見出し画像

遺言

純白の桜の花びらがすべて散ったころ、三人の女の人生が始まるはずだった。

遺言書

すべての遺産は、2023年度S女学院卒業生である以下三名に相続させる。
 一宮優希、鳥飼アミ、原口叶恵

令和六年四月一日
神奈川県◯◯市◯◯一丁目二番三号
村上 里奈

LINE♪

軽快な着信音を耳にして、優希はスマートフォンに目をやった。アプリを開いてメッセージを確認する。
(ねえ、先生から遺言来たんだけど)
アミからだ。
(うちにも来た)
優希はすぐに返事をする。
(ねえ、ランチでもしない? 行きたいカフェがあるんだ)
叶恵のメッセージに、優希の緊張はあっという間に弛緩していった。


✉️

優希は都内にあるカフェのドアを開けた。からんからんとベルが鳴る音がして、腰にエプロンを巻いた店員が優希を一瞥する。
「いらっしゃいませ」
店員は優希が客であるとわかると、そのまま空いている席へ誘導しようとした。優希はぐるりと店内を見渡す。
「あ、連れがいました」
優希はすでに席に座っているアミと叶恵に目を向けて、ひらひらと手を振った。アミと叶恵も優希を見つけて、二人同時に手を振る。
「お連れ様ですね」
店員は優希に軽く会釈すると、その場を離れた。
そして、優希は二人に合流する。
「久しぶり〜」
先ほどの店員が三人が座っている席へメニューを持ってきた。
「ありがとうございます」
三人は店員にお礼を言い、メニューを開く。

三人揃うのは卒業式ぶりだな、と優希は思う。
優希はメニューから視線を外し、窓の外に目をやった。カフェの目の前の公園の桜は満開で、風に吹かれては花びらがチラチラと舞っている。
もう桜も終わりか、と優希は心の中で独りごちた。それと同時に、自然と頭の中に新生活のことが浮かんでくる。進学、新しい出会い。優希の胸は、高揚感と不安感が重なって自然と高なった。

「なに食べる?」
アミの問いかけに優希は外に向けていた視線をメニューへと落とした。
三人でこれも美味しそうだね、なんて言いながらメニューを指さしてはペラペラとページをめくる。

「二人とも決めた?」
優希の質問に二人はうんと頷いて、優希が店員に声をかけた。三人はそれぞれ、好きなものを頼む。
優希はトマトソースのスパゲティ。アミはオムライス、叶恵はサンドイッチ。
「叶恵、それで足りるの?」
叶恵の注文を聞いて、アミの眉間に小さくシワが寄った。
「ダイエットしてるからね〜。高校は女子校で全然彼氏ができなかったし、大学デビューするの、私」
叶恵は肩をすくめると、とぼけた表情を浮かべて笑った。

二人のやりとりを聞きながら、優希はふふっと軽く笑う。卒業式から一ヶ月しか経っていないけど、なんだかすでにこのやりとりが懐かしい。

細くてスタイリッシュなアミに、ぽっちゃりとした叶恵。
アミの肌は健康的な小麦色。在学中は黒かった髪を今は綺麗に茶色く染めている。襟足をキュッと絞ったショートカットはアミの小さい頭によく似合っているなぁと優希は思った。

一方で叶恵は白くぽっちゃりとした体型。いつもダイエットをしているけど、結局夜になるとお腹が空いて食べちゃった〜と言ってしまう愛嬌のあるタイプだ。取り立てて肥満体型というわけでもないから、好きな人は好きだと思うけど、叶恵的にはアミが憧れの体型らしい。

優希は標準体型で可もなく不可もなく。取り立てて目立つでもなく、中の中の女の子だ。特徴がないことを優希が嘆くと、二人はいつも、普通が一番いいでしょと笑った。

注文した食べ物がテーブルに運ばれて、三人は早速本題に入る。
「ねえ、あれどういうことかな?」
叶恵がサンドイッチを頬張った。
「里奈ちゃんからの遺言書でしょ? 里奈ちゃん死ぬのかな。まだ若いし、自殺とか?」
アミが険しい顔をして水を飲む。

村上里奈は三人が通っていた高校の先生だった。誰とでもすぐに打ち解けるアミは、先生すらも名前で呼ぶ。
「どうだろうね。あれ、多分ちゃんとした遺言書じゃないと思うんだけど」
優希の発言に、「何それ、どういうこと?」と二人は驚いた表情を浮かべ、優希の顔を覗き込んだ。

「遺言書ってさ、確か勝手に開封しちゃいけないんだよ。なんかの本で読んだけど、無効になっちゃう場合があるんだって。ここに来る前に調べたら、検認っていうのをしてもらう必要があるって書いてあった。間違いなく遺言ですよみたいなチェックみたいなやつ? まあ、開封した後でも大丈夫な場合もあるらしいんだけど……。だから普通、あんな風に封筒の中に手紙みたいな感じで遺言書を入れて送らないと思うんだよね」
優希はスマートフォンの画面を開き、二人に遺言書について書かれているページを見せた。

「へえ〜。さすが優希。法学部に入るだけあるね」
叶恵が感心したように小さく息を吐く。
「でもさ、里奈ちゃんがそのことを知ってるとは限んないじゃん。もしかして本当に何か事情があって、遺言書を書いて私たちに送ってきた可能性もあるんじゃない?」
アミはスプーンの上に小さなオムライスを作ると、大口を開けて頬張った。

確かに、と優希は思う。
優希もこの手紙を受け取った時、色んな可能性を考えた。本当に遺言書の可能性もあるとも考えた。でも、どう考えてもその手紙は遺言書のようには、思えなかったのだ。



✉️

村上先生から遺言書が届いたのは昨日のことだ。優希の自宅に封書で遺言書が送られてきた。他の二人にも同様に、昨日遺言書が届いた。
優希の自宅に優希宛の郵便物が届くなんてことは、ほとんどない。バイトから帰ってくるなり母親から「手紙届いてたわよ。村上里奈さん? お友達?」と綺麗な淡い水色の封筒を手渡された。

手紙を受け取ると同時に、優希の心臓が早鐘を打った。
水色の封筒に何が入っているのだろう。もしかして……と高校時代のことが頭に過ぎる。
少し震えた手で引き出しを開けて、優希はハサミを取り出した。中に入っている手紙だろうと思われるものを間違って切らないように、とんとんと封筒を机で叩く。封筒にハサミを入れ、上から二ミリ程度のところを切った。封筒の口を開けて中身を取り出す。

「あ、違った」
自分が想像していたものと違ったものが出てきて、優希は思わず独りごちた。そして少しホッとする。
中には封筒と同じ綺麗な淡い水色の便箋が入っていた。

丁寧に三つ折りされた手紙をゆっくりと開く。

ーー遺言書。

そのタイトルを目にして、落ち着いたはずの心臓の脈は再び早くなった。優希は深呼吸をして文字を確認する。遺言書と書かれたその文章は存外にシンプルで、優希にはこれが何を意味するのかが全くわからなかった。先生が死ぬのか死なないのかも、ここからは読み取れない。

遺言書にしては似つかわしくない綺麗な春の海のような淡い色合いの便箋。丁寧に書かれた優しい文字。手に取った手紙からは悲壮感も何も感じられなかった。

とはいえ、タイトルがよくない。イタズラにしてはひどいタイトルだとも思った。軽々しく使うべきではないと思う。

ーー特に、私たちには。


✉️

村上先生は三人の担任ではなく、養護教諭だった。

化粧っけのない顔。いつも黒くて艶々とした髪を後ろに引っ詰めていた。村上先生は白衣のポケットに両手を突っ込んだまま、校内をうろうろしている少し変わった先生だった。

廊下で会った時に何をしているのかと声をかければ、
「少女諸君、今日も元気か? 私は怪我人を探してるんだ。私の腕の見せ所はここしかないんでね。何もしていないと腕が鈍る。どうだい? 私に治療されてみないか? 怪我人を作り出すことなんて私には造作ないからね。志願者はいつでも大歓迎だ」
などと物騒なことを口にした。

白衣の悪魔、なんて二つ名を持っていたほどだったけど、実際に怪我をした生徒によれば、処置は早く腕は確からしい。

運動部に所属していたアミは、村上先生のお世話になることが多かったこともあり、先生と仲が良かった。
「里奈ちゃんは、先生っぽくないんだよね。色々相談したら、的確に答えてくれるし。大人の女って感じ」
アミは羨望の眼差しで先生を見ていた。
村上先生の影響もあってか、アミは教育学部に進学を決めた。看護学部と教育学部で最後まで迷っていたようだったけど、村上先生の勧めもあって、教育学部に決めたようだった。

一方で優希は、怪我の治療ということで先生の処置を受けることはなかったが、生理が重く腹痛が酷かったり貧血気味だったこともあり、保健室にはよくお世話になっていた。
優希が腹を抑え前屈みになって保健室を訪れる時、先生はいつも保健室にいた。
「あれ? 今日は放浪の旅に出てないんですか?」
優希が先生に尋ねると、先生はいつも軽く笑う。
「ああ、安心したまえ。もう一人の私が放浪の旅に出ているよ。私は分身の術を会得しているのだ。それより一宮、今日も生理か? 少し休んでいくといい」
そう言うと保健室のベッドのカーテンをさっと開けて、優希をいつも休ませてくれた。

叶恵は教室に入るのが苦手だった。中学の時は不登校気味だったらしい。ほとんど家庭教師に勉強を教えてもらっていたと言っていた。
教室は苦手だけど、学校の門はくぐれる。下駄箱を通過することはできる。一階にある保健室までは行けるけど、階段を上ろうとすると足が上手く上がらない。
「体重が重いからかな。どうしても階段を拒否しちゃうんだよね。ほら、うちってマンションだから、階段を上るなんてことあんまりないし」
叶恵は冗談ぽく笑ってはいたものの、少し寂しそうでもあった。小学校の時に体型のことでいじめにあっていたこともあり、集団は苦手だとよく言っていた。高校になってから保健室への登校は減ってはいたものの、定期的に保健室にお世話になっていた。

優希とアミ、叶恵の三人はクラスは違っていたし共通点はあまりなかったけれど、保健室で顔を合わせることが多かった。気づけば、三人で遊びに行くような仲になっていた。

村上先生は三人が保健室で、あーだこーだと喋っているのを見て、なぜか嬉しそうに笑っていた。

「少女諸君、今日も元気そうで何より。人生はいつでもリスタートできる。過去を踏み台にして進め」

✉️

「里奈ちゃん、殺しても死ななさそうだよね」
アミが持ってきていた手紙に視線を落としながら、自分の言葉に納得するように頭を上下に動かした。
「私もそう思う」
叶恵も首を上下に動かす。

「どういうことなんだろうね。私さ最初、アレが入っていると思ったんだよね」
優希が二人に目をやった。
「アレ!」
アミと叶恵が同時に声を上げる。
「黒歴史だ。実は私も、優希と一緒。アレかなって思ってドキドキした」
アミが思い出したくないという苦い顔をして、頭を左右に振った。

やな事思い出しちゃった、という顔をして叶恵が話題を変える。
「でもさ、今、村上先生、何してるんだろうね? 私たちが三年生に進級するタイミングで学校辞めたよね。色んな噂があったけど……」
「あんなの全部噂だって! 里奈ちゃんがそんな人なわけないじゃん」
アミの鼻息が荒くなった。

村上先生が学校を辞めたのは、ちょうど1年前のことだ。
三人が三年に進級する春。
保健室の常連だった三人にも何も知らされず、そして生徒たちに対しての辞める挨拶もなく、先生は突如学校から姿を消した。

新年度の始業式で「新しく赴任してきました養護教諭の落合です」と、壇上に栗色のふわふわとしたウェーブヘアのかわいらしい女性が紹介されたタイミングで、全校生徒は村上先生の退職を知った。

突然の退職だったこともあり、色んな噂が飛び交った。
教頭先生との不倫、横領、他の先生を殴って辞めたなど、先生の名誉を傷つけるものがほとんどだった。それ以外のまともな噂は、結婚や親の介護といったものもあった。でも生徒たちは本人がいないことをいい事に、有る事無い事、噂話に尾鰭をつけては面白おかしく村上先生の話をした。

一番盛り上がった噂は、やはり教頭との不倫話だった。恋愛要素が薄い女子高に撒かれた撒き餌のように、女子高生たちは噂話に群がっては片っ端から食い荒らした。保健室をラブホ代わりに使っていたのを見ただとか、駅前のホテルの前で泣いている村上先生を慰める教頭を目撃しただとか、不倫現場の目撃者まで現れる始末だった。

変にキャラクターが立っていたのも悪かったようで、気づけば村上先生は、喧嘩っぱやい男好きなメンヘラというキャラクターになってしまっていた。
三人はその噂を聞くたびに胸が痛んだが、否定するだけの根拠もないので、その話題には入らないようにして自分たちの感情を誤魔化すしかなかった。

「もしかして、先生、病気で退職したのかも……」
叶恵が神妙な面持ちで呟いた。
「え? ほんとに死んじゃうのかな? それで特に可愛がってた私たちに遺産を譲ろうってこと?」
アミの目が大きく開く。叶恵とアミは妄想で頭がいっぱいになっているようで、ああでもないこうでもないと話が盛り上がりだした。

優希は二人の盛り上がる話を聞いた後で、やっと口を開いた。
「まあ、病気かもしれないし自殺かもしれないし、この手紙の意図は、正直なところよくわかんないよね、先生に聞かないと。それよりさ、私、ちょっとむかついちゃったんだよね。だってさ、意味わかんないじゃん。こんな手紙。イタズラにしたってひどくない? 本当に先生が死んじゃっても嫌だしさ。なんか、せっかく忘れてたアレのことも思い出しちゃうじゃん。遺言なんて」

二人は大きく頷いた。優希は続ける。
「だからさ、もう、今から先生に確認しにいかない?」

早速三人は遺言書に記載された住所を確認して、さっさと皿のものを片付けた。ネットで調べてみると正味二時間程度で先生の家までは着くようだった。
三人は駅でペットボトルの飲み物を買って、電車に乗り込んだ。

「アレさ、先生まだ持ってるのかな?」
アミがペットボトルの炭酸水をプシュッと開ける。
「アレ? もう捨てて欲しい。ほんと恥ずかしいし、思い出したくもない」
叶恵が口に含んだ甘いミルクティ色のため息を吐いた。
「でもさ、アレをネタにして先生が遺言書を送ってきたとしたら趣味が悪いよね」
優希は渋い顔で緑茶を飲んだ。


✉️

高校二年生の夏、三人は死ぬつもりだった。

ジリジリと照りつける屋上に、三人はいた。
手にはぬるくなった水が入った五百mlのペットボトル。そしてコンクリートの上には大量の銀色のパッケージの薬。そして、封筒に入った三通の手紙。

真夏の熱に浮かされて、三人で盛り上がった結果だった。

勉強が思いのほか捗らず、けれども家に帰れば口うるさい親からプレッシャーをかけられ続ける優希。
部活で成績を残せず、苛立ちのあまり生意気な態度を取っては先輩にイビられるアミ。
ストレスで体重が増え、顔にも吹き出物ができ、教室に入るたびにみんなの視線が気になる叶恵。

三人のグループラインは愚痴で埋まっていった。
「マジで死にたい」
「生きてる意味なくね?」
「この先の人生に希望とかない」

ネガティブな感情を吐き出してスッキリするかと思いきや、そんなことは何一つなかった。吹き溜まりのように溜まっていくネガティブな感情は、指数関数的に増えていく。

ネガティブな感情には質量も温度もないのに、それが溜まっていくたびに体は重く、そして冷えていった。猛暑の中、学校との往復をするたびに体の外側は熱を持つ。それに反比例するかのように体の中は冷たく感じた。頭がぼんやりとして思考回路は適切な動きを見せなくなる。暑いからととった水分はネガティブな感情をふやかした。ネガティブな感情はどこまでもどこまでもスライムのように大きくなり、体の中にベッタリとこびりついていく。

気づけば三人は、グループラインの中で死ぬ方法を協議し始めた。
私たちがこんなことを考えるのは全て周りのせいだと言わんばかりに、「死にたい」と「諸悪の根源を殺したい」の間をメッセージが飛び交う始末。

「痛いのは嫌だよね」
「楽に死にたいよね」
「あいつらに一矢報いるために、死んだ理由は残しておかなきゃじゃない?」

盛り上がった三人は睡眠薬を大量に用意した。睡眠薬を多量に摂取して死のうと決めたのだ。恨み節たっぷりの遺言をしたためて。
睡眠薬はお小遣いで市販薬を買ったり、親の睡眠薬をくすねたりした。叶恵に至っては眠れないからと親に相談をし、病院で睡眠薬を処方してもらったりしていた。毎日八時間睡眠をとっているにも関わらず、だ。

一学期の終業式が終わり、三人は部活動生だけが残っている学校の校舎の屋上に忍び込んだ。
日差しが照りつける暑い場所ではあるが、屋上が一番いいという話になった。どこかの林の中だとか人目がつかないところで死ぬことも候補には出たけれど、普段立ち入らない屋上にドラマチックなものを感じたのかもしれない。普段は脇役の自分たちが主役になれるような。

それに三人は諸悪の根源の一つに学校もあると考えていた。そのため、学校に一泡吹かせてやりたいという気持ちもあった。

自分たちが夜になっても帰宅しなければ、必ず親から学校に連絡が入るだろう。そして下駄箱に靴が残っていると分かれば、先生たちは学校内を探すだろう。そうすれば、私たちの死体はすぐに見つかるに違いない、と。

みんなの驚いた顔が見れないのだけが心残りだけど、それより生きていく方が辛いから、と三人は決意を新たにした。

「じゃあ、天国で会おうね」
アミが太陽の光に目を細めて言った。
「自殺したら天国にいけないんだって。地獄に行くんだよ、私たち」
優希が真剣な顔を二人に見せた。
「生きてても地獄、死んでも地獄かぁ」
叶恵が切なげにつぶやいた。

その瞬間、優希は背後から冷たい風を感じた。

「少女諸君! 何をしている」
三人は突然の声に驚き、振り返る。そこには、村上先生が真っ白い白衣を揺らめかせながら立っていた。
そして先生はツカツカと歩いてきて、三人の前にあった薬と水、手紙に一瞥をくれる。先生は表情を変えずに三人の顔を見た。

一瞬、屋上が水を打ったように静まり返った。
次の瞬間、校庭の蝉が大合唱を始める。
「いや、あの……」
みんみんと鳴きづける蝉の声の合間を縫って、優希と叶恵は蚊の鳴くような声を出した。
「里奈ちゃんこそ、何してるの?」
誤魔化すようにアミが先生を見た。

優希は先生に目を向けた。先生の目が泳いだ気がした。少し右に視線が逸れる。そして、先生はゆっくり視線を自分の手元に移すと「タバコだ」と答えた。
「学校内、禁煙ですよ」
優希が先生の顔を見つめると、「知ってる」と先生は答えた。先生の表情はいつもの表情に戻っていた。

先生は指に差していた火のついていないタバコを白衣のポケットに入れると、三人の前に置いてある薬と手紙を手に取った。封筒に書かれた文字を口にする。
「……遺言書?」
そして封筒から手紙を出すと、目線だけを上下に動かして、三枚の遺言書を読んだ。

読み終わると先生は、呆れたようなため息をついた。
三人はほとんど同時に内心で「怒られるっ」とつぶやく。思わず目を軽く閉じる。

そして先生のふっと鼻で軽く笑うような音がして、三人は顔を上げた。
「これは、遺言書ではなくて遺書だな。残念だがこの遺言書には点数はやれん。タイトルから間違っている。没収だ。それにこの大量の薬も、睡眠時間がしっかり確保されている少女諸君には必要がない。なあ、原口? しっかり寝てきた顔をしているが、まだ寝るつもりか? 自力で眠れるやつに睡眠薬なんぞ必要ないだろ。保健室で使わせてもらうことにするよ。ご提供ありがとう」
先生はいつものように軽く笑って、屋上を後にした。

✉️

「結局、あの後アホらしくなって、死にたいなんて思わなくなったんだっけ」
アミは笑って炭酸水を飲んだ。
「いやほんと、黒歴史よ」
優希がそう言うと、二人も笑った。

電車は思ったより空いていて、三人並んで座ることができた。揺れる車内の空気はどこか冬の重たい空気とは違い、春の軽やかな空気で満ちていて、三人はどこかプチ旅行気分になっていた。

「この遺言書もらった時、すぐにあの遺書を思い出したんだよね〜。今は元気に生きてるけどさ、あの時はマジで死にたかったし。先生から本物はこう書くんだぞっていうメッセージのような気がしてさ。それなら、本当に先生が死んじゃうのかなって心配になっちゃって。イタズラならイタズラでいいんだけど。本当に先生が死んじゃうなら、ある意味先生は命の恩人だし、ちゃんと会って話がしたいよね」
アミは淡い水色の手紙に視線を落とした。大好きな先生を懐かしむ表情が優希には見て取れた。

「でも正直、遺言書を見た瞬間、あの陰鬱な日々を思い出したよね。正直、もう忘れたい。先生は人生をリスタートできるなんていつも言ってたけど、ほんとにそれができるなら高校時代はリセットしちゃって、新しい生活を始めたい。それにはあの遺書、邪魔だなって思っちゃった。先生に会えたら、私、絶対あの遺書取り返して、燃やしてやる」

物騒な口ぶりではあったけれど、それが冗談である事はアミにも叶恵にもわかった。
優希は窓の外を眺める。線路沿いの海がキラキラと太陽の光を反射して、優希は思わず少し目を細めた。
「そうだね。せっかくだし、やり直したい。ダイエットして、細くなってからがいいけど」
叶恵は目を細くして笑った。

叶恵は電車に揺られながら、おなかすいたなぁと独りごちた。膝の上に乗せていた大きめのトートバックをがさごそと漁る。
ふふ、と楽しげに鼻で笑うと、叶恵はバックの中から赤い包み紙を取り出した。

「チョコ、食べる?」
叶恵は優希とアミの顔を覗く。
「ダイエットはどうしたのよ」とアミが笑って、
「サンドイッチにした意味ないじゃん」と優希も笑った。
「え〜。そんなの、明日からに決まってるじゃん。久々に三人で遊んでるのに、そんなこと言わないでよ」
叶恵はおどけたように笑うと、板チョコをパキパキと割って、二人の手に握らせた。

「これで共犯」

優希は叶恵から受け取ったチョコレートをさらに小さく割って口に含む。甘いチョコレートはゆっくりと口の中の体温で解けていった。
チョコレートがゆっくり解けていくように、車内にはゆっくりとした時間が流れる。

高校三年生になってからというもの、卒業まではあまりに慌ただしかった気がする、と優希は高校時代を振り返った。とはいえ、卒業してもバイトや進学の準備で忙しい。久しぶりのゆっくりした時間かもしれない。優希はそんなことを考えた。
横を見るとアミと叶恵は、うつらうつらと頭を上下に動かしていた。

寒さの解けた四月の空気に体が包まれると、優希も次第に眠気を感じてきた。高校二年生の春頃は、本当に夜も眠れなかったのに……。たった二年でこんなにも変わるものか、と自分の変化に驚く。電車の程よい揺れが眠気をさらに誘い、優希も次第に眠りへと落ちていった。

✉️

「優希、着いたよ」
すっかり眠りこけていた優希は、アミと叶恵に肩を揺すられて目を覚ます。
優希の頭はまだぼんやりとしていて、半分、夢の中に足を突っ込んでいた。
「春はあけぼのだねぇ」
ふわふわと頭に浮かんできた言葉を、精査せずにそのまま吐き出した。
「もう昼過ぎてるし、お前は清少納言か!」
アミが思わず突っ込んで、叶恵が元気よくケラケラと笑う。

「ほら行くよ」
アミが優希の手を引っ張った。
「相変わらず優希は寝起きが弱いんだね〜。保健室でよく起こしてたのを思い出したよ」
叶恵も優希の手を引っ張る。

三人は駅を出ると、先生の家までスマートフォンで検索した地図アプリに従って歩いた。
駅から徒歩十五分の先生の住所と思われる家は、閑静な住宅街の中にある海からほど近いアパートだった。

優希はカバンに入れておいた先生からの遺言書を丁寧に開くと、住所に目を落とす。そして顔を上げて、アパートの壁についているプレートを確認した。
「ここだよね」
優希は左右にいるアミと叶恵に交互に目をやる。
「だね」と叶恵が言い、「遺言書に部屋の番号、書いてないね」とアミが言った。
「とりあえず一軒ずつ、見てみようか」
優希の提案に、二人は首をこくんと動かして了承した。

二階建てのアパートには各階五部屋ずつ部屋があった。まずは三人で一階を見て回った。表札が出てない家もある。
「表札なかったら、どこが村上先生んちかわかんないね」
叶恵が小さく溜息をつく。
「そうだね〜」
二人は残念そうに返事をした。三人で一階のドアの表札を一つずつ確認したけれど、『村上』の表札は見当たらなかった。

三人で階段を上る。
「結婚して苗字が変わってたら、どっちにしろわかんないかな?」
優希が振り向いて叶恵に声をかける。
「確かにね」
叶恵が返事をした。その返事を聞いて優希が目の前のアミに話しかけようと前を向く。
前を歩いていたアミはすでに一番奥の部屋の前にいた。
二人の方を向いて顔の横で手をひらひらさせている。目は輝いて見えた。

「ねえ、ここじゃない?」
優希と叶恵はアミの元へと駆け寄った。
二階の五号室。玄関のドアには『村上』と書かれた表札。
優希は通路の突き当たりに何か置いてあるのに気づき、視線を落とす。目線の先には一台のベビーカー。
「え? ここ先生んちかな? 名字一緒だけど、ベビーカーがあるし。人違いとかない?」
優希がアミに話しかけた時、アミの指はすでにインターホンを触っていた。
「優希、何か言った?」
「いや、だから……」

ピンポーーーーン

軽快な電子音が、閑静な住宅街の中を抜けていく。
その瞬間、部屋の中から赤ん坊の泣き声がした。泣き声が次第に大きくなり、玄関に近づいてくる。
赤ん坊の泣き声がドアのすぐ向こう側に聞こえた時、二○五号室の扉がぎいと静かに開いた。

玄関の向こう側に知ってる顔が見えた。黒髪のショートカットの女性。髪型は違うけど、間違いなく村上先生だ。

「お、少女諸君! よく来てくれた」

死相も悲壮感も漂っていない。どの顔で遺言書を送りつけたんだと思うほどの笑顔。
一年前と変わらない笑顔がそこにはあった。


✉️

村上先生の部屋は、高校の保健室よろしく整理整頓され清潔感があった。白いレースのカーテン越しに、明るい太陽の光が部屋の中に落ちてきて、部屋全体が光に満ちている。室内にはほんのりと甘い匂いが漂っていて、床にはカラフルなぬいぐるみや赤ちゃん用のおもちゃが落ちていた。
健康と幸せに満ちた空間というものがあるとすれば、こういう場所なのだろうと優希は思う。

「先生! 結婚して学校やめたんですか?」
部屋に入るなり、叶恵が声を弾ませて聞いた。
「いや、結婚はしてないな」
「え?! じゃあ、里奈ちゃん、シングルマザー?!」
アミが驚いて尋ねると、先生は軽く笑って頷いた。

「まあ、少女諸君。落ち着いて」
先生は三人に席に着くように促して、抱いていた赤ん坊を床に敷かれた小さい赤ちゃん用の布団に寝かせた。さっきまで泣いていた赤ん坊は、先生が抱いているうちにいつの間にやら小さく寝息を立てて眠っていたようだった。

先生は台所に立つとお湯を沸かして、来客用のカップにお茶を入れてくれた。
君たちが来るような気がしてたから、と出してくれたお茶請けは綺麗な桃色の桜餅で、ピンク色の粒々のお餅が大きな葉っぱに包まれていて、食べるのが勿体無いくらいの可愛さだった。

「一宮、鳥飼、原口。卒業おめでとう」
先生はダイニングテーブルにつくなり、優しい笑顔を浮かべた。
「ありがとうございます」
三人は頭を下げる。
「……それより」
優希は下げた頭を上げるなり、先生の目を見て言った。そして言葉を続ける。
「先生。あの遺言書は何なんですか? イタズラなのか、本当に、その……」
優希は、その……の後の言葉を続けることができなかった。先生は死んでしまうのか、という質問をしようとして言葉に詰まった。

真剣そのものの優希とは対照的に、先生はあははっと声を出して楽しそうに笑った。
声を上げて笑う先生を見たのは初めてで、三人は思わず顔を見合わせた。
「少女諸君、遺言書の日付は見たか?」
「日付?」
優希が手に持っていた先生からの遺言書を開いて、テーブルに乗せた。三人は一枚の遺言書を覗き込むと、日付の部分に目をやった。

「あ」
「エイプリルフール?!」
三人は胸を撫で下ろした。思わずはあ、とため息が出る。
「そうだ。気づかなかったのか? 一宮あたりが気づくかと思ったがな」
先生はまた、声を上げて笑った。

「それにしたって悪趣味ですよね」
優希は若干怒りを含ませて先生を睨む。ちょっと冗談めかした表情で。
「すまないね。まあ、ちょっとした冗談のつもりだったんだよ」
先生は少し困ったように、眉毛をハの字にした。

「でも何で私たちに遺言書を送ったんですか? 他にも送ってたりするの?」
アミが先生をじっと見つめる。もしかすると、他の生徒より特別だと思われているかどうかを知りたくて質問したのかもしれない、と優希は思った。なぜならアミは村上先生に憧れているから。
「他には送ってないよ。君たちだけだ」
先生はこくんと頷いた。

「何のためにこんなことしたんですか?」
優希の質問を受け止めた先生の視線は、優希の視線とぶつかった。そして先生はアミの目を、叶恵の目を順番に見つめた。
「君たちは、あの子の命の恩人なんだよ」
寝ていた赤ん坊が寝返りを打つ。
赤ん坊に目をやると、部屋に入り込む光の量が減ったのに気づき、優希は窓に目を向ける。レースのカーテンの向こうに薄らと白い雲が浮かんでいるのが見えた。


✉️

「まあ、桜餅でも食べなよ」
先生はそう言って、椅子に腰掛けた。
三人はいただきます、と手を合わせて桜餅を齧る。少し粒の残ったねっとりとしたお餅に、甘すぎない餡子がちょうどいい。鼻から桜の香りが抜ける。
「美味しいっ」
いの一番に叶恵が感想を口にした。
「だろう? この辺りで一番評判の和菓子屋の桜餅だからな」
先生が誇らしげに、胸を張った。

優希は保健室でたまに先生が出してくれたお菓子のことを思い出した。
三人がたまたま保健室に集まると、先生は引き出しからお菓子を出してくれた。お気に入りの洋菓子店のクッキーだとか、手焼き煎餅のお店の醤油煎餅だとか。
「他の生徒には内緒な」と先生はいつも言っていた。優希は先生が醸し出してくれている特別感がとても好きだったのを思い出した。それに先生の出してくれるお菓子は本当にどれもお世辞抜きで美味しかった。今日の桜餅然りだ。

「今日はこれを君たちに返そうと思って」
先生は戸棚の引き出しを開けると、手紙を三通、三人の前に置いた。
あの夏の日に没収された遺書だ。

「これ……」
三人は思わず顔を見合わせた。
そして村上先生の顔を見る。先生は穏やかに笑っていた。

「君たちが自殺を試みようとしていたあの日、私はある決断をしようと屋上に上がったんだ。お腹にいたあの子を堕胎しようと思ってね。君たちも噂を耳にしたかもしれないが、教頭と不倫していたというのは……本当なんだ」
先生は少し目を伏せた。
「私は二十代後半にもなって男性とお付き合いをしたことがなくてね。別に恥ずかしいことでも何でもないんだが、まあ、ある意味コンプレックスになっていたわけだ。変に男性に憧れのようなものを抱いていたかもしれない。そんな時に、まあ、いつの間にやら教頭とそういうことになったんだ」
三人は顔を見合わせた。まさか、あの噂が本当だったなんて、と。

先生は申し訳なさそうに笑った。
「歳ばっかり食って、見た目は大人になっても、結局中身は少女のままだったんだな。いろんなことに憧れて、まだ無垢なまんまで。大人の男性にコロッといってしまってね。そんな中、息子を授かったんだ。教頭は既婚者だから結婚なんかできるわけもないし、自分が親になれるとも思えなかった。もう堕胎するしかないなって思って、心を落ち着かせるために久しぶりにタバコを吸いに屋上に出たんだ。そしたら少女諸君、君たちが屋上にいた」
三人はそのままじっと先生を見つめた。

「ひと目見て、すぐにわかったよ。君たちが死のうとしてること。でもさ、睡眠薬じゃ死ねないぞ、とも思った。本当なら教師として『何をしてるんだ!』と注意すべきところだったんだろうが、私には君たちの姿が少し滑稽で、愛しくて、健気にみえた。本当に死にたければもっと簡単に死ねる方法がある。でも、君たちはそれを選ばなかった。まだ生きたいという気持ちがあるんだろうな、と感じたんだ。抗っているんだろうな、と」
先生はふっと軽く息を吐いた。
「それでね、私もあがいてみようと思ったんだ。少女諸君、人生はいつでもリスタートできる。過去を踏み台にして進めってね」

先生は話の途中で我慢ならなくなったのか、自分の皿の桜餅をあんぐりと食べた。それも葉っぱごと。もぐもぐと美味しそうに幸せを噛み締めるように桜餅を食べると、先生はごくんとそれを飲み込んだ。
温かいお茶をずずっと啜ると、先生は桜色をした幸せいっぱいの吐息を吐いた。
あまりに美味しそうな食べっぷりに叶恵は生唾を飲みこんだ。

先生は一息つくと話を続けた。
「きっと私はずっと少女のままだったんだ。甘っちょろいというか、心の真ん中がまだ柔らかいというか。人としての成長に必要な苦味が足りてなかったんだよ、きっとね。まだ脱皮もできず、大人の女としての人生を歩んでいなかったことに気づいたんだ。それを君たちや息子に教えてもらった」
先生は寝ている赤ん坊に目を向けた。優しい母親の微笑みだった。

「だからお礼を言いたくてね。少女諸君の卒業も祝いたかったし。周りくどいことをして申し訳なかった。君たちならきっとここにきてくれると思ったんだ」
先生の顔は、母の顔から保健室の先生の顔に戻っていたように見えた。
「苦味……ですか?」
アミが口を開いた。
「そうだな。君たちもこれからの人生、苦い経験もするだろう。でもそれを踏み台にしていって欲しいと私は思う」

先生は真剣な眼差しで三人を見た。少し逸らしたくなるような、まっすぐな瞳だった。
でも三人は目を逸さなかった。優希もアミも叶恵も、先生と視線を合わせた。

叶恵が真剣な目を向けたまま、沈黙を破る。
「あ、あのう。これって葉っぱ食べてもいいんでしたっけ? 先生がめちゃくちゃ美味しそうに食べるから、気になって……。あ、もう食べてもいいですか?」
叶恵が真剣な空気を壊すような質問をして、みんなの緊張が緩んだ。
先生は「お好みでどうぞ」と軽く笑う。
三人は顔を見合わせると、葉っぱごと桜餅にかぶりついた。

叶恵は先生の食べ方さながらに幸せを噛み締めるように桜餅を食べた。お茶をずずっと啜って桜色のため息を吐く。
「桜餅の葉っぱを一緒に食べると、より一層桜の風味が感じられますね。とても春を感じます。そして歯触りが素晴らしいです。柔らかく粒の残ったお餅とほんのりと優しい甘さの餡、そしてしょっぱい桜の葉っぱ。すべてが一緒くたになると口の中で全てが素晴らしいマリアージュとなり、そして最後に桜の葉っぱの苦味がアクセントになって、本当にこの桜餅、美味しいですっ」
どこぞのレポーターかと思うような食レポを叶恵は流暢に喋り出した。叶恵は喋り終わるとドヤ顔で再びお茶を啜る。その顔に思わず、みんなで声を出して笑った。

「あ!」
何かを思いついたようにアミが声をあげた。そして、にやりと笑う。
「甘くて柔らかくてしょっぱくて苦い。桜餅って人生そのものじゃない?!」
アミが的をえたりと叶恵よろしくドヤ顔になった。
「確かに鳥飼の言うとおりだ」
先生がそう言うと、私の食レポのおかげだねと叶恵も再びドヤ顔になって、みんなでケラケラと笑った。

眠っていた赤ちゃんがみんなの笑い声に驚いてふにゃふにゃ泣き始めた。先生は席を立ち赤ちゃんの側に寄り添った。先生は赤ちゃんを抱き抱えると窓を開ける。

窓の隙間から入ってくる潮風が心地いい。海の匂いが鼻を抜けた。

「先生、海に出てもいいですか? あと、ライターって持ってたりします?」
優希が質問すると先生は振り返った。
「ああ、もちろん」

三人はアパートを出て海に出た。
先生のアパートの方を見る。先生が三人を見ているのがわかった。アミが大きく手を振ると、先生は息子の手を握って、小さく手を振った。

「気持ちいいね〜」
叶恵が大きく深呼吸した。
「来てよかった」
アミがぐんと伸びをする。

優希は先生から借りたライターを二人に見せた。
「有言実行」
優希が笑うと、「さすが優希だね」と二人も笑った。

優希は先生から返してもらった遺書に火をつける。
アミと叶恵は手持ち花火の火をもらうように、優希の遺書についた火を自分の遺書に移した。
チリチリと遺書が燃えていく。優希がパッと手を離して、燃えていく遺書を砂浜の上に落とした。
アミと叶恵もそれに続く。

三人の遺書はじわじわと燃えて、煙を上げて消えていった。全てが燃え尽きると、満ちてきた波が残った灰を攫った。

「これでリスタートかな」
叶恵が小さく笑う。
「踏み台にできるかな」
しゃがんでいたアミが立ち上がって伸びをする。
「できるよ。しようよ」
優希が二人の肩を抱いた。

どこからともなく、桜の花びらが先生の遺言書みたいな水色をした海に舞い落ちた。
海は白い泡を立てては、花びらを飲み込んでいく。

純白の桜の花びらを海がすべて受け止めたころ、三人の少女は自らの足で人生を歩み始める。






おしまい





この記事が参加している募集

海であそぶ

桜前線レポート

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?