテンションで記事にしていきます。

というわけで、今回は、なぜ今年のノーベル経済学賞の授与が2年遅すぎたのか、なぜアメリカの教育分野でエビデンスが以前ほど言われなくなったのか、の二本立てをグダグダにお送りしたいと思います。

1. 教育政策の専門家となるために必要な素養と、今年のノーベル経済学賞

現代で教育政策の専門家となるために必要な素養を挙げてみたいと思います。大上段に構えたなと思われるかもしれませんが、アメリカでEducation PolicyのPh.D.をやる時に、どのような科目が必修として入って来るかという話です。

ほぼ間違いなく入っている科目に入る前に、入っていることが多い科目を紹介します。まずは、私がやっている国際比較教育学ですが、これは入っていることが多いというよりも、入っていることもあるよね程度です。以前、「国際比較教育学はオワコンか?」という記事でも説明しましたが、アメリカの場合、州間で「比較教育」が成り立つ上に、基本的には超内向きな国なので、有用な学問分野だとは思いますが、あまり扱われていることはありません。実際に、現在就活中ですが、今年国際比較教育でアシスタントプロフェッサーの公募が出たのが今のところたったの2件・・・。

次に、教育史ですね。これは国際比較教育よりは遥かに扱われています。教育システムの成り立ちや教育政策の経路依存性を考えれば、さもありなんという感じです。

最後に教育政治学です。この科目は、教育経済学者/社会学者と教育政策学者を分ける大きな分岐点の一つとなっていると感じています。日本でもアメリカでも、データが大事だ、データがあれば教育が良くなる、という主張が声高に叫ばれていますが、ではなぜアメリカの教育政策でEBPMが進んだ21世紀に、子供達の学力が殆ど改善していないのか?人種間の学力格差が縮小していないのか?という二つの問を考えてみれば、物事はそんな単純ではないことが分かるはずです。データがあればというのは、じゃあ実際に教育計画を作ってみると、あっちこっちから声が飛んできて意外とデータの活用は難しく、更にその計画が計画通りいくかというと、まあまずそんなことはありません。そんなことがなぜ起こるんだ?というのが教育政治学的な問になってくるのですが、これを一度ちゃんと勉強すると、データがあればというのは結構ポジショントーク入ってるぞと、割り引いて話を聞けるようになります。

次に、ほぼ間違いなく入ってくる科目です。まずは質的調査法です。これも教育経済学者と教育政策学者を分ける大きな分岐点ですが、データがあって因果推論がかかる所というのは、教育政策上ごくごく一部に過ぎないので、それ以外の領域をカバーするために必須のテクニックになります。興味がある方は、今書いている本(女子教育と別のやつ)の第一章がMixed-methodsを使ってエビデンスに基づく教育をより有用にするみたいな話なので、出版をお楽しみに。

そして、最重要科目である教育経済学と因果推論の2つです。今回のノーベル経済学賞は、この現代の教育政策の専門家に必須の2科目を生み出した人達に与えられたものでした。ノーベル賞は、毎回授与理由を詳しく説明してくれていて、これを読むだけでも非常に勉強になるのですが、今回の説明を読めば教育経済学と因果推論が生み出されたということがよく理解できるので、軽くさらってみましょう。

・RCTは非常に強力な手法であるが、資金・倫理・実践的に、これを用いて答えられない重要な社会的な問が数多く存在する。

・さらに、RCTがAverage Treatment Effectsの推定に失敗することもある

(畠山の補足・・・例えば、ランダムに教育バウチャーを配ったとします。しかし、そのバウチャーを使う人も、使わない人も出てくるでしょう。恐らく使う人というのは教育熱心さが、使わない人よりも高いです。そうすると、教育バウチャーをランダムに配って効果を見ようとしても、変数化できない教育熱心さの影響を受けて、バウチャーの効果が過剰に出てしまって上手く行かない・・・Intent-to-treat:ITT、即ちバウチャーを「配る」と何が起こるかは分かるけど、Average Treatment Effect、即ちバウチャーを「使用する」(教育熱心な保護者もそうでない保護者も含めて、バウチャーを使用するとどうなるかという)と何が起こるかが分からない)

・しかし、Instrumental Variable (IV)を用いることで、Local Average Treatment Effectsの推定を回復させられることを今回の受賞者達は発見した(上の例で言えば、バウチャーを「使用する」効果が分かる)

・因果推論の基礎となるDesign-based approachが誕生した・・・ざっくり言えば、統計的な手法であれこれこねくり回すのではなく、研究・介入デザインをこねくり回して、XのYへのインパクトを探るというもので、よく研究者がプロジェクトを始めてから効果測定の相談に来るのではなく、プロジェクトを始める前に相談に来てくれ!と言っているあれです。これ、非常に重要なポイントなので繰り返しますが、行政にせよ民間にせよ、プロジェクトを始める前に相談に来てください(サルタックでも相談を承ります)!!

IVを使ってLATEを回復するというのは、説明すると長くなるので、また時間を見つけて別途記事にしてみたいと思いますが、今回のノーベル経済学賞に関する知見が、現代の教育政策の専門家に必須の知識である因果推論を生み出したというのがポイントです。ここで、教育経済学自体は、因果推論の誕生以前から存在しているよね?と疑問に思った人もいると思います。実際に人的資本論もシグナリング理論自体も、1960年代には生まれていたわけで因果推論の20年以上も前の話です。このように教育経済学自体はもっと歴史が長いので、現代の教育政策の専門家に求められるのは、因果推論に基づいた「現代」教育経済学であると言った方が分かりやすいのかもしれないですね。東大を含めて日本の教育学部でも教育経済学の授業が開講されている所がありますが、現代教育経済学ではないものが大半なので、あれはあまり良くないなと個人的には苦々しく思ってはいます。

そして、因果推論と現代教育経済学を見ていくと、今回ノーベル経済学賞を与えられなかった、ひとりの偉大な研究者が浮かび上がります。

2. 今回のノーベル経済学賞が2年遅かったわけ、Alan Kruegerという研究者

今回のノーベル経済学賞の授与理由を読むと、頻繁に名前が出て来る研究者が何人かいます。ひとりはRubin先生です。因果推論の枠組みを作ったImbens and Rubinでノーベル経済学賞を受賞するものだと思っていたので、個人的にはImbens先生が入って、Rubin先生が入らなかったのは意外でした。もう一人は、9本もの論文が言及されているAlan Krueger先生です。なぜこの先生が外れているのかは明確な理由があります。それは、2年前に他界されているからです。

Krueger先生は、現代教育経済学の創始者の一人です。なぜなら、授与理由にも出てきた1991年のAngrist先生との共著であるDoes compulsory schooling attendance affect schooling and earnings?は、教育経済学分野で初めて因果推論が用いられた論文だと言われているからです。アメリカの大学院の教育経済学の授業では、ランドマーク的なものとしてこの論文に触れられているシラバスが殆どだという程の重要論文です(山田の大学院の教育経済学では触れていないっぽいので、ちょっと驚きでした。)。

そして、この論文がノーベル経済学賞の授与理由になるぐらい重要である理由はもう一つあります。それは、この論文で使われた因果推論の手法は、現在ではinvalid、即ちこの手法を用いた研究はダメだろうという事になっているという点です。なぜなら、思いの外人々は子供を産む時期を計算しているようなので、入学のカットオフとなる日付の前後で生まれた子供達がランダムに生まれて似た集団になっているというよりは、どうも違う集団であるっぽいという事が分かってきたからです。

手法に問題があった論文が重要だなんておかしくない???と思う人が少なからずいるかもしれませんが、もしそう思われたら、もう一度上のノーベル賞の授与理由の簡潔サマリーを読み直してみて下さい。今回のノーベル経済学賞は、2年前のRCTと同様に、特定の論文の研究結果に対して与えられたのではなく、研究手法の開発に対して与えられたものです。そして、因果推論の肝の一つは、仮定が間違っていたら、それを改良して発展していく所にあります(一部ハードルが高くなりすぎて、因果推論を用いた研究が出来ないのではないか?というトピックもあったりするので、丁寧な記述統計・相関分析や質的研究も重要さを増している、と私は考えています)。この論文は、その発展の礎となった、という意味でも重要な論文だと言えます。そして、仮定が間違っていたら、それを改良するというプロセスが行きついた先が、教育大学院でエビデンスという単語が言われなくなった現状です。矛盾しているように感じるかもしれませんが、全く矛盾しない話なので、次の章に移りたいと思います。

3. なぜ「エビデンス」を叫ぶのが時代遅れになったのか?

日本でも近年エビデンス、Evidence-based Policy (EBP)が叫ばれるようになってきました。しかし、アメリカの教育大学院でエビデンスという単語が飛び交っているかというと、私は5年間大学院にいて殆ど聞いた事が無いですし、理事の山田に聞いても殆ど聞いた事が無いと言っていました。そう、正直もはや「エビデンス」を声高に叫ぶのはアメリカの教育政策領域では時代遅れになりつつあります。これには明確な理由があります。それは、

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