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シネマ歌舞伎《籠釣瓶花街酔醒》感想

思ってたより厭な話じゃなかった。
悲劇だからしんどいんだけど、すごい悪意というのが無くて、そう言われたら(この性格でこういう状況なら)こうなるよな、という自然な理解のもとで少しずつ少しずつそちらへ傾いた結果というか、「崩れ」でも「歪み」でも「捩じれ」でもなくて、従って「破滅」でもなくて、ただの「辛い事態」で、だから観終わった後どんよりするものでなかった。感覚としては《鷺娘》みたいに、そうなることが決まってる流れを、どうすることも出来ずに対岸からただ見守る、という感じのものだ。あぁ、あぁぁ、と手をこまぬいて、ただ、悲しいなぁ、と思いながら見た。


配役などはこちらを。→ 籠釣瓶花街酔醒|シネマ歌舞伎 松竹|あの名舞台をお近くの映画館で (shochiku.co.jp)


物語に、いやなヤツ、というのは居る。金策を断られた腹いせ(ってことですよね?)のために栄之丞をそそのかす釣鐘権八や、ふられた次郎左衛門を馬鹿にする商人仲間の丹兵衛や尻馬に乗る丈助は。

けど権八は立花屋への意趣返しが目的で、別段八ツ橋や次郎左衛門に悪感情があったわけでなく、丹兵衛も、盃を重ねる芝居がうまいこと入って(座が冷えたところで、手持無沙汰に手が伸びて……という流れが自然でうまいなぁぁ市蔵さん!! と思いました)、酔った上での暴言という様子が無理なく出ている。素面になったら次郎左衛門へ言い過ぎを謝るかもしれない。(それに対して、かえってみっともないところを見せたと次郎左衛門は恐縮して詫びそうな気がする)

しかし、そもそも予告編で水の滴るようなニザさま栄之丞を見て、「あ~~~~~この色男がゴネるんだな~~~~~」と思った、最大のヤな奴想定は覆され、予想された悪感情は湧かなかった。
栄之丞は、想像したような、自分の顔の良さに胡坐かいて金を吸ってる色悪でなくて、なんか間の悪い事態で禄を失った浪人が、その気の良さが仇になってなかなか士官できてないんだろうな、という、いっそ朴訥な、おっとりとした善良な人柄が感じられた、子どもっぽさの残る優男であった。毛谷村の六助の線をちょいと細くしたような。

彼が、花街に入る前から好い関係にあった恋人が(もしかしたら忠臣蔵のおかるみたいに彼を経済的に支えるために身を売ったのかも?)黙って金持ちに身を寄せようとしていると聞いて仰天し、不義理でないかと憤りを覚えるのも心情的に尤もなことで、八ツ橋を困らせようとか金づるにし続けようとして我欲を通すのではない。恋人を変わらず想っていて、捨てられるのが嫌なのも本心から有るけどそれ以上に、「黙って」居られてる不誠実さに怒るのである(と見えた)。

八ツ橋だって栄之丞を恋しく思っていて、彼と別れたくはなく、ただ次郎左衛門がいい人であるから、彼を傷つけたくなさでずるずる来てしまっただけな感じが見える。
その点、今や花街の頂点に立ちながら娘時分からの恋人とずぅー-っと続いている八ツ橋という花魁の、素人っぽさというか、芯のところの純情さが悪いほうに出ているように描かれてる気がする。


詰まるところ誰も彼も人は良くて、言い換えれば単純で、さらに云えば処世に鈍くさいところがあり、カタカタカタ、とちょっとずつの集積でまずいほうへ傾いた挙句に、妖刀という決定的な、なし崩しの重みが加わって盆がひっくり返ってしまった、そういう悲劇だと思われた。


さみしいなぁ。

成就しない恋はさみしい。


わたしは籠釣瓶をちゃんと観るのがこれが最初で、観ながら《百万本のバラ》の歌の景色を思っていた。
貧しい絵描きが旅一座の女優に恋をして、有り金をはたいて真っ赤なバラを買い込んで、彼女の泊まるホテルの前広場をバラで埋め尽くしてみせたけども女優は金持ちの酔狂だろうと判断して、さほど気に留めずに(もちろん絵描きに気づきもせず)街を去っていってしまう、という歌詞。

次郎左衛門は金持ちだったから「酔狂」をしたところで懐に響かなかっただけで、そして金が有ったから正規の客として手順を踏めて認識されただけで、心持ちとやってることは《百万本のバラ》の絵描きと変わらないと思うんだよね。

だから、妖刀さえ登場しなければ、実らなかった恋の話、として、あの歌と同様に、苦さみしい後味で終われる人間ドラマであったと思う。(わたしの嗜好としてはそっちのほうが好きだ)


序盤では、昨年の秀山祭の《揚羽蝶繍姿》で観た見初めの場面を思い出してまずベショォ……と泣いたのだけど、↓


この映画の独立要素としての落涙ポイントは、八ツ橋の妹分でNo.2の九重(魁春丈)の、悲しみと労りの籠ったふるまいだった。遊女と客の立場ではあるけど、自分のお客ではない以上、色や欲の混じらない純粋な敬意と尊重だけを次郎左衛門に向けているような九重の上品さ、淑やかさ、出過ぎないよう重々気を配っている慎み深さがじんわりと沁みて……冷たい雨に濡れそぼったようなこの場の雰囲気をじんわりと温めてくれてました……。


前後しますが見初めの場面、玉さまの八ツ橋は、顔面の笑みは控えめに留めて、上体からたっぷりと動かすお辞儀……にかこつけて姿態の優美さを主に見せつけるような、艶然とした仕草に重きをおいた「笑い」であったなと思いました。色街のプロの女、というゴージャス感が金粉の霧雨のように振りまかれて尾を引くようだった……
(ここでこんな玄人感出すのにさぁ、話が進むに従ってどんどん純な小娘に立ち戻っていかれるのがさ……そんで間夫を相手に弱くなる八ツ橋を先に描いておくことで、その後の縁切りのツンケンした場面でも彼女が無理して硬質な面持ちをつくっているのがよぉおく分かる演出が辛くってさ……)

そうして、見初めの場での次郎左衛門が、《揚羽蝶繍姿》の幸四郎丈のは、商売で大成したデキる男の闘志がギラリと燃えて捕食者の顔に見えたのに、

勘三郎丈の次郎左衛門は、美しい花に見惚れた如くほんわりと明るい脱力で、魂を奪われてホヤホヤやわやわになってしまったようで、根っこにあるのは純粋で純朴な "恋" に見えた。

人物それぞれが成熟しきってなくて、強かになりきれてなくて、優しさが甘さになって、それゆえのノットグッドエンドで。

誰かが夏の苛烈さや、秋の老練さや、冬の冷厳さを持っていたら、こんなことにはならなかったのかもしれない。皆が春のぽやぽやした柔らかさを持っていて、まるで籠の目の隙間から、ばらばらと花が落ちこぼれていくような、華やかなさみしさのあるお話だった。


何度も観たい話ではない。でも観といて良かったです。このキャストだったのも好かったです。




P.S. かんくろさんの相方娼妓がつるまつさんなのはエッッッツだなって思いました。

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