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江戸と穢土 Ver. 1.02

江戸は太平洋への玄関口としてのまさに「江」であり、「戸」であるから、これに対して何の疑問も持つことはなかった。

大島沙緒里さんと古瀬美月さんの入場曲に「もののけ姫」のテーマが流れていて(なんかよく聞くと違うようだ^^;)、これいいなと思って、久石譲さんのサウンドトラックを聞いていて「穢土」と言う曲が目に止まった。
(まあ瓢箪からコマと思ってください(汗))


僕が生まれた場所は父親の会社の社宅であり、海の近くだった。そこから幼稚園や市場に行く時の道から路地を入ると、そこは船着き場だった。小さな入り江に小さな漁船を水が引いた磯にそのまま置いているような小さな港。そこには蛸壺が積んであり、磯や蛸壺から強烈な魚臭を発していた。

そこは磯と呼ぶより、潮が引けば干潟のほうが適当かもしれない、泥のような水底だった。夏の暑い日には濃厚な磯臭さがその一帯に充満していた記憶がある。

話は変わって、僕は関西に住んだことがない。関東、中国、四国、九州には居住経験が有る。だから近畿地方や東海地方の肌感覚は持っていない。文献や印象で語るので正確ではないかもしれないので間違っていたらご指摘いただきたい。

「上流階級」と言う言葉がある。近畿地方で上流と言えば京都だろう。そして下流と言えば大阪になる。琵琶湖の水が京都を通って大阪湾に流れ落ちる。京都には長らく皇居が存在し、貴族が住む。貴族が流した汚物を川に流す。だから反対ではいけない。天皇が西成に住むことは有り得なかった。だから昔から上流階級、下流階級と言う言葉があるのだと思う。

このように考えた時、これを関東に適用した場合どうなるか。たぶん古墳時代や律令時代の貴族たちは同じように考えただろう。大きな河川の上流と下流。関東の代表的河川と言えば、利根川、江戸川、荒川、中川、隅田川、多摩川だろう。この内利根川は太平洋に注ぐが、他は全て東京湾に流れ込む。今の東京湾は干潟など埋め立てで珍しくなったが、海苔の大森屋などの名称に残るように、干潟で海苔の養殖などを行っていた。河川からの豊富な栄養が干潟の生物を充実させたから。当然、昔は干潟の臭いが充満した地域だっただろう。

貴族たちは古代、関東に進出した際にどこに首都を置くか考えただろう。京都に当たる場所は今の東京ではない。下流域にはさきほど述べた理由で住むはずがない。さらに水害の危険も毎年のように襲った。関東の水源に近い京都に当たる場所はどこか。

関東最大の前方後円墳は群馬県太田市にある太田天神山古墳である。この付近、群馬県や栃木県には夥しい数の古墳が存在する。今から考えるとどうしてこんな内陸の地方都市にこれだけの古墳が存在するか考えにくいが、近畿をモデルにしていると考えれば当然の事と思える。河川の上流に当たるからだ。

古代史の謎を解く際に重要とされる金錯銘鉄剣が出土した埼玉県行田市に存在する稲荷山古墳も利根川の上流付近に存在する。

今から考えると不思議な北関東の古墳群も、上流下流を考えれば至極当然と言える事なのだ。

そうすると江戸が堆積した穢土から来たと自然に思えてくるはずだ。


ネットでは別の説もあるようです。そちらのほうが本当かも。

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