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『料理雑記その2:また会える未来でもきっと、海のルビーは輝いて』

鮭(サケ)が不漁である。
正確には、今年(2022年に執筆した記事です)もまた鮭が不漁である。
ニュース等で聞いた方もいるだろう。
サンマやマダラ、スルメイカなどと同じく、鮭の国内の漁獲量は減少の一途を辿っているのだ。
(代わりに北海道ではブリが豊漁であり、それはそれで喜ばしい)

2000年頃には年間20万t以上、2013年頃には年間15万tだった日本のサケ類の漁獲量は、2019年には年間5万t程度にまで落ち込んでいる。
古くから日本人の食卓にあがってきた鮭は、我々の最も身近な食用魚類の1つであり続けた。
焼いた鮭の切り身は多くの人がもつ和食のおかずの定番イメージの1つ、と言っても過言ではないだろう。
そんな鮭の漁獲量の激減の知らせは、これまで当たり前だった日常の風景の一部が変わってしまうかも知れないという不安を効果的に煽るのだろうか。ここ数年、多くのメディアが声高に鮭の不漁を報じ、人々の関心を引いてきた。
そしてその深刻で悲痛なニュースの最後は、大抵の場合はこう締め括られるのだ。
「このような鮭の不漁の原因には、地球温暖化による水温の上昇等があるのではないかと考えられています」と。

さて、本当にそうなのだろうか?
確かに温暖化による水温や海流の変化は回遊魚である鮭の漁獲量に影響を与える一因となるだろう。
なにせ地球規模での環境変動である。
であれば日本だけではなく、どこの国でも鮭が不漁となっていてもおかしくない。

ところが、日本だけらしい。
鮭が不漁なのは日本だけらしいのだ。
むしろ近年、ロシアやアメリカでは鮭の豊漁が報じられることすらあるという。
これもすべて温暖化による海水温上昇で説明がつくのだろか?
どうにも、それだけではなさそうだ。

今回の雑記を書くにあたり、漁業ジャーナリストである片野 歩氏が運営するブログ「魚が消えていく本当の理由」を参考にさせていただいた。
片野氏は鮭の不漁について日本と北太平洋に面した諸国の様々なデータの比較から、日本では特に鮭の漁獲量と稚魚の放流尾数が乖離していることを指摘している。そして鮭の稚魚放流ではなく自然産卵を増やし、国内の資源回復を行うことが急務であると訴えている。(無理やり端的にまとめさせていただいたが、興味のある方は是非とも氏のブログを一読していただきたい)

どうやら鮭の不漁対策については温暖化を食い止める他にも打つ手はあるようだ。
鮭だけとは言わず日本の水産資源の管理運用を見直し、是正する。
2018年に漁業法を改正したばかりの日本にとって、けして簡単な話ではないのだろう。だが日本が地球全体の水温上昇をなんとかするよりは、まだ現実的ではないかとも思ってしまう。
実際の法改正や漁業に携わるわけでもない、いち消費者に過ぎない私が言っても嫌味なだけだが。

ちなみに日本の水産資源の管理についてはまだまだ書きたいことがあるのだが、いつまでもテーマに移れなくなるので、またの機会にでも書き殴りたい。
そう、今回のテーマは鮭ではない。
予想外に長くなったが、鮭の不漁は前置きだ。
既に画像を見てご存知かも知れないが、今回のテーマ料理は「イクラの醤油漬け」である。

イクラ。
言わずと知れた鮭の卵である。
卵巣膜に包まれた状態の卵の塊である筋子(スジコ)から、卵巣膜を取り除いてバラバラにしたものを指す。

もともとイクラとは魚卵を意味するロシア語である。
明治時代まで日本では筋子とバラバラにした状態のものを区別する名前がなく、ある時にロシア人が後者のものをイクラと呼んだのを見た日本人が、それをイクラと呼ぶのだと思った、という話が伝わっている。イクラを表す漢字が無いわけだ。
別名はハラ子、バラ子など。
加熱せず、塩漬けや醤油漬けなどで食べるのが一般的となっている。

筋子と区別する名前がなかった割には、日本人との付き合いは古い。
鮭との付き合いが古いので当たり前だが。

延喜5年(905年)、平安時代中期に醍醐天皇の勅により編纂された律令の施行細則である『延喜式』には、鮭の加工品として内子鮭(こごもりのさけ)の名が記載される。子籠りの鮭、つまり筋子をもった鮭の意だが、どんな加工をされたものかは分からないという。
また江戸時代の元禄10年(1697年)に発刊された『本朝食鑑』には塩漬けにした筋子をバラバラにして天日乾燥させた保存食である「はららご」の名が記されている。
さらに鮭をカムイチェプ(神の魚)と呼ぶアイヌの人々には筋子・イクラは調味料のようにも使われたようで、マッシュポテトにイクラを混ぜたかのようなアイヌ料理「チポロラタシケム」が伝わっている。この料理はアイヌグルメの魅力を世に知らしめることを主な目的とする(大嘘)人気マンガ、ゴールデンカムイでも登場した。
日本以外だと日常的に食される国は限られるようだが、ロシアでは塩漬けのイクラが酒肴とされる他、クレープに似た生地のブリヌイに添えられたり、食パンに乗せて食べることもあるらしい。
試してみたいような、そうでもないような…

さて前置きでも述べた通り、いま鮭は不漁である。
当然ながら鮭の卵であるイクラも獲れなくなっているからして、そのお値段はひたすら上がっている。
今年の生筋子は100gで900~1000円だった。昨年より1割程度の値上げだ。
キツイ。しかしイクラは食べたい。
店頭でやや迷ったものの、あっさりと食欲に負けた私は、来年こそはイクラが安くなりますようにと祈りつつ調理を始めるのであった。

~イクラの醤油漬け~
①生筋子を40℃ぐらいの塩水(海水くらいの塩分濃度が目安)に浸けながら、よくほぐす。
②塩水を取り替えながら卵がバラバラになるまで何回か繰り返す。
③水を捨て、ザルにあけて水がきれたらタッパー等の容器にイクラを移し、お好み量の醤油で漬ける。冷蔵庫で保管し、翌日からが食べ頃。
そのまま食べてもいいし、ご飯にたっぷり乗せても最高。
世間では醤油だけでなく酒や味醂を加えるのが主流だが、個人的には醤油オンリーが好みだ。

~イクラと塩麹サーモンのお造り~
①刺身用のサーモンを細作りにして塩麹とあえる。
② ①にイクラの醤油漬けを乗せて出来上がり。
文句のつけようのない酒の肴である。

コツは調理過程で絶対にイクラを真水にさらさないこと。真水にさらされたイクラは皮が白く濁り固くなる。
グラム1000円という庶民にとっての高級食材が見るも無残な有り様に変わるのは、悲劇以外の何物でもない。
それさえ気をつければ大きな問題はないし気楽なものである。
丁寧に卵巣膜を取り除いたイクラが、ザルにあけられて鮮やかに輝く姿はなかなかの見物だと思う。それはまさに海のルビーと呼ぶにふさわしい美しさなのだから。

イクラを醤油に漬けた翌日。
楽しい晩酌のはじまりだ。
酒はもちろん日本酒。
お気に入りの銘柄をよく冷やしておいた。

小さなスプーンでイクラだけを数粒、口に運ぶ。
出始めで皮の柔らかいイクラは、噛むより早く弾けて舌上に旨味をまき散らす。
美味しさで思考が止まらないうちに冷酒を喫する。安心して思考を止める。頭が再起動したら、また繰り返す。
思う存分幸せを堪能したら次の酒肴に箸を伸ばす。
塩麹に軽く漬けられた細作りのサーモンはそれだけでも素晴らしい肴である。
しかしイクラをも身にまとったそれは、またレベルの違う存在となる。
初秋の時期に一度しか作らないと決めている一品は、今年も私に最高のひとときを与えてくれた。
〆はハラ子飯。熱々の白米にたっぷりとイクラ。ワサビも少し。ご飯とイクラをかきこむ、うまい、しあわせ。

言語中枢のヤられた頭でグルグルと考える。
人の都合で放流される数億尾の鮭の稚魚のことを。
産まれた川とは異なる川へ、あるいは産まれた川などないまま見知らぬ川へと放たれた稚魚たち。
やがて海へと至る彼らのうちで、特に幸運なものだけが逞しく成長し、やがて交尾と産卵のために川へと帰る。
母川回帰(ぼせんかいき)と名付けられた本能はしかし、母なる川を持たない彼らを何処へと導くのだろうか?

SDGs的な観点からの取り組みを、などとほざく気はない。
昨今あまりに軽薄に連呼されるその言葉は、正直なところ、嫌いだ。
もっとも、ただただ現状を嘆くだけの私は、その薄っぺらいお題目を使うにすら値しないが。

ただ願う。
来年も、再来年も、その先も、大海原からはちきれんばかりにイクラを腹に抱えた鮭が帰ってくることを。
遥かな未来までも、食卓で海のルビーが輝くことを。

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